梁勇基
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名前 | ||||||
カタカナ | リャン・ヨンギ | |||||
ラテン文字 | RYANG Yong Gi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 朝鮮 | |||||
生年月日 | 1982年1月7日(42歳) | |||||
出身地 | 大阪府泉北郡忠岡町 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ベガルタ仙台 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴 | ||||||
2008- | 朝鮮民主主義人民共和国 | 15 (3) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
梁 勇基(リャン・ヨンギ、량용기、1982年1月7日- )は、北朝鮮代表で朝鮮籍を有する大阪府泉北郡[1]忠岡町出身のプロサッカー選手(MF)。Jリーグのベガルタ仙台所属。
来歴
2003年11月、ジェフユナイテッド市原の外国人枠で内定が見込まれたが、契約に至らなかった[注 1]。その後、2004年2月に川崎フロンターレのキャンプに参加したものの、ここでも契約には至らなかった[2]。Jリーグを諦めて韓国・Kリーグ入りを目指そうと渡航準備していた時、J2に降格したばかりのベガルタ仙台を高校時代の監督に紹介され[2]、テスト生として入団し、プロ契約に至った。1年目からチームの即戦力として起用されるようになり、この年はリーグ戦32試合に出場。翌2005年にはレギュラーとして完全に定着し、2007年以降は5年連続でリーグ戦全試合出場を果たしている。2008年、2009年はチームの主将も務めた。
2011年3月29日に開催された「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」[注 2]では、日本国籍以外の選手としてはただ一人、Jリーグの選抜チームである「Jリーグ TEAM AS ONE」のメンバーに選出され、日本代表と初めて対戦した[注 3]。
エピソード
フリーキックの精度が高く、阪南大時代はフリーキッカーを任されていたが、仙台に入団してからはシルビーニョがいたためにキッカーはあまり任されなかった。2004年後半から練習で蹴り始め、シルビーニョの退団後はほぼ彼に任されている。2008年のジュビロ磐田とのJ1・J2入れ替え戦でも川口能活から距離がありながらもゴールを決めた。2009年J2第10節のロアッソ熊本戦では1試合で2本決めている。PKキッカーも任されている。
J2の連続試合出場記録(145)を持っている。仙台のJ1昇格後も連続試合出場を2シーズン続けていたが、2012年2月のタイ遠征で右膝を傷めJ1開幕戦に出場できず、ディビジョンをまたいでのJリーグ連続試合出場記録は「213」でストップした[4]。
高級学校時代、成績は学年でトップクラスだったが、阪南大学でサッカーをするために同大学へ進学した[1]。好きな芸人は宮川大輔である[1]。
代表歴
北朝鮮代表にもたびたび招集されており、2008年の東アジア選手権や南アフリカW杯・アジア3次予選にも出場した。
2009年に北朝鮮代表が東アジア選手権予選で敗退した際、出場していた同じ在日朝鮮人の鄭大世が梁を待望するコメントを出している。北朝鮮代表が44年ぶりのW杯に挑む2010年、いわゆるBチームではあるが代表に2年ぶりに招集され、AFCチャレンジカップ2010優勝に大きく貢献。大会得点王及びMVPを獲得した。
2010年5月には南アフリカW杯本大会の北朝鮮代表候補(24名)に選出されたが、予備登録締め切り日までに手続きが遅れた影響で予備登録メンバーにも登録されず、直前合宿に参加したものの最終エントリーメンバーに残れなかった。実質サポートメンバーとして北朝鮮代表には引き続き帯同した。
同年12月24日にはAFCアジアカップ2011の北朝鮮代表に選出され、グループリーグ全3試合に出場した(うち2試合で先発)。2011年は2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の北朝鮮代表に選出。日本戦(アウェイのみ)にも出場したが、同予選では特に目立った活躍はできず、チームも最終予選に進めなかった。
所属クラブ
- ユース
- プロ
- 2004年 - ベガルタ仙台
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 阪南大 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||
2003 | 14 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||
2004 | 仙台 | 30 | J2 | 32 | 2 | - | 2 | 0 | 34 | 2 | |
2005 | 39 | 6 | - | 1 | 0 | 40 | 6 | ||||
2006 | 10 | 42 | 4 | - | 1 | 0 | 43 | 4 | |||
2007 | 48 | 8 | - | 1 | 0 | 49 | 8 | ||||
2008 | 42 | 13 | - | 0 | 0 | 42 | 13 | ||||
2009 | 51 | 14 | - | 4 | 1 | 55 | 15 | ||||
2010 | J1 | 34 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 37 | 11 | ||
2011 | 34 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 4 | |||
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 68 | 15 | 6 | 0 | 1 | 0 | 75 | 15 | |
日本 | J2 | 254 | 47 | - | 9 | 1 | 263 | 48 | |||
日本 | 他 | - | - | 4 | 2 | 4 | 2 | ||||
総通算 | 322 | 62 | 6 | 0 | 14 | 3 | 342 | 65 |
その他の公式戦
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合1得点
経歴
代表歴
- 2005年東アジア競技大会(マカオ)
- 2010年AFCチャレンジカップ(スリランカ)得点王(4得点)・大会MVP
- 朝鮮民主主義人民共和国代表通算11試合9得点(2005)
- 国際Aマッチ 通算15試合3得点[5](2011年12月11日現在)
北朝鮮代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2008 | 2 | 0 |
2009 | 1 | 0 |
2010 | 4 | 2 |
2011 | 8 | 1 |
通算 | 15 | 3 |
受賞歴
- Jリーグアウォーズ
- 2011年 フェアプレー個人賞
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c 「日本列島ルーツ探訪」『週刊サッカーダイジェスト』2010年4月20日号
- ^ a b 仙台梁「悲願J1昇格、ホンマ長かった」 日刊スポーツ 2009.11.9
- ^ 震災経験、仙台MF梁勇基「参加してよかった」 スポーツニッポン 2011.3.30
- ^ 梁、連続出場「213」でストップ…仙台 スポーツ報知 2012.3.11
- ^ 梁勇基 - National-Football-Teams.com(英語)