アメンホテプ4世
アメンホテプ4世(Amenhotep IV)は古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)で、生年紀元前1362年?~没年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?~紀元前1336年?ころである。
後に改名してアクエンアテン(Akhenaten、イクナートンとも)と名乗る。彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。
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[編集] 改革の原因
アメン(アモン、テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことをアメンホテプ4世が嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙ったと考えられる。前者の理由が一般的だが、アメンホテプ4世自身がアテンを称える詩を執筆している等単なる政治的理由だけでは説明のつかない事も多く、後者の理由も大きかった事がうかがえる。
アメンホテプ4世の像は指が異常に長い、顎が尖る、脂肪の付き方が不自然であるなどマルファン症候群の特徴的な症状を持つように受けられ、生前から奇形だったという説もあるが、王家の血筋ではない王妃ネフェルティティや家臣たちも同様の形式で描かれることから、これはアマルナ美術特有の高貴な人々の表現形態であったと見るのが妥当である。また、遺伝子調査による王族のミイラ特定に伴い、この表現は、王家の人々の容姿の特徴をかなり誇張したものであることも分かってきている。 病弱であったとする証拠は特に無く、かつては憶測のままだったが、2010年の本人のミイラ特定により、今後の研究が待たれる状態となっている。
[編集] 宗教史的意義
多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた事が挙げられる。
ただし、著名な宗教学者のエリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を評し、「実際には二神教であった」としている。 というのも彼の宗教ではアテンのみならず、伝統的なエジプト宗教と同じく王たるアメンホテプ4世自身も神であるとされたからである。
アテンは太陽円盤の形で数多くの手を持っており、通常のエジプト宗教においてこれは多くの民を救う為のものであると解釈されていたにも関わらず、アメンホテプ4世の宗教では、アテンはアメンホテプ4世だけの為の神であった。そしてその他の一般の民に対してはアメンホテプ4世自身を神として崇拝するよう説いたのである。
[編集] 改革の内容
- 首都をテーベからナイル川を277キロほど下った東岸のアケトアテン(現名:アマルナ)に移転。
- 従来の多くの神々の崇拝を禁じて、神々の像を破壊し、唯一神アテンへの信仰に切り替えた。自らもアクエンアテン(イクナートン,アトンに愛されるものの意)と名前を変えた。
- アマルナ美術と呼ばれる、写実的・開放的な芸術を生み出した。
[編集] 后妃・子女
妻は4名、うち2名は実子。
- ネフェルティティ - 古代エジプト三大美女の一人と言われ、6人の娘を産んだ。
- キヤ - ツタンカーメンの実母にあたる。
- メリトアテン - 実の娘(ネフェルティティの長女)でもある。メリタトンとも表記される。
- アンケセンパーテン - 実の娘(ネフェルティティの三女)でもある。のちのアンケセナーメン。
子には次代のファラオ・スメンクカーラー(弟で共同統治者という研究もある)、その次の代のファラオで黄金のマスクで有名なツタンカーメン、ツタンカーメンの妃アンケセナーメンなどがいる。
[編集] 死後
テーベに彼の墓とされるものが発見されているが、(おそらく彼の反対勢力により)レリーフは一切削られている。彼のミイラと棺は王家の谷のKV55から発見されており、破壊を恐れて移動されたと見られる。これらはエジプト考古学博物館で保管されているが、棺が破壊されていたためミイラの保存状態が悪く、白骨化してしまっており一般には非公開である。棺も、修復して公開されているが顔の部分が削られてしまっている。
2010年2月17日、ザヒ・ハワスらの調査により、DNA鑑定でツタンカーメンのミイラと比較した結果、このミイラは間違いなくアメンホテプ4世であることが発表された。それと共にキヤとティイのミイラも身元が特定された。
[編集] 脚注
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