アメンホテプ4世
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アメンホテプ4世(Amenhotep IV)は古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)で、生年紀元前1362年?~没年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?~紀元前1336年?ころである。
後に改名してアクエンアテン(Akhenaten)、イクナートン。彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。
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[編集] 改革の原因
アメン(アモン、テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことを、アメンホテプ4世が嫌ったと考えられる。 またアメンホテプ4世自身が奇形で病弱であったがために、神官勢力が神(アメン)の呪いである根拠としたことも原因の一つでもあると考えられる。
前者の理由が一般的だが、アメンホテプ4世自身がアテンを称える詩を執筆している等単なる政治的理由だけでは説明のつかない事も多く、後者の理由も大きかった事がうかがえる。
[編集] 宗教史的意義
多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた事が挙げられる。
ただし、著名な宗教学者のエリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を評し、「実際には二神教であった」としている。 というのもアメンホテプ4世の宗教ではアテンのみならず、伝統的なエジプト宗教と同じく王たるアメンホテプ4世自身も神であるとされたからである。
アテンは太陽円盤の形で数多くの手を持っており、通常のエジプト宗教においてこれは多くの民を救う為のものであると解釈されていたにも関わらず、アメンホテプ4世の宗教では、アテンはアメンホテプ4世だけの為の神であった。そしてその他の一般の民に対してはアメンホテプ4世自身を神として崇拝するよう説いたのである。
[編集] 改革の内容
- 首都をテーベからナイル川を277キロほど下った東岸のアケトアテン(現名:テル・エル・アマルナ)に移転。
- 従来の多くの神々の崇拝を禁じて、神々の像を破壊し、唯一神アテンへの信仰に切り替えた。自らもアクエンアテン(イクナートン,アトンに愛されるものの意)と名前を変えた。
- アマルナ美術と呼ばれる、写実的・開放的な芸術を生み出した。
[編集] 后妃・子女
妻には古代エジプト三大美女の一人と言われるネフェルティティがいる。子には次代のファラオスメンクカーラー(弟で共同統治者という研究もある)、その次の代のファラオで黄金のマスクで有名なツタンカーメン、ツタンカーメンの妃アンケセナーメンなどがいる。
[編集] 先代次代
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