古代エジプト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Xqbot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月25日 (金) 23:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.3) (ロボットによる 変更: gv:Yn Çhenn Egypt)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

古代エジプトの象形文字(聖刻文字)

古代エジプト(こだいエジプト)とは、古代のエジプトに対する呼称。具体的には紀元前3000年に始まった第一王朝から紀元前30年プトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまでの時代を指す。

古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域分の面積だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯(ナイル河デルタ)が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、ファラオ(王)の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。

ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量幾何学が発達した。

最初期における農耕文明の一つとされるメソポタミアと早くから交易が行われていたとされるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定していた。

古代エジプト史

古代エジプト前史

古代エジプト人は、元号のように「『王の名前』の統治何年目」のように歴史を記録していた。そのため、絶対的な年代表記法に置き換えた時に、幾分かの誤差があるだろうと言われる。初期王朝の始まりも5年から20年ほどの誤差がある可能性が指摘されている。

古代エジプトは、次の時代に区分されている。

エジプト原始王朝時代(黎明期、上エジプト、下エジプト)

上エジプト古埃及皇家陪葬品
上エジプト古埃及石碑

国家の統一前。
上エジプト 都市:ヒエロコンポリス、ナカダ、アビュドス、クストゥール、エレファンティネ
下エジプト
上下エジプトの中心地:メンフィス

    • やや遅れて成立したとみられる都市
    • 上エジプト:エル・カブ、エドフ、コプトス、アビュドス、ブーヘン、ウロナルティ、ミルギッサ、クンマ
    • 下エジプト:ヘリオポリス、ギザ
    • ワインの生産が始まる。
    • 灌漑農耕が始まりパレスチナ、シリア方面に進出。
  • 紀元前3300年頃ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦シリウス・ナイル暦)が普及する。

エジプト初期王朝時代(第1 - 2王朝)

国家の統一
首都:メンフィス

  • 紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王(メネス王、ホル・アハ王とも)上下エジプトの統一
    • 上下エジプトの王として確認された王として最古の王である。ナルメル王よりも古い上下エジプトの王がいた可能性もある。(サソリ王が有名)

エジプト古王国時代(第3 - 6王朝)

中央政権が安定。
首都:メンフィス

エジプト第1中間期(第7 - 10王朝)

エジプト中王国時代(第11 - 12王朝)


首都:テーベ

エジプト第2中間期(第13 - 17王朝)

エジプト新王国時代(第18 - 20王朝)

領土がナイル川流域を越えて最大版図となり、「帝国時代」とも呼ばれる。
首都:テーベ

エジプト第三中間期(大司祭国家、第21 - 26王朝)

残る1000年は、他国に対する軍事的劣勢が続く。

エジプト末期王朝(第27 - 31王朝)

プトレマイオス朝

ギリシャ人による王朝。

古代エジプトの通貨

貨幣には貴金属が使われた。初期には金属を秤で量ってやりとりされたが、後期には鋳造貨幣が用いられた。

興味深い例としては、小麦などの穀物を倉庫に預けた「預り証」が、通貨として使われたこともある。現在の通貨と違うのが、穀物は古くなると価値が落ちるということである。したがって、この通貨は長期保存の出来ない、時間の経過とともに貨幣価値の落ちていく通貨である。

結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換するという行為が行われたため、流通が早まった。その結果、古代エジプトの経済が発達したといわれ、この事例は地域通貨の研究者によって注目されている。

また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、『価値の減っていく通貨』による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという意見もある。

文字の創出

  • ヒエログリフの誕生については、ナイル河沿岸で独自に字形を創出したと考えられるものの、確定するまでには至っていない。メソポタミアの文字より年代的に500年ほど古いヒエログリフが出土している。

その他

  • 紀元前3800年頃にビールの生産が始まり、紀元前3500年頃にワインの生産が始まった。ワインブドウは麦と違い外来作物であり、ワインは高貴な酒で一般市民はビールを飲んだが、後に生産量が増えて市民にも広まった。
  • エジプト国内においては木材鉱物資源が乏しかったため、、木材(レバノン杉)、瑠璃などをシリアパレスチナエチオピアイラクイランアナトリアアフガニスタン等から輸入して用いていた。
  • 1%程度の少ない貴族階級が土地を所有し支配していた。残る99%である殆どの平民は小作だった。ファラオによって土地を与えられることにより貴族となるが、ファラオが交替したり、王朝が変わると、土地を取り上げられ貴族ではなくなる事も多く、貴族は必ずしも安定した地位にあるわけではなかった。
  • 上下のエジプトに分かれていたが、後に統一された。なお、前述のように上下というのはナイル河の上流・下流という意味であり、ナイル河は北に向かって流れているため、北にあたる地域が下エジプトである(逆もまた然り)。
  • 1日を24時間としたのは、エジプトだと言われている。昼と夜の時間をそれぞれ10時間、計20時間とされていた。しかしその後、昼と夜との境界の時間をそれぞれに加え、24時間と制定されたとされる説が有力である。

古代エジプト用語

  • ファラオ - 神権皇帝。わずかな例外を除き男性。継承権は第一皇女にある。したがって第一皇女の夫がファラオになる。神権により支配した。名前の一部には神の名前が含まれる。
  • ネメス - ファラオの付けている頭巾。

関連項目

著名な研究者

外部リンク

Template:Link FA Template:Link FA Template:Link FA

Template:Link FA Template:Link GA Template:Link GA Template:Link GA

Template:Link GA Template:Link GA Template:Link GA Template:Link FA