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蘇岩礁

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座標: 北緯32度07分22.63秒 東経125度10分56.81秒 / 北緯32.1229528度 東経125.1824472度 / 32.1229528; 125.1824472

蘇岩礁
中国語
繁体字 蘇岩礁
簡体字 苏岩礁
発音記号
標準中国語
漢語拼音Sūyánjiāo
注音符号ㄙㄨ ¯ㄧㄢˊㄐㄧㄠ ¯
朝鮮語
ハングル이어도 / 파랑도
漢字離於島 / 波浪島
発音記号
RR式Ieodo / Parangdo

蘇岩礁(そがんしょう)は、東シナ海沖合に存在する暗礁。蘇岩礁は中国における呼称であり、韓国では、この暗礁を離於島波浪島と呼称している[1]。英語名はソコトラ岩 (Socotra Rock) である。

概説

蘇岩礁と両国の距離

東シナ海沖合の北緯32度07分22.63度、東経125度10分56.81秒の位置に存在する。東シナ海のユーラシア大陸棚に位置し、現在、中国韓国が共同管理している排他的経済水域内にある。

蘇岩礁は、干潮時にもその岩頂は海面下4.6mの海中にあり、岩が海面上に姿を現すことはないためではない。しかし、韓国は、この暗礁を自国の島であり、済州特別自治道西帰浦市に属すると主張している。韓国がこの暗礁を基礎に海上へ海洋調査施設を建設したため、中国は韓国に対し、一方的な建設を中止するよう抗議している[2]

歴史

中国の古書『山海経』(前475年 - 前221年成立)に「東海之外、大荒之中、有山名曰猗天蘇山」と記載されている。この蘇山とは蘇岩礁のことであるとされる。

近代に入って蘇岩礁を初めて確認したのは、1900年の英国船ソコトラ号(Socotra)である。蘇岩礁は、中韓間の中間線の韓国側に位置しており、1952年に韓国により李承晩ラインが発表された際には、岩礁は発表した韓国領海内に位置していた。

  • 1910年 - 英国の軍艦 HMS Waterwitch によってその深度が5.4m以下であることが測量される。
  • 1938年 - 日本政府が蘇岩礁を測量する。観測施設を設立する計画は第二次世界大戦の勃発によって中断される。
  • 1951年 - 韓国海軍と韓国登山協会が"대한민국 영토 이어도" (大韓民国の領土離於島)と書かれたブロンズの記念碑を設置。
  • 1952年 - 韓国は李承晩ラインを宣言。蘇岩礁を含む海域を自国領海として宣言するも中国、日本を含む周辺各国に承認されず。
  • 1963年5月1日 - 中国遠洋運輸公司上海分公司の汽船躍進号が青島港を出航して下関港を目指して出航し、航海途中で沈没した。当初、魚雷3発を受けたと報告された。その後の調査ではその座標位置から、原因は蘇岩礁であると分かったが、危うく国際問題になるところだった[3]
  • 1970年 - 韓国の水中資源開発法によって蘇岩礁が4番目の水中地域に指定される。中国はこれを認めず。
  • 1982年に開催された第三次国連海洋法会議において採択された国連海洋法条約の121条1項においては、島の定義は「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」と定義される[4]
  • 1984年 - 済州大学校の調査チームによってその岩の位置が確認される。
  • 1987年 - 韓国が灯台を設置。
  • 1995年から2001年にかけて、韓国は蘇岩礁に離於島海洋調査施設を設置。中国は抗議。中国監視用航空機による偵察が幾度も行われた。
  • 2001年1月26日 - 韓国地質学会が蘇岩礁を離於島と命名。

論争

国連海洋法条約(中国・韓国共に批准している)では海面下の岩礁(暗礁)は領土として認められていないため、基本的には両国の中間線が排他的経済水域(EEZ)の限界となる。この原則からすれば、蘇岩礁は韓国のEEZ内にあり、韓国の人工的建造物の設置は認められる(但し、その建造物に対しての領海やEEZは設定できない)[5]

韓国は、「離於島(蘇岩礁)は明らかに韓国の領土」としてその領有を主張。国連海洋法条約が発効した翌年の1995年から2001年にかけて、中国政府の抗議を無視し、その暗礁から海上に『海洋調査施設』を建設した。中国は、中国側の大陸棚の延びるこの水域において韓国との間でEEZの確定をしておらず、中国側の大陸棚に位置する蘇岩礁への韓国の領有権主張や建造物の建設に対し抗議している。現在、蘇岩礁がある水域は両国間で暫定経済水域を敷いており、EEZの確定交渉を続けている。

韓国の中央日報によると、2006年9月、中国外務省の秦剛報道官は「蘇岩礁は(国際法上島ではなく)東中国海北部の水面下にある暗礁である」「東中国海北部海域の暗礁地帯であるこの海域をめぐって韓国との領土紛争は存在しない」と主張、韓国側の一方的な行動は全く法律的効力がないとしている。

伝説

「離於島」は済州道民の伝説に出てくる幻想の島、彼岸の島として知られている。韓国は、離於島を見ると帰って来られないという伝説は、済州道民が遠い昔にこの暗礁にきて操業をし、波の高さが10m以上になるとこの島が見えるが、当時の漁船ではそのような海上状況で無事に帰ることができなかったためであろうとしている。[6]金綺泳監督の1977年の映画「異魚島(イオド)」は、この伝説をモチーフにしている。しかし、伝説と蘇岩礁を結びつける証拠は見つかっていない。

また済州島付近に「波浪島(パラン島)」という島があると言われ、これを実存の島、または想像の島、干潮のときに少しだけ現れる島という話があり、韓国の学者たちが海軍艦艇で探した上、想像島と断定して帰ったことがあった。なお、「パラン」は朝鮮語の古語である。朝鮮語で「海」の15世紀語は「パラル」であり、済州方言では名詞の語尾に軟口蓋鼻音をつけることが多いことから、「パラル+ŋ」でパランになったとし、神話上の海中理想国と関連させる指摘がある。[7]

その後、1984年に済州大学が蘇岩礁を探査し波浪島と命名し、伝説と結び付けられた。

2001年に韓国地質学会がこの暗礁を離於島と命名し波浪島は公式名ではなくなったが、さらに北東4.5km地点に中国が暗礁を発見し丁岩礁と命名すると、韓国政府はそれを波浪礁と命名した。

波浪島について

蘇岩礁の韓国側の別名とされている「波浪島」は、元々韓国がサンフランシスコ条約締結以前に「対馬、波浪島、竹島は韓国領土である」とする意見書を米国に提出。対馬は日本領であることが明らかで、竹島についても韓国が支配した過去はないとして米国は拒絶。波浪島はそもそも実在しない島で、韓国は米国側に位置を尋ねられ「日本海にある小島」などと返答[8]し、“島の捜索”を始めた。韓国政府は、その後、当初の「日本海にある」との説明を一転させ、東シナ海にある蘇岩礁を波浪島と主張するようになった。

関連項目

参照

外部リンク