木内鶴彦
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木内 鶴彦(きうち つるひこ、1954年- )は、長野県南佐久郡小海町出身の彗星捜索家である。2006年現在、佐久市在住。
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[編集] 人物
小学5年生の時に池谷・関彗星を見て以来、彗星に興味を持つ。学生時代には天文同好会に所属。卒業後も長野県臼田町(現佐久市)にて天体観測を続ける。
臨死体験者としても有名。航空自衛隊にて運航管理者(ディスパッチャー)として勤務していた22歳のとき、当時としては大変珍しい上腸間膜動脈性十二指腸閉塞で一度死亡を確認されるも30分後蘇生した。 死後蘇生したことが医師のカルテに記録されている例としては国内で唯一である。その経過は学会で報告され、本人側の記録も木内の著書として刊行されている。
回復後は、航空自衛隊を退官、彗星捜索を再開する。 コンピュータによる軌道計算と写真乾板による彗星探査が普通である中で、木内は電卓と大型双眼鏡での眼視によって、当時行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星を再発見するほか、3つの彗星を発見するなどして、全世界から一躍注目をあびた。
木内の当時の彗星捜索のスタイルは、毎日、大型双眼鏡を八ヶ岳の山中にかつぎ上げ、眼視で観測することが特徴であった。
2008年現在、全国で講演会・観望会を行い、天文や環境問題を説いて回っている。特に光害と、そこから派生する自然環境破壊を強く訴える。
2008年7月、2003年に出願していた、太陽光を利用した炭素化炉システムの特許が日本をはじめ各国において認可された。2009年完成を目指して実証試験炉を建設中である。 炭素化炉は、巨大な反射鏡により太陽光を集光し、真空透明容器に入れられた廃棄物等に照射することで処理を行う。通常の物質は炭素・水素・ナフサなどに分解し、二酸化炭素や有害ガス等は発生しない。ダイオキシンや化学兵器、爆薬なども安全に処理することができ、理論上は核廃棄物も処理可能であるという。 太陽光により処理をするため、燃料費が不要であり、環境汚染の恐れがない、あらゆるものの処理が可能であることなどが最大の特徴である。 また、生成される炭素・水素・ナフサは高純度であり、産業での利用が期待される。l
[編集] 略歴
- 1990年3月16日、チェルニス・木内・中村彗星(1990b)発見。
- 1990年7月16日、土屋・木内彗星(1990i)発見。
- 1991年1月7日、メトカーフ・ブリューイントン彗星発見。
- 1992年9月27日、スイフト・タットル彗星再発見。
- 1993年、北海道の北見観測所で円舘金と渡辺和郎が発見した小惑星 (5481) が「木内」(Kiuchi) と命名される。
- 2001年 6月公開の映画 STEREO FUTURE (製作・配給=東北新社 監督:中野裕之)に出演
- 2004年 長野県北佐久郡望月町(現長野県佐久市)に、北八ヶ岳第一天文台を開設。
[編集] 著書
- 「宇宙(そら)の記憶」…1995年11月、竜鳳書房‐ISBN 4-947697-00-8
- 「生き方は星空が教えてくれる」…2003年4月、サンマーク出版‐ISBN 4-76-319477-1

