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'''野口 健'''(のぐち けん、[[1973年]][[8月21日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン市]]出身の日本人[[登山家]]。[[亜細亜大学]][[国際関係学部]]卒業。高校から登山を始め、1998年に25歳で[[チョモランマ]]の登頂に成功し、当時の[[七大陸最高峰]]登頂最年少記録を樹立した。現在はNPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表としてヒマラヤ・富士山での清掃活動などの環境問題への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている<ref>{{Cite news|title=団体概要|url=http://peak-aid.or.jp/about/|accessdate=2018-05-28|language=ja-JP|work=団体概要}}</ref>。[[亜細亜大学]]<ref>{{Cite web|url=https://www.asia-u.ac.jp/about/gallery/Noguchi/|title=野口健氏 {{!}} 亜細亜大学|accessdate=2018-05-29|website=www.asia-u.ac.jp}}</ref>・[[了徳寺大学]]<ref>{{Cite web|url=http://www.ryotokuji-u.ac.jp/news/2017/003102.php|title=平成29年度 新入生対象 野口健客員教授による特別講義及び新入生交流会について(ご案内) {{!}} 了徳寺大学|accessdate=2018-05-29|website=www.ryotokuji-u.ac.jp|language=ja}}</ref>[[客員教授]]、[[徳島大学]]医学部運動機能外科非常勤講師<ref>{{Cite web|url=http://www.utokushima-orthop.com/class/seikeigeka/|title=整形外科 {{!}} 教室 {{!}} 徳島大学整形外科|accessdate=2018-05-29|website=www.utokushima-orthop.com|language=ja}}</ref>。
'''野口 健'''(のぐち けん、[[1973年]][[8月21日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン市]]出身の日本人[[登山家]]。[[亜細亜大学]][[国際関係学部]]卒業。
現在はNPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表としてヒマラヤ・富士山での清掃活動などの環境問題への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている<ref>{{Cite news|title=団体概要|url=http://peak-aid.or.jp/about/|accessdate=2018-05-28|language=ja-JP|work=団体概要}}</ref>。
[[亜細亜大学]]<ref>{{Cite web|url=https://www.asia-u.ac.jp/about/gallery/Noguchi/|title=野口健氏 {{!}} 亜細亜大学|accessdate=2018-05-29|website=www.asia-u.ac.jp}}</ref>・[[了徳寺大学]]<ref>{{Cite web|url=http://www.ryotokuji-u.ac.jp/news/2017/003102.php|title=平成29年度 新入生対象 野口健客員教授による特別講義及び新入生交流会について(ご案内) {{!}} 了徳寺大学|accessdate=2018-05-29|website=www.ryotokuji-u.ac.jp|language=ja}}</ref>[[客員教授]]、[[徳島大学]]医学部運動機能外科非常勤講師<ref>{{Cite web|url=http://www.utokushima-orthop.com/class/seikeigeka/|title=整形外科 {{!}} 教室 {{!}} 徳島大学整形外科|accessdate=2018-05-29|website=www.utokushima-orthop.com|language=ja}}</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
=== 生い立ち ===
日本人(元[[外交官]]の[[野口雅昭]])の父親と、エジプト人の母親([[野口モナ]])の夫婦から[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン]]でる。その後、幼少期を[[ニューヨーク]]や[[サウジアラビア]]で過ごす。初めて日本に来たのは4歳の頃で、その頃は日本語が話せなかった。[[カイロ]][[日本人学校]]小学部からイギリスの[[立教英国学院]]小学部に6年時に転校。同学院の高等学校在学中、本人の言葉よれば勉強が出来ない“落ちこぼれ”の不良生徒であり、学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受ける。停学中の一人旅で[[植村直己]]の著書と出会い登山を始める。卒業後、[[亜細亜大学]]へ[[一芸入試]]で合格する。これもあり、植村を強く慕うようになる<ref>野口健公式ページならびにブログ・2008年2月13日 http://www.noguchi-ken.com/M/2008/02/51036231.html</ref>。
日本人(元[[外交官]]の[[野口雅昭]])の父親と、エジプト人の母親(野口モナ)の次男として[[ボストン]]で生まれる。幼少期を父親の赴任先である[[ニューヨーク]]や[[サウジアラビア]]で過ごす。初めて日本に来たのは4歳の頃で、その頃は日本語が話せなかった。小学校6年時に両親が離婚し、[[カイロ]][[日本人学校]]小学部からイギリスの[[立教英国学院]]小学部に転校。同学院の高等学校在学中に学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受け停学中の一人旅で[[植村直己]]の著書「青春を山に賭けて」と出会い登山を始めた<ref>{{Cite news|title=asahi.com(朝日新聞社):アルピニスト・野口健のおやじ 雅昭さん:2 山は自分をアピールす手段 - 天才の育て方 - 教育|date=2018-06-05|url=http://archive.is/PyRtv|accessdate=2018-06-06|work=archive.is}}</ref>。卒業後、[[亜細亜大学]]へ[[一芸入試]]で合格する。これもあり、植村を強く慕うようになる<ref>野口健公式ページならびにブログ・2008年2月13日 http://www.noguchi-ken.com/M/2008/02/51036231.html</ref>。


=== 七大陸最高峰の最年少登頂達成 ===
=== 七大陸最高峰の最年少登頂達成 ===
亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25の時に世界最高峰[[エベレスト]]にネパール側から登頂し、3度目の挑戦で登頂に成功。当時の[[七大陸最高峰]]の世界最年少登頂記録を更新した<ref group="注釈">同記録は2年後の2001年に、当時23歳の[[石川直樹 (探検家・写真家)|石川直樹]]によって更新され、さらには2011年に15歳のアメリカ人{{仮リンク|ジョーダン・ロメロ|en|Jordan Romero}}が更新した。</ref>。
亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学に8年間在籍して登山を続け、卒業前の1999年(25に世界最高峰[[エベレスト]]に、3度目の挑戦で登頂に成功。当時の[[七大陸最高峰]]の世界最年少登頂記録を更新した<ref group="注釈">同記録は2年後の2001年に、当時23歳の[[石川直樹 (探検家・写真家)|石川直樹]]によって更新され、さらには2011年に15歳のアメリカ人{{仮リンク|ジョーダン・ロメロ|en|Jordan Romero}}が更新した。</ref>。

大学には8年間在籍した。


=== 多方面での活動 ===
=== 多方面での活動 ===
[[1999年]]のエベレスト登頂以降、環境保護の観点から清掃活動を継続している。エベレスト([[2000年|2000]]-[[2003年]]<ref>{{Cite news|title=2000年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2000-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref><ref>{{Cite news|title=2001年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2001-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref><ref>{{Cite news|title=2002年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2002-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref><ref>{{Cite news|title=2003年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2003-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>、[[2007年|2007]]<ref>{{Cite news|title=2007年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2007-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>,[[2008年]]<ref>{{Cite news|title=2008年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2008-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>、[[2011年]]<ref>{{Cite news|title=2011年エベレスト清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2011-Everest/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>)、[[マナスル]]([[2006年|2006]]<ref>{{Cite news|title=2006年マナスル清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2006-Manaslu/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>,[[2007年]]<ref>{{Cite news|title=2009年マナスル清掃登山|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Mountain/2009-Manaslu/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>)の清掃活動をはじめ、[[富士山]]<ref>{{Cite news|title=富士山清掃|ブログ|url=http://www.noguchi-ken.com/M/Measure/Fuji-cleanup/|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=ブログ}}</ref>、また全国各地でも精力的に清掃活動を行っている<ref>{{Cite web|url=https://www.tfm.co.jp/earth/clean/|title=コスモ アースコンシャス アクト|accessdate=2018-06-06|website=www.tfm.co.jp|language=ja}}</ref>。
2004年、[[自由民主党 (日本)|自民党]]から[[参議院議員選挙]]比例区への出馬を打診され、本人も意欲を示していた<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003121001000496.html | title = 登山家の野口氏が出馬検討 来年の参院選、自民公認で | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2003-12-10 | accessdate = 2013-06-26 }}</ref>が、[[タレント議員]]批判に対して「自分はタレント候補ではない」と反発し不出馬を表明。同様に2007年7月の参議院議員選挙出馬の噂もあったが、本人は自分のブログで「それはありません。私は現場の人間ですから。」と不出馬を表明。自民党からの出馬を目指す理由として「一見、環境保護には縁遠そうな自民党から議員になることにこそ意味がある」と雑誌で語っていた。親交の深い橋本龍太郎の選挙応援や、橋本の元秘書など側近たちの選挙応援もしている。2005年9月の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、環境保護関連で親交のある[[小池百合子]](当選)の応援に駆けつけた<ref>[http://www.tfm.co.jp/news/news_text.php?page=news&month=200509&day=20050922 09.22 アルピニストと環境相の関係] NEWS PROJECT</ref>。[[2016年東京都知事選挙]]でも小池の応援演説を行った。


* 2000年、遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」を設立<ref>{{Cite news|title=シェルパ基金設立の理由|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2000/01/post-7.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
2007年、[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]の環境アドバイザーに就任。ヴェルディの2007年開幕戦である[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]戦([[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]])では、でキックインセレモニーを行った。試合後は国立競技場周辺を、両チームのサポーターとゴミ拾いをおこない、環境意識への取り組みを示す。同年11月、新潟市が主催する「第2回[[安吾賞]]」に選ばれる<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007112001000827.html | title = 野口健さんに安吾賞 特別賞はベンクスさん | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2007-11-20 | accessdate = 2013-06-26 }}</ref>。2008年には[[植村直己冒険賞]]も受賞した<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200802/CN2008021201000481.html | title = 野口健さんに植村冒険賞 エベレストで「清掃登山」 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2008-02-12 | accessdate = 2013-06-26 }}</ref>。


* [[2004年]]、[[自由民主党 (日本)|自民党]]から[[参議院議員選挙]]比例区への出馬を打診され、本人も意欲を示していた<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003121001000496.html | title = 登山家の野口氏が出馬検討 来年の参院選、自民公認で | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2003-12-10 | accessdate = 2013-06-26 }}</ref>が、[[タレント議員]]批判に対して「自分はタレント候補ではない」と反発し不出馬を表明。
2007年4月、都知事選で[[石原慎太郎]]のポスターに「石原さんを応援します」として登場するなど積極支援。2007年11月30日付けで[[了徳寺大学]]客員教授(教養教育センター)に就任。


* 2006年、マナスル山麓のサマ村の教育支援のため「マナスル基金」を設立<ref>{{Cite news|title=マナスル基金設立|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/12/50775559.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
=== 遺骨収集活動 ===
2008年から[[特定非営利活動法人|NPO法人]]「空援隊(くうえんたい)」に参加し主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の[[遺骨収集事業|遺骨調査・収集活動]]を開始する。2005年にヒラヤで遭難した際、死を覚悟して遺書を書き、「自分の遺体を故郷帰してくれないだろうか」と考えた時、橋本龍太郎から聞いた戦没者についての話を思い出したこときっかけだったと述べている<ref name="sapio20091125">{{Cite journal|和書| author = 野口健、[[笹幸恵]]| date = 2009-11-25| title = なぜ30代の私たちが戦没者の遺骨収容取り組むのか=野口健×笹幸恵| journal = [[SAPIO]]| volume = 21| issue = 20| publisher = [[小館]]| url = http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091207-01/1.htm| accessdate = 2010-05-26}}</ref><ref>[http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51470217.html 理事辞任のブログ記事]</ref>。しかし、週刊文春(2010年3月18日号)で「空援隊が収集した遺骨にフィリピン人の骨が混じっている」という批判記事が掲載されたあとにその対応を巡って理事長と対立<ref>{{Cite news|title=ご遺骨収集で抱いた「日本人としての誇り」|url=https://shuchi.php.co.jp/article/868|accessdate=2018-05-28|language=ja}}</ref>、2010年5月18日付の公式ブログで空援隊を離れたことを表明<ref>{{Cite news|title=空援隊を去るにあたり|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2010/05/51470217.html|accessdate=2018-05-28|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。これ以降は、自らが代表であるNPO法人PEAK+AIDの活動として沖縄での戦没者遺骨収集を行っている。


* 2007年、[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]の環境アドバイザーに就任。ヴェルディの2007年開幕戦である[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]戦の試合後に、両チームのサポーターと[[国立競技場]]周辺のゴミ拾いを行う。同年7月の参議院議員選挙出馬の噂もあったが、本人は自分のブログで「それはありません。私は現場の人間ですから。」と不出馬を表明。自民党からの出馬を目指す理由として「一見、環境保護には縁遠そうな自民党から議員になることにこそ意味がある」と雑誌で語っていた。同年11月、新潟市が主催する「第2回[[安吾賞]]」に選ばれる<ref>{{Cite news|title=野口健さんに安吾賞 特別賞はベンクスさん|date=2007-11-20|url=http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007112001000827.html|accessdate=2013-06-26|agency=[[共同通信社]]|publisher=[[47NEWS]]}}</ref>。11月30日付けで[[了徳寺大学]]客員教授(教養教育センター)に就任。
== 人物・評価 ==
* 2008年、[[植村直己冒険賞]]を受賞<ref>{{Cite news|title=野口健さんに植村冒険賞 エベレストで「清掃登山」|date=2008-02-12|url=http://www.47news.jp/CN/200802/CN2008021201000481.html|accessdate=2013-06-26|agency=[[共同通信社]]|publisher=[[47NEWS]]}}</ref>。同年、[[特定非営利活動法人|NPO法人]]「空援隊(くうえんたい)」に参加し、主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の[[遺骨収集事業|遺骨調査・収集活動]]を開始する<ref name="sapio20091125">{{Cite journal|和書|author=野口健、[[笹幸恵]]|date=2009-11-25|title=なぜ30代の私たちが戦没者の遺骨収容に取り組むのか=野口健×笹幸恵|url=http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091207-01/1.htm|journal=[[SAPIO]]|volume=21|issue=20|publisher=[[小学館]]|accessdate=2010-05-26}}</ref><ref>[http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51470217.html 理事辞任のブログ記事]</ref>。
選挙時応援活動多く行っているが特定政党に対する応援はなく、政治家個人(共に活動した仲間)を応援すスタンスを取っている<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2009/09/51308868.html 公式ブログ 選挙結果ついての思い]</ref>。[[チベット]]の人権侵害環境対策など[[中華人民共和国]]に対して批判的な意見を自身の公式ブログに載せている<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2010/07/51490641.html 公式ブログ チベットに自由と正義を~人権問題に国境はない~]等</ref>。
* [[2009年]]、「野口健環境学校」を[[岡山県]][[総社市]]ではじめる<ref>{{Cite news|title=野口健環境学校|url=http://www.city.soja.okayama.jp/kankyo/kurashi/gomi_recycle/gomisyuusyuu/nogutiken_kankyou_gakkou.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=総社市ホームページ}}</ref>。
* [[2010年]]、学校開校<ref>{{Cite news|title=ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクトについて|url=http://peak-aid.or.jp/action/manaslu-school.html|accessdate=2018-06-06|language=ja-JP|work=ピークエイド}}</ref>。以降、サマ村で新たに森林再生プロジェクトによりは植林が行われている<ref>{{Cite news|title=ヒマラヤに森をつくろうプロジェクトについて|url=http://peak-aid.or.jp/action/manaslu-forest.html|accessdate=2018-06-06|language=ja-JP|work=ピークエイド}}</ref>。同年に週刊文春(2010年3月18日号)で「空援隊が収集した遺骨にフィリピン人の骨が混じっている」という批判記事が掲載される。その対応を巡って空援隊の理事長と対立<ref>{{Cite news|title=ご遺骨収集で抱いた「日本人としての誇り」|url=https://shuchi.php.co.jp/article/868|accessdate=2018-05-28|language=ja}}</ref>、5月18日付の公式ブログで空援隊を離れたことを表明<ref>{{Cite news|title=空援隊を去るにあたり|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2010/05/51470217.html|accessdate=2018-05-28|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。以降は、自らが代表であるNPO法人PEAK+AIDの活動として沖縄での戦没者遺骨収集を行っている。
* [[2014年]]、岡山県総社市環境[[観光大使]]に就任<ref>{{Cite news|title=そうじゃ応援メッセージ21|url=http://www.city.soja.okayama.jp/siseizyouhouka/sisei/kouhou_kouchou/soja_doga/soja_ouen/soja_ouen_21.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=総社市ホームページ}}</ref>。
* [[2015年]]4月のネパール滞在中に[[ネパール地震 (2015年)|ネパール地震]]に被災。「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、復興支援を行う<ref>{{Cite news|title=産経新聞連載「ベースキャンプを襲った雪崩と爆風」|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2015/04/post-645.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。同年7月、「第一回[[安藤忠雄]]文化財団賞」を受賞した<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2015/07/post-689.html 安藤忠雄文化財団賞] ブログ 野口健公式ウェブサイト2015/07/16</ref>。安藤忠雄はシェルパ基金・マナスル基金に寄付をしており、安藤忠雄建築事務所は毎日新聞東京社会事業団が設立したネパール子ども病院の設計もしている<ref>{{Cite web|url=https://www.mainichi.co.jp/shakaijigyo/neparl.html|title=ネパール子ども病院:毎日新聞東京社会事業団|accessdate=2018-06-06|website=www.mainichi.co.jp|language=ja}}</ref>。
* [[2016年]]4月に[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]が発生。親しくしているシェルパから「日本に恩返しがしたい」と送金があったことから、車中泊での避難民のために[[熊本県]][[益城町]]にテント村を作る活動を行う<ref>{{Cite news|title=なぜ、熊本の被災地にテント村を作ったのか?―登山家・野口健氏の仕事論 - リクナビNEXTジャーナル|date=2017-05-22|url=https://next.rikunabi.com/journal/20170522_p1/|accessdate=2018-06-06|language=ja-JP|work=リクナビNEXTジャーナル}}</ref>。
* [[2017年]]4月、代表を務めるNPO法人ピーク・エイドと総社市が被災地でのテント村開発などの支援を積極的に行う協定を交わす<ref>{{Cite news|title=登山家野口健さんのNPOと協定 総社市、被災地テント村開設協力|url=http://www.sanyonews.jp/article/520760|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=山陽新聞デジタル|さんデジ}}</ref>。同年6月に[[三菱自動車工業|三菱自動車]]アンバサダーに就任<ref>{{Cite news|title=三菱自動車、アルピニスト野口健氏がアンバサダーに就任…アウトランダーPHEV贈呈 {{!}} レスポンス(Response.jp)|url=https://response.jp/article/2017/06/21/296423.html|accessdate=2018-06-06|language=ja|work=レスポンス(Response.jp)}}</ref>。


== 人物・評価 ==
タレントの[[イモトアヤコ]]が2012年9月に[[マッターホルン]]に登頂後、頂上からヘリコプターを利用して下山したことを批判した<ref>{{Cite news | url = http://www.rbbtoday.com/article/2012/10/01/95185.html| title = ヘリ使ったイモトのマッターホルン登頂SPに野口健が苦言 「テレビはそこまでやるんだね」 | publisher = RBB TODAY | date = 2012-10-01 | accessdate = 2015-01-27 }}「えっ、ヘリを使っていましたか(笑)。遭難、または体調不良がなければ通常では考えにくい選択肢。」「僕ならば登山は中止します。ガイドの判断だとするならばスイスでの登山はそれが一般的なのかもしれませんが。」「個人的な考え方ですが、山登りというものは自力で下山するところまでが山登り。」「エベレストはまだ早いんじゃないかな。」とツイッターで述べた。その後、イモトは[[マナスル]](8163m、死亡率17.85%)登頂に成功し自力で下山している。</ref>。


CM出演の際に「登山家」に代わる肩書きとして「アルピニスト」という肩書で紹介する提案を受け、もともと「登山家」という言葉に悪印象を持っていた野口は以後「アルピニスト」の肩書を使うようになった<ref>[https://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/lounge/back/011020/index.html 野口健インタビュー] J-Wave</ref>{{Refnest|group="注釈"|登山家の[[服部文祥]]は、アルピニストは[[アルピニズム]]に基き困難なスタイルで登山を行う者のことを意味し、野口の登山スタイルである大規模な遠征隊・固定ロープ・一般ルートといった手法が[[アルパインスタイル]]の対極にあることから、野口のことをアルピニストとは言えないと評している。<ref>「ZAITEN」2014年10月号、[[財界展望新社]]、p72</ref>。「山と渓谷」2014年2月号に類似の指摘がある。}}。2015年7月、「第一回[[安藤忠雄]]文化財団賞」を受賞した<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2015/07/post-689.html 安藤忠雄文化財団賞] ブログ 野口健公式ウェブサイト2015/07/16</ref>
* CM出演の際に「登山家」に代わる肩書きとして「アルピニスト」という肩書で紹介する提案を受け、もともと「登山家」という言葉に悪印象を持っていた野口は以後「アルピニスト」の肩書を使うようになった<ref>[https://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/lounge/back/011020/index.html 野口健インタビュー] J-Wave</ref>{{Refnest|group="注釈"|登山家の[[服部文祥]]は、アルピニストは[[アルピニズム]]に基き困難なスタイルで登山を行う者のことを意味し、野口の登山スタイルである大規模な遠征隊・固定ロープ・一般ルートといった手法が[[アルパインスタイル]]の対極にあることから、野口のことをアルピニストとは言えないと評している。<ref>「ZAITEN」2014年10月号、[[財界展望新社]]、p72</ref>。「山と渓谷」2014年2月号に類似の指摘がある。}}。
* マスコミへ露出さかんに行っており政治的な発言多さも知られ。自身の公式ブログやTwitter[[チベット]]の人権侵害環境対策など[[中華人民共和国]]に対して批判的な意見を載せている<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2010/07/51490641.html 公式ブログ チベットに自由と正義を~人権問題に国境はない~]等</ref>。
* 選挙時の応援活動を多く行っているが、特定の政党に対する応援ではなく、政治家個人(共に活動した仲間)を応援するとのスタンスを取っている<ref>[http://www.noguchi-ken.com/M/2009/09/51308868.html 公式ブログ 選挙結果についての思い]</ref>。環境保護関連で野口の活動に理解を示した[[橋本龍太郎]]・元秘書や側近たちの選挙応援、2005年9月の[[第44回衆議院議員総選挙]]・[[2016年東京都知事選挙]]では[[小池百合子]]の選挙応援・応援演説に駆け付けている<ref>[http://www.tfm.co.jp/news/news_text.php?page=news&month=200509&day=20050922 09.22 アルピニストと環境相の関係] NEWS PROJECT</ref>。[[2007年東京都知事選挙]]では、[[石原慎太郎]]のポスターに登場した。
* タレントの[[イモトアヤコ]]が2012年9月に[[マッターホルン]]に登頂後、頂上からヘリコプターを利用して下山したことを批判した<ref>{{Cite news | url = http://www.rbbtoday.com/article/2012/10/01/95185.html| title = ヘリ使ったイモトのマッターホルン登頂SPに野口健が苦言 「テレビはそこまでやるんだね」 | publisher = RBB TODAY | date = 2012-10-01 | accessdate = 2015-01-27 }}「えっ、ヘリを使っていましたか(笑)。遭難、または体調不良がなければ通常では考えにくい選択肢。」「僕ならば登山は中止します。ガイドの判断だとするならばスイスでの登山はそれが一般的なのかもしれませんが。」「個人的な考え方ですが、山登りというものは自力で下山するところまでが山登り。」「エベレストはまだ早いんじゃないかな。」とツイッターで述べた。その後、イモトは[[マナスル]](8163m、死亡率17.85%)登頂に成功し自力で下山している。</ref>。
* 13歳のときに入手した[[ニコンの銀塩一眼レフカメラ製品一覧|NikonFM2]]を現在まで愛用している。登山を始め、エベレスト登頂までは動画で記録をしていたが、ものごとのB面(貧困問題など)を伝えていくには動画より写真のほうが見てもらいやすいと述べている<ref>{{Cite web|url=http://www.nikon-image.com/enjoy/life/talk/2012/1201/index.html|title=talk! talk! talk!(Beginning 出会い):アルピニスト・野口健さん {{!}} ニコンイメージング|accessdate=2018-06-06|website=www.nikon-image.com|language=ja}}</ref>。


== 家族 ==
== 家族 ==
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* 父の[[野口雅昭]]は[[会津若松]]出身で、エジプト[[公使]]、イタリア[[公使]]、イエメン[[大使]]、シドニー[[総領事]]、チュニジア[[大使]]などを務めた元[[外交官]]。政府開発援助(ODA)に取り組み、「物事について表面的なA面ではなく、努力しないと見えてこないB面を見ろ」と野口に教えてきた。シェルパ基金は野口が「ヒマラヤのB面を見た結果」であるとのこと<ref>{{Cite news|title=登山家 野口健さん|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/|accessdate=2018-06-04|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。
* 父の[[野口雅昭]]は[[会津若松]]出身で、エジプト[[公使]]、イタリア[[公使]]、イエメン[[大使]]、シドニー[[総領事]]、チュニジア[[大使]]などを務めた元[[外交官]]。政府開発援助(ODA)に取り組み、「物事について表面的なA面ではなく、努力しないと見えてこないB面を見ろ」と野口に教えてきた。シェルパ基金は野口が「ヒマラヤのB面を見た結果」であるとのこと<ref>{{Cite news|title=登山家 野口健さん|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/|accessdate=2018-06-04|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。
* 実母の野口モナ(旧姓:タドロス)は[[ヘリオポリス]]出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派の[[コプト教徒]]。モナの母は[[トルコ]]出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる<ref>{{Cite book|author=「確かに生きる―落ちこぼれたら這い上がればいい」(集英社文庫)|title=野口健|date=2009/6/26|year=|accessdate=|publisher=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
* 実母の野口モナ(旧姓:タドロス)は[[ヘリオポリス]]出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派の[[コプト教徒]]。モナの母は[[トルコ]]出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる<ref>{{Cite book|author=「確かに生きる―落ちこぼれたら這い上がればいい」(集英社文庫)|title=野口健|date=2009/6/26|year=|accessdate=|publisher=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
* 父親(野口雅昭)と実母(野口モナ)は、父親の2度目のエジプト勤務時代・野口が小学生の頃に離婚。その後、両親は共に再婚しており、父親の再婚相手が育ての母親である<ref>{{Cite news|title=母が永眠されました。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/11/50759378.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。父親と実母との間には兄が一人おり、野口は次男となる。
* 父親と実母は、父親の2度目のエジプト勤務時代・野口が小学生の頃に離婚。その後、両親は共に再婚しており、父親の再婚相手が育ての母親である<ref>{{Cite news|title=母が永眠されました。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/11/50759378.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。父親と実母との間には兄が一人る。
* 実母については、家族との時間を優先する実母と仕事人間の父親が合わなかったことが離婚原因となったこと、実母が再婚相手とも離婚して貧窮したため異父弟妹が大学を出るまで仕送りをしたことを野口が言及している<ref>{{Cite news|title=登山家 野口健さん|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/|accessdate=2018-06-03|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。その後実母はカナダに移住。2007年にテレビ朝日系列「[[グレートマザー物語]]」の企画で1度来日している<ref>{{Cite news|title=野口モナ来日|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/01/50815587.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref><ref>{{Cite news|title=母ちゃん、帰国。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/02/50822412.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 実母については、家族との時間を優先する実母と仕事人間の父親が合わなかったことが離婚原因となったこと、実母が再婚相手とも離婚して貧窮したため異父弟妹が大学を出るまで仕送りをしたことを野口が言及している<ref>{{Cite news|title=登山家 野口健さん|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/|accessdate=2018-06-03|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。その後実母はカナダに移住。2007年にテレビ朝日系列「[[グレートマザー物語]]」の企画で1度来日している<ref>{{Cite news|title=野口モナ来日|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/01/50815587.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref><ref>{{Cite news|title=母ちゃん、帰国。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/02/50822412.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 継母は、父親と二人暮らしの家庭に秩序とマナーをもたらし野口を再教育した。野口がエベレスト登頂に2度失敗し、3度目の挑戦のベースキャンプに「いつまでも登れないようではダメ。ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカーです。決着をつけてきなさい」という手紙を送っている<ref>{{Cite news|title=お母さん、ありがとう|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/12/post-266.html|accessdate=2018-06-04|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 継母は、父親と二人暮らしの家庭に秩序とマナーをもたらし野口を再教育した。野口がエベレスト登頂に2度失敗し、3度目の挑戦のベースキャンプに「いつまでも登れないようではダメ。ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカーです。決着をつけてきなさい」という手紙を送っている<ref>{{Cite news|title=お母さん、ありがとう|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/12/post-266.html|accessdate=2018-06-04|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。

2018年6月6日 (水) 10:55時点における版

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家亜細亜大学国際関係学部卒業。

現在はNPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表としてヒマラヤ・富士山での清掃活動などの環境問題への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている[1]

亜細亜大学[2]了徳寺大学[3]客員教授徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師[4]

経歴

生い立ち

日本人(元外交官野口雅昭)の父親と、エジプト人の母親(野口モナ)の次男としてボストンで生まれる。幼少期を父親の赴任先であるニューヨークサウジアラビアで過ごす。初めて日本に来たのは4歳の頃で、その頃は日本語が話せなかった。小学校6年時に両親が離婚し、カイロ日本人学校小学部からイギリスの立教英国学院小学部に転校。同学院の高等学校在学中に学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受け、停学中の一人旅で植村直己の著書「青春を山に賭けて」と出会い登山を始めた[5]。卒業後、亜細亜大学一芸入試で合格する。これもあり、植村を強く慕うようになる[6]

七大陸最高峰の最年少登頂達成

亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々に挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学に8年間在籍して登山を続け、卒業前の1999年(25歳)に世界最高峰エベレストに、3度目の挑戦で登頂に成功。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新した[注釈 1]

多方面での活動

1999年のエベレスト登頂以降、環境保護の観点から清掃活動を継続している。エベレスト(2000-2003年[7][8][9][10]2007[11],2008年[12]2011年[13])、マナスル(2006[14],2007年[15])の清掃活動をはじめ、富士山[16]、また全国各地でも精力的に清掃活動を行っている[17]

  • 2000年、遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」を設立[18]
  • 2006年、マナスル山麓のサマ村の教育支援のため「マナスル基金」を設立[20]
  • 2007年、東京ヴェルディの環境アドバイザーに就任。ヴェルディの2007年開幕戦であるザスパ草津戦の試合後に、両チームのサポーターと国立競技場周辺のゴミ拾いを行う。同年7月の参議院議員選挙出馬の噂もあったが、本人は自分のブログで「それはありません。私は現場の人間ですから。」と不出馬を表明。自民党からの出馬を目指す理由として「一見、環境保護には縁遠そうな自民党から議員になることにこそ意味がある」と雑誌で語っていた。同年11月、新潟市が主催する「第2回安吾賞」に選ばれる[21]。11月30日付けで了徳寺大学客員教授(教養教育センター)に就任。
  • 2008年、植村直己冒険賞を受賞[22]。同年、NPO法人「空援隊(くうえんたい)」に参加し、主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の遺骨調査・収集活動を開始する[23][24]
  • 2009年、「野口健環境学校」を岡山県総社市ではじめる[25]
  • 2010年、サマ村に学校が開校[26]。以降、サマ村で新たに森林再生プロジェクトによりは植林が行われている[27]。同年に週刊文春(2010年3月18日号)で「空援隊が収集した遺骨にフィリピン人の骨が混じっている」という批判記事が掲載される。その対応を巡って空援隊の理事長と対立[28]、5月18日付の公式ブログで空援隊を離れたことを表明[29]。以降は、自らが代表であるNPO法人PEAK+AIDの活動として沖縄での戦没者遺骨収集を行っている。
  • 2014年、岡山県総社市環境観光大使に就任[30]
  • 2015年4月のネパール滞在中にネパール地震に被災。「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、復興支援を行う[31]。同年7月、「第一回安藤忠雄文化財団賞」を受賞した[32]。安藤忠雄はシェルパ基金・マナスル基金に寄付をしており、安藤忠雄建築事務所は毎日新聞東京社会事業団が設立したネパール子ども病院の設計もしている[33]
  • 2016年4月に熊本地震が発生。親しくしているシェルパから「日本に恩返しがしたい」と送金があったことから、車中泊での避難民のために熊本県益城町にテント村を作る活動を行う[34]
  • 2017年4月、代表を務めるNPO法人ピーク・エイドと総社市が被災地でのテント村開発などの支援を積極的に行う協定を交わす[35]。同年6月に三菱自動車アンバサダーに就任[36]

人物・評価

  • CM出演の際に「登山家」に代わる肩書きとして「アルピニスト」という肩書で紹介する提案を受け、もともと「登山家」という言葉に悪印象を持っていた野口は以後「アルピニスト」の肩書を使うようになった[37][注釈 2]
  • マスコミへの露出をさかんに行っており、政治的な発言の多さでも知られる。自身の公式ブログやTwitterに、チベットでの人権侵害・環境対策など中華人民共和国に対して批判的な意見を載せている[39]
  • 選挙時の応援活動を多く行っているが、特定の政党に対する応援ではなく、政治家個人(共に活動した仲間)を応援するとのスタンスを取っている[40]。環境保護関連で野口の活動に理解を示した橋本龍太郎・元秘書や側近たちの選挙応援、2005年9月の第44回衆議院議員総選挙2016年東京都知事選挙では小池百合子の選挙応援・応援演説に駆け付けている[41]2007年東京都知事選挙では、石原慎太郎のポスターに登場した。
  • タレントのイモトアヤコが2012年9月にマッターホルンに登頂後、頂上からヘリコプターを利用して下山したことを批判した[42]
  • 13歳のときに入手したNikonFM2を現在まで愛用している。登山を始め、エベレスト登頂までは動画で記録をしていたが、ものごとのB面(貧困問題など)を伝えていくには動画より写真のほうが見てもらいやすいと述べている[43]

家族

  • 1995年にネパールで戸籍の無い未成年の少女と結婚するが、2年で離婚している[44]。その後、2003年7月に日本人女性と入籍[45]。2004年2月に第1子となる長女をもうけた[46]
  • 父の野口雅昭会津若松出身で、エジプト公使、イタリア公使、イエメン大使、シドニー総領事、チュニジア大使などを務めた元外交官。政府開発援助(ODA)に取り組み、「物事について表面的なA面ではなく、努力しないと見えてこないB面を見ろ」と野口に教えてきた。シェルパ基金は野口が「ヒマラヤのB面を見た結果」であるとのこと[47]
  • 実母の野口モナ(旧姓:タドロス)はヘリオポリス出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派のコプト教徒。モナの母はトルコ出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる[48]
  • 父親と実母は、父親の2度目のエジプト勤務時代・野口が小学生の頃に離婚。その後、両親は共に再婚しており、父親の再婚相手が育ての母親である[49]。父親と実母との間には兄が一人いる。
  • 実母については、家族との時間を優先する実母と仕事人間の父親が合わなかったことが離婚原因となったこと、実母が再婚相手とも離婚して貧窮したため異父弟妹が大学を出るまで仕送りをしたことを野口が言及している[50]。その後実母はカナダに移住。2007年にテレビ朝日系列「グレートマザー物語」の企画で1度来日している[51][52]
  • 継母は、父親と二人暮らしの家庭に秩序とマナーをもたらし野口を再教育した。野口がエベレスト登頂に2度失敗し、3度目の挑戦のベースキャンプに「いつまでも登れないようではダメ。ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカーです。決着をつけてきなさい」という手紙を送っている[53]
  • 祖父の野口省己陸軍大学出身で太平洋戦争時、インパール作戦等の陸軍参謀だった。昭和18年の出征からインパール作戦の失敗、敗走について、著書「回想ビルマ作戦―第三十三軍参謀痛恨の手記」 (光人社NF文庫) に書き残している。

主な登山歴

  • 1990年 8月(16歳) モンブラン (4,810m)登頂(ヨーロッパ大陸)
  • 1990年12月(17歳) キリマンジャロ (5,895m)登頂(アフリカ大陸)
  • 1992年 9月(19歳) コジアスコ (2,228m)登頂(オーストラリア大陸)
  • 1992年12月(19歳) アコンカグア (6,960m)登頂(南米大陸)
  • 1993年 6月(19歳) マッキンリー (6,168m)登頂(北米大陸)
  • 1994年12月(21歳) ヴィンソン・マシフ (4,892m)登頂(南極大陸)
  • 1996年 1月(22歳) エルブルス (4,892m)登頂(ヨーロッパ大陸、ロシア)
  • 1996年9月(23歳) チョ・オユー (8,201m)登頂[54]
  • 1999年 5月(25歳) エベレスト (8,844m)登頂(アジア大陸)ネパール側 - 七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)
  • 2007年 5月(33歳) エベレスト (8,844m)登頂(清掃登山)チベット側 [55]- ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目。

主な出演番組

山岳ドキュメンタリー番組

ニュース番組

  • MBSナウ毎日放送
    • 『20歳の南極(前・後編)』(1995年1月5・6日)
    • 『遥かなりエベレスト(前・後編)』(1995年4月27・28日)
    • 『エルブルースの絆』(1995年10月21日)
    • 『友人ナティーの死(前・後編)』(1995年12月14・15日)
    • 『エルブルースの絆2』(1996年2月10日
    • 『友人ナティーの魂(前・後編)』(1996年5月3・4日)
    • 『チョーユー』(1996年11月30日)
    • 『汚された最高峰〜チョモランマの知られざる現実』(1996年10月10日)
    • 『野口健さん、世界7大陸最高峰制覇!喜びの現地報告』(1999年5月17日)
    • 『野口健の新たな挑戦〜チョモランマ清掃登山』(2000年6月7日)
  • 筑紫哲也ニュース23『ヒマラヤ大雪崩から半年、遺品を回収』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月10日)
  • スペースJ『友人ナティーの死』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月22日)
  • VOICE(毎日放送)
    • 『野口健、最後のチョモランマ清掃登山へ』(2003年4月10日)
    • 『野口健、決死の清掃登山〜チョモランマ』(2003年7月1日)
    • 『野口健、最後のチョモランマ』(2007年6月29日)

バラエティー番組、その他

ほか多数

CM

著作

単行本

  • 大冒険術―ぼくらはなぜ世界に挑むのか(2000年5月、文藝春秋) – 白石康次郎との共著
  • 100万回のコンチクショー(2002年2月1日、集英社) – 2004年に文庫化
  • 落ちこぼれてエベレスト(2003年1月1日、集英社)
  • あきらめないこと、それが冒険だ―エベレストに登るのも冒険、ゴミ拾いも冒険! (2006年6月1日、学習研究社)
  • 中学生のためのショート・ストーリーズ 2 (2) パックンマックンが選ぶ旅と冒険の話集(2007年2月、学研プラス) – パックンマックンとの共著
  • 確かに生きる―10代へのメッセージ (2007年7月22日、クリタ舎)
  • 100 Remains―登山家、野口健が山で集めたゴミ。美術家、田中朝子が集めた野口健の言葉。(2008年2月、ごま書房) – 田中朝子との共著
  • 富士山を汚すのは誰か ――清掃登山と環境問題 (角川oneテーマ21) (2008年5月10日、角川グループパブリッシング
  • 自然と国家と人間と(2009年2月、日本経済新聞出版社
  • 確かに生きる―落ちこぼれたら這い上がればいい(2009年6月26日、集英社)
  • それでも僕は現場に行く(2011年6月22日、PHP研究所
  • 世界遺産にされて富士山は泣いている(2014年6月14日、PHP研究所)

写真集

  • 写真集 野口健が見た世界 INTO the WORLD(2013年7月5日、集英社インターナショナル)
  • 写真集 ヒマラヤに捧ぐ(2016年2月15日、集英社インターナショナル)
  • 震災が起きた後で死なないために 「避難所にテント村」という選択肢 (2017年4月14日、PHP研究所)

社会貢献活動

関連項目

注釈

  1. ^ 同記録は2年後の2001年に、当時23歳の石川直樹によって更新され、さらには2011年に15歳のアメリカ人ジョーダン・ロメロ英語版が更新した。
  2. ^ 登山家の服部文祥は、アルピニストはアルピニズムに基き困難なスタイルで登山を行う者のことを意味し、野口の登山スタイルである大規模な遠征隊・固定ロープ・一般ルートといった手法がアルパインスタイルの対極にあることから、野口のことをアルピニストとは言えないと評している。[38]。「山と渓谷」2014年2月号に類似の指摘がある。

参考資料

  1. ^ “団体概要” (日本語). 団体概要. http://peak-aid.or.jp/about/ 2018年5月28日閲覧。 
  2. ^ 野口健氏 | 亜細亜大学”. www.asia-u.ac.jp. 2018年5月29日閲覧。
  3. ^ 平成29年度 新入生対象 野口健客員教授による特別講義及び新入生交流会について(ご案内) | 了徳寺大学”. www.ryotokuji-u.ac.jp. 2018年5月29日閲覧。
  4. ^ 整形外科 | 教室 | 徳島大学整形外科”. www.utokushima-orthop.com. 2018年5月29日閲覧。
  5. ^ “asahi.com(朝日新聞社):アルピニスト・野口健のおやじ 雅昭さん:2 山は自分をアピールする手段 - 天才の育て方 - 教育”. archive.is. (2018年6月5日). http://archive.is/PyRtv 2018年6月6日閲覧。 
  6. ^ 野口健公式ページならびにブログ・2008年2月13日 http://www.noguchi-ken.com/M/2008/02/51036231.html
  7. ^ 2000年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  8. ^ 2001年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  9. ^ 2002年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  10. ^ 2003年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  11. ^ 2007年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  12. ^ 2008年エベレスト清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
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  14. ^ 2006年マナスル清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  15. ^ 2009年マナスル清掃登山|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  16. ^ 富士山清掃|ブログ」『ブログ』。2018年6月6日閲覧。
  17. ^ コスモ アースコンシャス アクト”. www.tfm.co.jp. 2018年6月6日閲覧。
  18. ^ シェルパ基金設立の理由|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月6日閲覧。
  19. ^ “登山家の野口氏が出馬検討 来年の参院選、自民公認で”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年12月10日). http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003121001000496.html 2013年6月26日閲覧。 
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野口本人の著書

その他の資料

外部リンク