電子
電子(でんし、英語: Electron)とは、宇宙を構成する素粒子のうちのレプトンの1つである。素粒子の標準模型では、第1世代の荷電レプトンとして位置づけられる。
概要
- 陽子の質量と電子の質量との比 1836.152 672 45(75)[3]
他に弱アイソスピン、弱超電荷という性質を持つ。電子の大きさについては、標準模型では0とされるが、大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない。電子の大きさ・広がりに関して考慮する数値を以下に示す
古典半径:2.817 940 2894×10−15 m
上限半径:1.0×10−18 m
プランク長:1.6×10−35 m(超弦理論による電子)
シュヴァルツシルト半径:1.3×10−57 m
原子は、原子核と電子(核外電子)によって構成される。古典論的には、電子は原子核の周りを惑星のように回っていると考えられていた。量子力学的には、電子はとびとびのエネルギー状態を取りながら通常、最もエネルギー準位の低いところから順に原子軌道を占有していく。核外電子のエネルギー準位と化学的な意味については「電子配置」に詳しい。
ベータ崩壊の際に原子核内で発生してそこから出てくる粒子線に含まれる粒子、のうちの1つが電子である。中性子が発見される以前は、原子核中に電子が存在するという「核内電子説」が存在したが、ベータ崩壊で原子核から飛び出してくる電子は原子核中に存在していたわけではなく、弱い相互作用の結果発生したものが放出される。
電気伝導体内を流れる電流の担い手は、特定の原子の原子核にとらえられていない自由電子(伝導電子)である(電荷を運ぶという意味では、ホールやイオンも該当する)。特に半導体においては、伝導電子だけに注目して単に「電子」と表現することが多い(半導体素子において「電子が欠乏」と言っても、原子核だけになっている訳ではない)。
ただし、自由電子の移動する方向と電流の流れる方向は逆である。これは電気発見当時の科学者たちが電気(電流という意味としての)は+極(正極)から−極(負極)に流れると定義した後で、陰極線の発見(次項)により、自由電子の移動する方向は−極(負極)から+極(正極)であることが確かめられたのだが、電流は+極から−極に流れるということはすでに慣例となってしまっていたため、電流と自由電子の流れは逆と定義したわけである。
反粒子に陽電子(Positron)がある。陽電子はプラスの、電子と等しい電荷をもつ。1928年、ポール・ディラックが存在の仮説を立て、1932年にカール・デイヴィッド・アンダーソンが、霧箱を用いて観測、命名した。アンダーソンは、ポジトロンと対にするため、電子の正式な名称をエレクトロンからネガトロン(Negatron)に変更する運動を起こしたが、失敗に終わっている。
発見
電子の発見は陰極線の発見に端を発する。その当時物体は、電気を通す物体と電気を通さない物体に分類されることが一般的であった。しかし科学者たちはどんな物体の中でも電圧を上げれば電流を流すことができると考えていた。。そこでほぼ真空に近い陰極線管(クルックス管)に電圧をかけてみると直線状の影が現れた。ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタインはこの直線が陰極から発せられていたことから「陰極線」と名付けた。この陰極線の正体について学者らの意見は分かれた。欧州大陸の学者は陰極線の正体は海の波のように直線的に動いているので波動であるとし、イギリスの学者は重力の影響を受けないほど高速で移動している粒子であるとした。この大陸側とイギリス側の論争に決着をつけたのはイギリスの物理学者ウィリアム・クルックスであった。クルックスは、今日、自身の名前がつけられている陰極線管、いわゆるクルックス管を用いて、以下のような実験を提案した。
陰極線管に磁石を近づけた際に、
- 負に荷電した粒子であれば磁界によって偏向するだろう
- 波動であれば磁界によって偏向することはない
また、もし陰極線の正体が荷電した粒子であれば、電界によってより容易に偏向するだろうことが予測される。1897年に、イギリスの物理学者ジョセフ・ジョン・トムソンは磁気と電気をもちいて陰極線の正体が負に荷電した粒子、すなわち電子であるということをしめした。この電子の発見は原子モデルに大きな変化をもたらした。
その他
日本語では、素粒子の意味だけではなく、英語の"Electronic"または"Electronics"の訳としても、「電子」という語が使われる。このため、電子工学を応用した電子機器に、「電子」の語が冠されることがある。
他