アンケセナーメン
アンケセナーメン(Ankhesenamen,紀元前1344年頃-不明)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオ、アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ ツタンカーメンの妻である。
当初の名をアンケセンパーテン(Ankhesenpaaten)といい、実父アクエンアテンの妻だった時期もあるが、アクエンアテンの死後、ツタンカーメンの妻となったさいにアテン神からアメン神に信仰を変えアンケセナーメンと改名した。 ツタンカーメンとは幼なじみだったといわれ、若くして亡くなったツタンカーメンの棺の上に(発掘時)置かれていた、矢車草の古く乾燥した花束から、王妃アンケセナーメンの深い愛情が想像され、「夫婦仲が良かった」とされる根拠になっている。
ツタンカーメンの早世後は、ファラオを継いだアイの妻となるが、アイは、祖母ティイの兄弟にあたるといわれ、実際に祖父アメンホテプ3世の時代から名を馳せていた神官であるので、年齢差が相当大きかったのではないかと思われる。この新しい夫には前夫ツタンカーメン暗殺説もあり、それらを踏まえたうえで、アンケセナーメンは、小説や漫画では運命に翻弄される悲劇の王妃として描かれることが多い。また、アンケセナーメンはアイとの結婚を嫌い、ヒッタイトの王、シュッピルリウマ1世にその王子を婿に迎えて国王としたいとの手紙を送った。シュッピルリウマ1世は、王子ザンナンザをエジプトに送ったが、途中で暗殺された。暗殺したのはアイだという説がある。
一方で、アンケセナーメン自身がアイと共謀しツタンカーメンを暗殺したという説もある。 尚、墓やミイラは未発見である。
なお、王家の谷で最も新しく2005年に発見された墓であるKV63は、ツタンカーメンの墓に近く、内容物も同時代のものであったことから発見当初はアンケセナーメンのものとも推測されたが、その後の調査により、墓ではなく、埋葬時に使われた道具(ミイラ作り用のベッドやナトロンを含む)を収めた場所と判明した。尚、室内からツタンカーメンやアンケセナーメンの名が刻まれた品は発見されていない。