アンケセナーメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンケセナーメン
Ankhesenamen
第18王朝エジプト王妃
ツタンカーメンとアンケセナーメン

別称 初名:アンケセパーテン
出生 紀元前1348年
死去 紀元前1322年
埋葬 KV21英語版
配偶者 アクエンアテン
  ツタンカーメン
  アイ
父親 アクエンアテン
母親 ネフェルティティ
宗教 古代エジプトの宗教
テンプレートを表示

アンケセナーメン(Ankhesenamen)は、エジプト新王国時代の第18王朝ファラオアクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻。

生涯[編集]

当初の名をアンケセンパーテン(アンクエスエンパーアテンAnkhesenpaaten)といい、実父アクエンアテンの妻だった時期もあり、父親との間に娘がいたという説もあるが、アクエンアテンの死後、異母兄弟ツタンカーメンの妻となったさいにアテン神からアメン神に信仰を変えアンケセナーメンと改名した。

ツタンカーメンの早世後は、ファラオを継いだアイの妻となるが、アイは、祖母ティイの兄弟にあたるといわれ、実際に祖父アメンホテプ3世の時代から名を馳せていた神官であるので、年齢差が相当大きかったのではないかと思われる。この新しい夫には前夫ツタンカーメン暗殺説もあり、それらを踏まえたうえで、アンケセナーメンは、小説や漫画では運命に翻弄される悲劇の王妃として描かれることが多い。また、アンケセナーメンはアイとの結婚を嫌い、ヒッタイトの王、シュッピルリウマ1世にその王子を婿に迎えて国王としたいとの手紙を送った。シュッピルリウマ1世は、王子ザンナンザをエジプトに送ったが、途中で暗殺された。暗殺したのはアイだという説、あるいはホルエムヘブという説がある。

なお、王家の谷で2005年に発見された墓であるKV63英語版は、ツタンカーメンの墓に近く、内容物も同時代のものであったことから発見当初はアンケセナーメンのものとも推測されたが、その後の調査により、墓ではなく、埋葬時に使われた道具(ミイラ作り用のベッドやナトロンを含む)を収めた場所と判明した。尚、室内からツタンカーメンやアンケセナーメンの名が刻まれた品は発見されていない。

2010年に行われたDNA解析により、王家の谷の墓KV21で発見された2体のミイラのうちKV21Aがアンケセナーメンのものであるという説が提唱されているが、確証は得られていない。また、遺体の損傷がひどくいかなる姿だったかすらわからない有様となっている。

彼女の死によりエジプト第2王朝以来、約1500年間続いてきたエジプト王家の血筋は完全に絶えた。これより先には王家の血を継がない外戚や神官、将軍によりファラオの継承がなされてゆくことになる。

関連項目[編集]