太平洋不動産

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による 2022年6月3日 (金) 23:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.toshiseibi.metro.tokyo.jp) (Botによる編集))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

太平洋不動産株式会社
Taiheiyo Real Estate Corporation
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
160-0023
東京都新宿区西新宿六丁目24番1号
西新宿三井ビルディング 15階
北緯35度41分42秒 東経139度41分20.4秒 / 北緯35.69500度 東経139.689000度 / 35.69500; 139.689000座標: 北緯35度41分42秒 東経139度41分20.4秒 / 北緯35.69500度 東経139.689000度 / 35.69500; 139.689000
設立 1921年(大正10年)3月29日
業種 不動産業
法人番号 1011001001010 ウィキデータを編集
事業内容 不動産賃貸業売買仲介業、プロパティマネジメント、建物総合メンテナンス
代表者 原口恭一郎(代表取締役社長)
資本金 3,200万円
売上高 11億3,800万円
従業員数 18名
主要株主 太平洋セメント株式会社
外部リンク http://www.taiheiyofudosan.co.jp/
テンプレートを表示

太平洋不動産株式会社(たいへいようふどうさん)は、東京都新宿区に本社を置く、不動産賃貸業・売買仲介業などを行う会社である。太平洋セメントの関連会社。

地元資本中心で設立されたが、浅野泰治郎(浅野総一郎(2代目))の出資により、浅野セメント(現在の太平洋セメントの前身の一つ)を中核とする浅野財閥の鉄道部門の一社となった。かつては戦時買収による国有化を経て東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となっている南武線を建設・開業し、および五日市線を買収により運営していた鉄道事業者で、当時は南武鉄道株式会社という社名であった。また、2014年までは「新宿パークホテル」を運営していたが、同年3月に閉館した。

なお、神奈川県に本社を置く同名の不動産会社とは無関係である。

沿革

鉄道事業者時代

南武鉄道社紋
南武鉄道社紋

不動産事業者へ転換

本社移転と千駄ヶ谷五丁目北地区第一種市街地再開発事業

  • 2013年(平成25年)12月 - 新宿パークホテルの閉館を同ホテル公式サイト上で告知。
  • 2014年(平成26年)
  • 2015年(平成27年)
    • 3月 - 東京都が千駄ヶ谷五丁目北地区第一種市街地再開発事業を事業計画認可[10]
    • 3月31日 - 新宿パークビルの建物解体工事完了。再開発事業に参加している日本製粉本社ビル・日本ブランズウィックビルの2棟、及び隣接する農林中金家の光ビル(高度利用地区指定)も解体された。
  • 2016年(平成28年)2月 - 千駄ヶ谷五丁目北地区第一種市街地再開発事業に係る権利変換[10]

脚注

  1. ^ a b 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、pp.69-70,184
  2. ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、pp.70,185
  3. ^ a b 太平洋不動産株式会社. “会社概要”. 太平洋不動産株式会社. 2019年4月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 太平洋不動産株式会社. “会社沿革”. 太平洋不動産株式会社. 2019年4月26日閲覧。
  5. ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、pp.73,183
  6. ^ 渡邉恵一『浅野セメントの物流史』立教大学出版会、2005年、pp.237-238. ISBN 4-901988-05-0
  7. ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年、p.183
  8. ^ ただし立川 - 西立川駅間は「青梅短絡線」として活用
  9. ^ 『会社四季報. 昭和22年 9月刊』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ a b c 東京都都市整備局. “千駄ヶ谷五丁目北地区第一種市街地再開発事業”. 東京都都市整備局. 2019年4月26日閲覧。

外部リンク