紫の肖像

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紫の肖像
ディープ・パープルスタジオ・アルバム
リリース
録音 1972年7月10月
ジャンル ハードロック
時間
レーベル イギリスの旗パープル・レコード(オリジナル盤)
EMI(リイシュー盤)
アメリカ合衆国の旗日本の旗ワーナー・ブラザース・レコード
プロデュース ディープ・パープル
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 4位(イギリス[1]
  • 15位(アメリカ[2]、日本[3]
  • ディープ・パープル アルバム 年表
    ライヴ・イン・ジャパン
    (1972年)
    紫の肖像
    (1973年)
    紫の炎
    (1974年)
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    紫の肖像』(むらさきのしょうぞう、原題: Who do We think We are)は、イギリスロックバンドディープ・パープル1973年に発表したアルバム

    収録曲

    1. ウーマン・フロム・トーキョー - Woman From Tokyo 5分50秒
    2. マリー・ロング - Mary Long 4分25秒
    3. スーパー・トゥルーパー - Super Trouper 2分56秒
    4. スムース・ダンサー - Smooth Dancer 4分10秒
    5. ラット・バット・ブルー - Rat Bat Blue 5分23秒
    6. プレイス・イン・ライン - Place In Line 6分31秒
    7. アワ・レディ - Our Lady 5分12秒

    メンバー

    解説

    第2期最後のスタジオ・アルバムで、メンバーの人間関係、特にリッチー・ブラックモアとイアン・ギランの関係が険悪になった状況で、綿密な打ち合わせをせずに製作された作品であると認識されている。当時彼らは、後に伝説的なコンサートと評されることになる初日本公演[注釈 1]を目前に控えており、そのような問題を抱えていたにもかかわらず、皮肉にもやがて大きな商業的な成功と名声を得ることになる。

    1972年7月、メンバー間の意見調整が十分に行われぬまま、イタリアローマで本作のレコーディングが開始された。彼らは前作『マシン・ヘッド』と同様に、ローリング・ストーンズモービル・ユニットを使用したが、録音場所であるにモービル・ユニットを通すことが出来ず、ブラックモアはギター・パートをモービル・ユニットの車内で演奏した。レコーディングは同年10月にもドイツフランクフルトで行われ、ミックスダウンはロジャー・グローヴァーとイアン・ペイスが担当した。

    様々な問題を抱えながら完成した本作は1973年1月に発表され、ほぼ同時期に発表されたライブ・アルバムライヴ・イン・ジャパン』の好調な売り上げにも引っ張られて、本国イギリスで最高4位、アメリカで15位まで上昇しゴールド・ディスクを獲得した。

    作品の特徴

    人間関係の悪化からか、このアルバムではブラックモアの積極的なプレイがほとんど聴かれず、『ディープ・パープル・イン・ロック』ほどのハードさは無い。代わりに、この頃からシンセサイザーを使い始めたジョン・ロードの前衛的なキーボード・ソロが随所で披露されて、『マシン・ヘッド』よりもさらに音楽性の幅を広げた作品に仕上がっている。

    脚注

    出典

    1. ^ ChartArchive - Deep Purple
    2. ^ Deep Purple - Awards : AllMusic
    3. ^ 『オリコンチャート・ブックLP編(昭和45年‐平成1年)』(オリジナルコンフィデンス/1990年/ISBN 4-87131-025-6)p.205

    注釈

    1. ^ 当初は1972年5月に予定されていたが、ブラックモアとギランが病気で倒れたため同年8月に延期になっていた。