臨死体験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。F-mikanBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月23日 (水) 17:33個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ロボットによる: 秀逸な記事へのリンク eu:Heriotza mugako esperientzia)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

臨死体験(りんしたいけん、Near Death Experience)は、文字通りに言えば”臨死”、すなわち死に臨んでの体験である。英語ではNear Death Experienceと言い、日本語では訳語が「臨死体験」以外にも「近似死体験」などいくつか存在している。 また、臨死体験という用語で意識障害中に見る夢にある種の共通性が報告される現象まで一般化して指すこともある[要出典]

概要

英語ではNear Death Experienceと言い、日本語では訳語が「臨死体験」以外にもいくつか存在している。(→#名称・訳語

今までの調査を概観すると、心停止の状態から蘇生した人の4~18%が臨死体験を報告する[1]。現在では医学技術により、停止した心臓の拍動や呼吸をふたたび開始させることも可能になったため、死の淵から生還する人の数は過去に比べて増えている[2]。稀ではあるが、通常では助からないような重体からの生還例もある。[3]

臨死体験にはいくつかのパターンが見受けられる。光体験、人生回顧、知覚の拡大などが頻繁に報告される。臨死体験者は、それを宗教的なものとは感じておらず、スピリチュアルなものだと感じており、体験後は、既成の特定宗教の立場を離れ、より普遍的な宗教心の探究へと向かう傾向にある。臨死体験者はその体験後、全体的に健康状態が向上する傾向にあり、何割かはヒーリングの能力などを得たと報告する。また、日々の《当たり前のもの》を評価するようになり、思いやりが増し、物質主義から離れ、精神的なものを志向するようになるなどの変化が現れる傾向があるという。(→#臨死体験のパターンと経験者の変化

臨死体験に関する解釈仮説は様々である。(→#臨死体験に関する解釈や仮説で詳説)

名称・訳語

名称は英語: Near Death Experienceであり、略称はNDE。訳語はいくつか存在し、「ニアデス体験」「近似死体験」「臨死体験」等々。NHK1991年3月17日NHKスペシャルで「立花隆リポート 臨死体験~人は死ぬ時 何を見るのか~[4]」という番組を放送したのと、立花隆の著作『臨死体験[5][6]』(1994)が出版されたことにより、「臨死体験」という訳語が広まったともいう。なお、「臨死」とは『萬葉集』(万葉集)の挽歌では人が亡くなる直前を意味し、「臨死(みまか)らむとせし」と訓ずる。広辞苑では「臨死」で「死の瀬戸際」とする[7]。医療現場では末期ガン患者など、終末期で治療不能患者を「臨死患者」と表現することがある。

研究史

臨死体験の研究というのは、欧米では地質学者アルベルト・ハイムが登山時の事故で自身 臨死体験したことをきっかけに行い1892年に発表し先鞭をつけた[8]。その後、アメリカ心霊研究協会(ASPR)[9]のジェームズ・ヒスロップ[10]が1918年に、イタリアの医師ボッツァーノ(it:Ernesto Bozzano)が1923年に、イギリスの物理学者ウィリアム・フレッチャー・バレットが1926年に、それぞれ無関係に研究を発表したものの、その後1970年代までは(ごくわずかの例外を除いて)研究は途絶えた[8]

1975年に医師エリザベス・キューブラー=ロスと、医師心理学者レイモンド・ムーディがあいついで著書を出版したことで再び注目されるようになった[8]。 キューブラー・ロスのそれは『死ぬ瞬間』(1975年)で、約200人の臨死患者に聞き取りし、まとめたものである。事例に関する統計や科学的アプローチが行われるようになった。 1982年には、やはり医師(医学博士)のマイクル・セイボムも調査結果[11]を出版した。[8]

1977年にはジョン・オーデットを会長に臨死現象研究会が発足し、これは後に国際臨死体験研究会(IANDS)に発展し、国際会議が開かれている。

臨死体験のパターンと経験者の変化

臨死体験の内容

『最高天への上昇』ヒエロニムス・ボッシュ(15世紀~16世紀頃、油彩画)。死を暗闇とトンネルを通り抜けてまばゆい光の世界へ至る旅として描いているこの絵画は、臨死体験に酷似していると言われることがある[12]

体験者が意識を回復して蘇生した際の証言に基づくと、文化的な違いはあるが、体験の核となる部分を比較すると非常に似ているということが判っており、<>体験、光のトンネル、三途の川や花畑、死者、キリスト仏陀との対峙などの「死後の世界」と思われるようなものを見たり、一生の記憶のリピート現象(走馬灯)、体外離脱と呼ばれる体験をしたなどの一定のパターンが存在する(次の#臨死体験のパターンで詳説)。それらの組み合わせで成り立つという意見もある[4]

臨死体験のパターン

臨死体験には個人差がある。ただ、そこに一定のパターンがあることは否定できない。

  1. 死の宣告が聞こえる
    心臓の停止医師が宣告したことが聞こえる。この段階では既に、病室を正確に描写できるなど意識が覚醒していることが多い
  2. 心の安らぎと静けさ
    言いようのない心の安堵感がする
  3. 耳障りな音
    ブーンというような音がする
  4. 暗いトンネル
    トンネルのような筒状の中を通る
  5. 物理的肉体を離れる
    体外離脱をする
  6. 他者との出会い
    死んだ親族やその他の人物に出会う
  7. 光の生命
    光の生命に出会う。や自然光など、#省察
    自分の過去の人生が走馬灯のように見える。人生回顧(ライフレビュー)の体験。
  8. 境界あるいは限界
    死後の世界との境目を見る
  9. 蘇生
    生き返る

小児科学教授であるメルヴィン・モースは、比較的文化圏の影響が少ないと考えられる子供を対象とした研究を行った。その結果、子供の臨死体験では「体外離脱」「トンネル」「光」の3つの要素が見られ、大人よりもシンプルなものであると報告した。[13]

体外離脱体験

臨死体験中には体外離脱現象が起こることが知られており、体外離脱中に周りで起きた出来事を体験者が正確に描写できる事例も珍しくない。

マイケル・セイボムの研究では、臨死体験者たちが体外離脱中に観察した治療室の蘇生場面を描写した結果、専門医のカルテの記述と一致し、当のセイボム自身を驚かせている。彼が調査したある臨死体験者は治療者が行った施術の詳細や計器の針の数値、道具の色までもを描写できたという。

キンバリー・クラークによる研究では、病院内で昏睡状態にある患者が、病院の外で見た事象を語り始める例が紹介されている。心臓麻痺により病院に運ばれたマリアは、体外離脱を起こし病院から抜け出した後、病院の3階の窓の外にあるテニスシューズを確認し、意識回復後にキンバリーに報告した。。キンバリーが確認をしに3階に上がったところ、マリアの描写はシューズの色や形・状態にいたるまで正確であることが判明した。この「マリアとテニスシューズの例」は有名な体験例となった。

光体験

臨死体験中に起こる主な現象として「」体験が挙げられる。多くの体験者の報告する所によれば、この光は人格を持っており、かつ「命そのものの光」であり、この光に遭遇すると、「自分のすべてを知りつくされ、理解され、受け入れられ、赦され、完全にしぬかれる」体験が起きるとされる。この愛は恋人や家族から感じる愛情とは比較にならないほど広大であるように感じられる。また人間や生物のそれぞれの命が、自然界の大きな秩序の中で役割を果たして調和している現象などがこの光の中で見られたという。

レイモンド・ムーディの研究[14]によれば、臨死体験者のほとんどがこの光に遭遇したとされる。

日本人の臨死体験者でも「光体験」は多く報告されるが、それはあくまで自然的な光であり、アメリカの臨死体験者と比べて「愛」や「神」としてそれを認識する者は少数であるというデータがある[13]。「光」体験自体には文化を超えた共通性があるが、その解釈については文化的な影響に左右されると推測することもできる。日本人の「光」体験者の代表的な人物としては、鈴木秀子などが挙げられる。

メルヴィン・モースは、350名の臨死体験者に面接調査を行った結果「臨死体験においてもっとも大きな変化を遂げているのは光を体験した人々であり、光の経験が深ければ深いほど、変化の程度も甚だしい」と結論を出している。また子供の臨死体験者のうち88%が光の体験をしていると報告している[13]

人生回顧 (ライフレビュー) の体験

臨死体験者に一般的に起こるとされる現象である。この体験は、日常では記憶の底に忘れ去られていた過去の出来事を再体験するというもので、その際には体験者である自分の視点だけではなく、かつての自分が影響を与えた他者の視点からも出来事を再体験するという。過去に自分が他人を傷つければ、傷つけられた他者の視点からその体験を味わう。喜びを与えればそれも再体験される。こうした体験により、蘇生後は他者への思いやりや自己への責任感が飛躍的に強まるという。[15]

また自分が間接的に他者に与えた影響もここで体験する、との報告もある。有名な臨死体験者であるダニオン・ブリンクリーは、自らが配送した武器を自国の兵士たちが扱い、それにより殺された戦争被害者の感情や、その被害者を失った家族の悲しみを臨死体験中に味わったと著書で記述している。[16]また臨死体験者であるベティー・イーディーは、自らが起こした想念や行動が他人に影響を与える「ドミノの波」となり、世界中に影響を広げていき、最後には自分に戻ってくる、という「波及効果」のビジョンを見たことを著書で告白している。[17]

レイモンド・ムーディの研究例では、この回顧体験には光の存在が現れる場合と現われない場合とがあり、前者の方が体験が強烈になることが報告されている。また、他者の視点に立ち過去を振り返ることで、蘇生後はより調和的な人格に変わるという内容から、この体験の存在は、臨死体験が全て自分の脳内でのみ起こるという脳内現象説への1つの反証例となっている。

また、セイボムの研究によると、光体験やライフレビュー体験が起こる頻度は性別・年齢・宗教・人種・居住地による違いは見られず、ケネス・リングもほぼ同様の分析を行っている。宗教に関しても、キリスト教やそれ以外の宗教、無神論者のいずれにおいても体験の核に差はないと結論づけている。

臨死による人生回顧体験を記述していると思われる歴史的な文献については、パタンジャリにおける2000年前のヨガ文献、「チベット死者の書」「エジプト死者の書」、プラトンによるエルの彼岸への世界の旅の話などが挙げられる。

知覚の拡大現象 (盲目の臨死体験者の例より)

エリザベス・キューブラー=ロスにより、生前は盲目であった患者が臨死体験中に視力を取り戻し、体験中に病室などで起きた出来事を詳しく描写したという例が報告された。[18] 医師であるラリー・ドッシーは自著「魂の再発見」の中で、同じくこのような患者がいたと証言しているが、こちらは実際には寄せ集めの情報で作った架空の人物であることがわかっている[19]

ケネス・リング博士は目の不自由な臨死体験者約31人にインタビューをとった結果、回答者の80%が臨死体験中に「視る」ことができたことを認めた。この結果は、臨死体験者が現実の状況を生前以上に正確に把握できる例として、臨死体験の客観性をある側面から裏付けるものとなった[13]

このような「知覚の拡大」は臨死体験においては珍しい現象ではなく、「自分の周りを背中なども含めて360度同時に眺める事が出来た」「自分の生前の身体のまわりに集まる人々の思考が読めた」「生前に手足を切断された者が体験中は四肢を取り戻していた」などの現象も数多く報告されている。ロバート・サリヴァンの研究では、とある軍人が臨死体験後に「視覚の拡大」の能力を持ちかえり、第二次大戦中にその能力を用いて激しい銃撃戦から生還した例などが紹介されている。[20]

臨死体験後に起きる変化

アメリカのケネス・リング(en:Kenneth Ring)の研究によると、臨死体験者は既成の特定宗教の立場を離れ、より普遍的な宗教心の探究へと向かう傾向にある。オーストラリアのシェリー・サザーランド(Cherie Sutherland)の研究によれば、臨死体験者は臨死体験をスピリチュアル(霊的)なものとして認識しており、宗教的な体験だと感じるものはゼロであったという。

臨死体験者の多くは、体験後の自分の肉体的・心理的な変化を明らかに自覚している。ケネス・リングの研究によれば、臨死体験者の50%が体験後に「生体エネルギー」が増加したことを報告している。自ら臨死体験者であり研究者でもあるフィリス・アトウォーター(Phyllis Atwater)が700名の臨死体験者にアンケートを行ったところ、臨死体験者は全体的に健康状態が向上する傾向にあることが判明した。

ケネス・リングやサザランドの研究によると、何割かの臨死体験者は、体験後に癒しの能力やヒーリングの能力が身につき、「他人への同情心が深まり、他人の手助けをしたいという願望が強まった」と回答したという。ケネス・リングの調査では「他人に対する同情心や寛容心が強まった」と述べる体験者の増加が見られ、サザランドの研究では「他人をあるがままに受け入れられるようになった」と答えた体験者が多くみられた。[21]

ケネス・リングの著作 Lessons from the Light(2000)では臨死体験者に起こる変化が次のようにまとめられている(レイモンド・ムーディもほぼ同様の報告をしている)。

  1. 【人生への評価】
    何気ない会話、行動、自然など、日々の生活にある《当たり前のもの》を評価するようになる
  2. 【自己受容】
    他者からの評価を気にせずに、ありのままの自分を認められるようになる
  3. 【他者への気遣い】
    他者への思いやりが増大する
  4. 【生命への尊敬の念】
    特に環境問題や生態系への関心が強まる
  5. 【反競争主義】
    社会的な成功のための競争への関心が弱まる
  6. 【反物質主義】から【精神性への移行】
    物質的な報酬への興味は薄れ、臨死体験で起きた精神的変容へ関心が移行する
  7. 【知識欲求】
    精神的な知識への強烈な渇きを覚えるようになる
  8. 【目的意識】
    人生は意味に満ちており、すべての人生には神聖な目的があるという意識が育つ
  9. 【死の恐怖の克服】
    死への恐怖は完全に克服される。死のプロセス自体への恐怖は残る傾向もある
  10. 死後の世界の確信】や【生まれ変わりの存在についての肯定的な信頼】が育つ
  11. 【自殺の否定】
  12. への信頼】
  13. 【自己超越】
    小さな自己という殻を破り、宇宙全体へと開かれていく心の成長をのぞむ
  14. 【サイキック現象】
    ヒーリング予知テレパシー透視などの体験が数多く起こることが確認されている

アメリカに住むある臨死体験者は、自らの変容についてこうまとめている。「臨死体験が起きる前、私の優先事項は滅茶苦茶だった。その順位が完全にひっくりかえった。一番上だったものが一番下になった。人生を一日一日大切に生きるということがわかった[13]。」

臨死体験に関する解釈や仮説

臨死体験は多様性のある現象であり、様々な解釈仮説が可能となっている

辞書的な説明

広辞苑などの辞書では、「の瀬戸際での体験のこと。死に瀕して、あの世この世との境をさまよう体験[22]」といった説明がされている。

科学的な仮説・解釈

科学的に見て臨死体験が起きるメカニズムには諸説あるが、心停止により脳が酸素欠乏、意識の喪失へと陥る危機的状況の中で脳が普段と異なる振る舞いを見せるのだ、とする[1]。このうち体外離脱感覚と呼ばれる幻覚は側頭頭頂結節点を電気刺激することで誘発できることが知られている[1](第三者視点からみた自分と周囲の位置関係を聴覚情報などから推測する機能であると考えられている)。人生回顧現象については臨死時に限らず、交通事故が起きる瞬間や高所からの転落中など、危機的な状況にもよく起きる現象である。これは生命の危機を感じた脳が生存に役立つ情報を検索しているという説が有力視されている。また、このような危機的状況では、時間を遅く感じるタキサイキア現象などの非日常的な感覚が得られる。

ただし、こうしたいわゆる”科学的仮説”には、科学者や科学者である医師ら自身からも批判がある。臨死体験では、従来の唯物論的な理論の枠組みでは起きえない現象が起きているので、これを説明できる「新しい理論を考え出す時期に来ているのかも知れない。」とも指摘されている[1]。フランスのマルティーグ市で開催された世界最初の国際臨死体験医学学会では、8人の医師や研究者グループが声明を発表したが、そこで「臨死体験は脳の化学変化で起きている可能性もあるが、単なる幻覚とするにはあまりにも豊穣で複雑であるから、先入観を排除して研究をすべきである」としている[1]医師のマイクル・セイボムは、西洋科学で採用されがちな唯物論的解釈[23]と見なしている。ある研究者は、人間の脳に、死ぬ間際にだけ臨死体験を見せるプログラムが脳に隠れていると言うが、何のためにそれがあるのかは判らないと話す[4]

物理学者であるマイケル・タルボット(en:Michael Talbot (author))や医学博士心理学者で臨死体験の研究者であるレイモンド・ムーディは、そもそも現実とは1つの固定的なものではなく、集合的でホログラフィックな性質ものであるというホログラム説から臨死体験の説明を試みている。

臨死体験は脳内物質の分泌により起こる、とする「脳内現象説」は、臨死体験の全体性の説明には至らず現在では部分的な説明に留まっている。 臨死体験者が体外離脱中に周りの様子を正確に把握できたという事例に対する説明としては「臨死体験中の患者には聴覚や触覚が残っており、これらを繋ぎ合せて視覚的なイメージを作り上げたのではないか」という解釈が出ている。[4]日本の研究者である石井登は、セイボムによる研究成果を挙げて「体験者が詳細に描写した内容は視覚的にしか確認され得ないものだ」と反論している。 臨死体験者が体験中に感じる安らぎや至福感については「脳のエンドルフィンの分泌により起こる」という解釈がある。しかしエンドルフィンの効果はゆっくり薄れてゆくため、多くの臨死体験者が「体外離脱中はまったく痛みを感じず身体に戻った瞬間に痛みが復活する」と報告している点を、エンドルフィン説では説明できないという問題がある[13]。 また、臨死体験者が普通では知りえない情報を知覚できる点に対しては「体験者があらかじめ見聞きした情報が錯綜して、あたかも臨死中に見たかのように語っているのではないか」という疑問が出ている。しかし臨死体験前には知り得ない情報を臨死体験中に知ったという事例もある。一例としてエリザベス・キューブラー・ロスは「遠隔地にて自分とほぼ同時刻に死亡した友人と臨死体験中に遭遇した」事例を挙げている。このケースでは体験者は臨死体験中に、既に死亡している者のみに出会い存命している者は現れなかったという。[24]

また、こうした脳内現象説は「脳内物質の発生により体験が起こっている」という「因果関係」を明らかにしているとは言えず、体験と脳内物質との同時的な「対応関係」(相関関係)を説明しているだけなので、還元主義的に捉えるべきではないとの批判もある。[25]神経科医のヴィラヤヌル・S・ラマチャンドランは自著「脳のなかの幽霊」で、側頭葉神秘体験に関係しているという証拠は、「使いようによっては神の存在に対する反証ではなく、神の存在を支持する証拠にもなる」と語っている[26]

脳内現象説では説明できない現象の代表例として、脳波計がまったく無反応であるのに、臨死体験をしていたという事例が数多く存在する。体験者が夢を見たり、想像をしたりすればそれは脳波計に記録されることから、説明のつかない現象であるとされている。[27]また、単なる臨死体験の影響が単なる一時的な幸福感に留まらず、多くの体験者の人格や価値観、人生に対する態度を根本的に変えてしまうという事実に対しての解釈は出ていない[13]

スピリチュアルな解釈・仮説

心霊主義(spritualism)では霊魂が肉体とは別に実在するという心身二元論の立場に立っており、肉体から霊魂が分離する幽体離脱により臨死体験が起こるとされている。

スピリチュアリズムによる解釈の1つとして「アストラルトリップ説」がある。霊性を扱っているヨーガ神智学などの様々な伝統では、人間は肉体の他にエーテル体やアストラル体と呼ばれる微細身体をもつとされており、「肉体を捨てて別の身体に移行する」と体験者が報告することの多い臨死体験との関連性が注目できる。こうしたアストラル体については、現代においても数多くの体外離脱者や瞑想家によって報告されている。またプロセス指向心理学の創設者アーノルド・ミンデルは、意識不明であり昏睡状態にある人々とのワークの結果から、人間は複数の非物質的な身体を持ち、肉体が死に近づくにつれて、それらが活性化されてくるのではないかという仮説を唱えている。[28]

思想家であるヒューストン・スミス(en:Huston Smith)は、「物質という1つの尺度しか必要としない科学の方法論的な前提が、現代においては、他のリアリティは存在しないという存在論的な結論にすり替わっている」と述べ、物質界とは異なるリアリティの可能性について言及している。ヒューストン・スミスやエドワード・コンツェなどの研究者は、宗教・神秘学における伝統的な知見の多くには、「アストラル界(中間界)」の記述があると主張している。この領域は地上界と天上界(イデア・神界)の間にある領域で、人間が想像する物質やイマジナルなものがすべて含まれる世界であるという。またヒューストン・スミスは、臨死体験などの変性意識において個人的・幻覚的なビジョンと、個人性を超えたビジョンが現れる現象は、が個人的無意識の領域を通り抜け、集合的無意識に至り、その後にトランスパーソナルな領域へと進む事により起こるのではないか、と推測している。[29]

哲学的な解釈

日本の思想家である菅原浩は、「主観的な幻想」と「客観的な現実」を対立させる従来の二分法を批判している。菅原は臨死体験の真偽を論じる前に、そもそも「現実とは何であるか」という哲学による問いがまず為されるべきである、と主張している。そして「現実が意識から独立した客観的なものである、という世界観はそれ自体証明されたものではない」ことから、「現実とは、人間の主観で構成されている共同主観的なものであり、意識から独立した客観的現実は存在しない」と主張し、そこから「経験しうることは全て現実である」とする現象学的な経験主義を唱えている。[30]

超常現象的な解釈

記録の歴史

有史以来、類似の体験をした人々が多くいたようであり、西洋でも東洋でも類似の体験が様々な文献に記録されているという。

臨死体験を記述していると思われる歴史的な文献については、『チベットの死者の書』、エジプトの『死者の書』、プラトンによる『国家論』、ベーダによる『英国の教会と人々の歴史』などが挙げられる。

ハーバードで宗教学の講義を務めるキャロル・ザレスキーは、中世の文献は臨死体験の記述であふれていると指摘している。

日本では『今昔物語』『宇治拾遺物語』『扶桑略記』『日本往生極楽記』などに臨死体験そっくりの記述があるという[8]

臨死体験を扱った作品

有名な臨死体験者

脚注

  1. ^ a b c d e WILLIAMS, DANIEL (2007-08). “At the Hour Of Our Death”. TIME (タイム社(タイム・ワーナー)). ISSN 0040-781X. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1657919,00.html 2012年2月2日閲覧。. 
  2. ^ マイクル・B・セイボム「セイボムによる はしがき」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、xiii-xv頁。ISBN 978-4531080427 
  3. ^ 『未来からの生還』同朋舎出版
  4. ^ a b c d "NHKスペシャル 立花隆リポート 臨死体験~人は死ぬ時 何を見るのか~". 17 March 1991. NHK. 日本放送協会 {{cite episode}}: |series=は必須です。 (説明)
  5. ^ 立花隆『臨死体験』 上(初版)、文藝春秋(原著1994年9月)。ISBN 4167330091 
  6. ^ 立花隆『臨死体験』 下(初版)、文藝春秋(原著1994年)。 
  7. ^ 広辞苑第五版
  8. ^ a b c d e マイクル・B・セイボム「日本版のCarl Beckerによる序文」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、i, ii, iii頁。ISBN 978-4531080427 
  9. ^ en:American Society for Psychical Research
  10. ^ ドイツ語の記事あり。de:James Hyslop
  11. ^ Michael B. Sabom, Recollections of Death, 1982
  12. ^ マイクル・B・セイボム「第三章」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、pp.39-61頁。ISBN 978-4531080427 
  13. ^ a b c d e f g 石井登、2002年(平成14年)、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』、アルファポリス ISBN 978-4434025419 ASIN 4434025414:臨死体験研究読本: 脳内幻覚説を徹底検証 - Google ブックス 『臨死体験研究序説 脳内幻覚説を徹底検証』アルファポリス
  14. ^ 『かいまみた死後の世界』評論社
  15. ^ 『投影された宇宙』春秋社
  16. ^ 『未来からの生還』同朋舎出版
  17. ^ 『死んで私が体験したこと』同朋舎出版
  18. ^ 『死後の真実』日本教文社
  19. ^ スーザン・ブラックモア「生と死の境界」
  20. ^ 『ホログラフィック・ユニバース』春秋社
  21. ^ 『臨死体験研究序説 脳内幻覚説を徹底検証』アルファポリス
  22. ^ 広辞苑第五版、p.2817
  23. ^ マイクル・B・セイボム「第十一章」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、pp.303-315頁。ISBN 978-4531080427 
  24. ^ 『死後の真実』日本教文社
  25. ^ 『科学とオカルト』講談社
  26. ^ ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー 『脳のなかの幽霊』 山下篤子訳、角川書店、1999年、238頁。
  27. ^ 『投影された宇宙』春秋社
  28. ^ 『昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み』日本放送出版協会
  29. ^ 『忘れられた真理 世界の宗教に共通するビジョン』アルテ
  30. ^ 『魂のロゴス』アルテ

関連書

関連項目

外部リンク

Template:Link FA