日向 (日蓮宗)
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(身延門流から転送)
日向(にこう、建長5年2月16日(1253年3月16日)- 正和3年9月3日(1314年10月12日))は、鎌倉時代の僧侶、日蓮六老僧の一人である。佐渡公、また民部阿闍梨・佐渡阿闍梨とも[1]。日蓮宗総本山身延山久遠寺二世[2]、藻原妙光寺(今の藻原寺)二世[3]。日向の流れを、身延門流・日向門流または藻原門流という[4]。
生涯
[編集]生まれは、安房国男金[5]、もしくは上総国藻原[6]と諸説ある。13歳で日蓮に入門して出家得度してからは常にそばにいて仕える[1][7]。行学に励み弁舌に優れ、日蓮門下の「論議第一」と称された[1][7]。建治2年(1276年)、使者として日蓮の師道善房の墓前に赴き、日蓮による師追悼のための著述『報恩抄』を代読している[1][7]。同じく六老僧の一人である日興が執筆した『宗祖御遷化記録』に、「佐土公 日向」とその名を確認することができる[8]。正和2年(1313年)、身延山を日進に譲り、上総国の藻原に隠居するも、その翌年に62歳で死去した[1][7]。
著作
[編集]著作に『金綱集』がある[1][7]。なお、日蓮の法華経講義を日向が記録したものとして『御講聞書』があげられるが、現代では同書は日向の名を借りたものと考えられている[9][10]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 日蓮宗事典刊行委員会 1981, pp. 570–571.
- ^ 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981, p. 318,1144.
- ^ 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 1981, p. 199,1151.
- ^ 宮崎英修 1978, p. 185a-生月日を除くここまでのこと。
- ^ 宮崎英修 1978, p. 185.
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 570-571.
- ^ a b c d e 宮崎英修 1978, p. 185b.
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 710.
- ^ 宮崎英修 1978, p. 29.
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 37.
参考文献
[編集]- 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日。ASIN B000J7QTDQ。 NCID BA61075492。OCLC 17071163。
- 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 編『日蓮宗寺院大鑑』(初版)大本山池上本門寺、1981年1月1日。ASIN B000J80LMK。 NCID BN01669639。OCLC 33874438。
- 宮崎英修 編『日蓮辞典』東京堂出版、1978年7月10日。ISBN 978-4490101096。 NCID BN00793610。OCLC 5182140。
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