動物の権利

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動物の権利(どうぶつのけんり、アニマル・ライツanimal rights)とは、動物には人間から搾取されたり残虐な扱いを受けることなく、それぞれの動物の本性に従って生きる権利があるとする考え方である。

動物の権利運動は、ピーター・シンガーが1975年に出版した「動物の解放」 (ANIMAL LIBERATION) をきっかけに、世界中に広まっていった。シンガーはその著書の中で動物は苦痛を感じる能力に応じて、人間と同様の配慮を受けるべき存在であり、種が異なる事を根拠に差別を容認するのは種差別(スピーシシズム)にあたるとした。功利主義の立場に立つシンガーは平等な配慮という原則を強調し、権利という言葉は使っていない(厳密には「動物の権利」の立場ではない)。

それに対し、義務論的な意味で「動物の権利」という概念を前面に打ち出したのが、1983年にトム・レーガン (Tom Regan) が出版した「THE CASE FOR ANIMAL RIGHTS」(本邦未訳)である。

動物の権利運動家の多くは、この運動が性差別人種差別に反対する運動の延長線上にあると考えている。動物の権利を支持する者は、商業畜産や動物実験狩猟等、動物を搾取し苦しめる行為を全面的に廃止するべきだと訴え、人々にヴィーガニズムベジタリアニズムの実践を呼びかけている。

動物の権利運動から見た、従来の動物愛護や動物の福祉の考え方は、動物になるべく苦しみを与えるべきではないと言う点では共通するものの、人間による動物からの搾取そのものを否定していない点で、動物の権利の考え方とは根本的に異なると見なしている。

概念の歴史

今日の動物の権利に関する議論は、最も初期の哲学者たちまでさかのぼることが可能であろう。紀元前6世紀のギリシアの哲学者であり数学者でもあったピュタゴラスは輪廻転生を信じていたため、動物に敬意を払うように主張した。一方、同じアテナイ人であるアリストテレスは紀元前4世紀の著作の中で、動物は理性を持たないため自身の権利はなく人間の利益のためにだけ存在しているとし、存在の偉大なる連鎖 (Great Chain of Being) --あるいは自然の階梯 (scala naturae) --の中で人間よりもはるか下方に位置すると論じた。

17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596–1650)は『方法序説』(1637) において、動物は精神を持たず考える事も苦痛を感じる事もないため、動物に対してどんなにひどい扱いをしようが間違いであることはあり得ないと主張した。これに対し同じフランス人のジャン=ジャック・ルソー(1712–1778)は、『人間不平等起源論』 (1754) の序文で次の様に論じた:人間は「知性と自立した意思を欠いた存在」でこそないものの、出発点は動物である。さらには動物は感覚を持つ存在であるため、「自然権を持つものに含まれるべきであり、人間は動物に対して責務を負っている」、とりわけ「無益に虐待されることのない権利を有するものである」

ルソーと同時代には、ジョン・オズワルド (John Oswald) (1730?-1793)がいる。『The Cry of Nature or an Appeal to Mercy and Justice on Behalf of the Persecuted Animals』の中で彼は次の様に論じた:人間は生まれつき慈悲と思いやりの心を備えている。もし自分が食べる動物が死ぬのを見なければならないとしたら、ヴェジタリアンになる人は今よりはるかに増えるだろう。しかしながら分業が発達したために、近代の人間は生まれつきの思いやりの心を起こさせることなく肉を食べられるようになる一方で、残忍な行いに慣れていった。

ドイツの哲学者であるイマニュエル・カント(1724–1804)は、人間が動物に対して責務を負うという考えを否定した。カントは、動物は人格ではなく物であり単なる手段として使ってかまわない。ただし、動物を残虐に扱う習慣は、他の人間に対しても冷酷にふるまう行動につながってしまうため、つつしむべきであるとした。

18世紀後期、近代功利主義の創始者でイギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサム (1748–1832)は動物の苦痛は人間の苦痛と同じくらい確かで類似したものであるとし、「人間以外の動物が専制政治の手によってしか奪うことの出来ない様な権利を手にする日がいつか来ることであろう」と述べた。彼は、理性があるかどうかではなく、苦しむかどうかということこそが、我々が人間以外の存在を扱う際の基準であるべきだと主張し、もし理性的能力が基準となるのであれば、赤ん坊や障害者などを含む多くの人間が物の様に扱われることにならなければならないと論じ以下の有名な一節を残している

「感覚を持つ生き物を同じ悲運に追いやる理由として、脚の本数や、皮膚の毛の密度や、仙骨の末端(尾のあるなし)のどれもが十分な理由とはならないと認められる時代が来るであろう。しかし他に何が超えられない一線となるのだろうか? 理性的な能力、あるいはもしかして議論をする能力だろうか? だが成長した馬や犬などの我々がよく知っている動物は、生後一日か一週間、あるいは一ヶ月の赤ん坊よりもはるかに理性的である。とは言え、もしそうではなかったとしても、そのことに何の意味があるだろう? 問題は、理性があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるということである。なぜ法律はいかなる感覚を持つ生き物をも保護の対象としないのだろうか? いつの日か人類社会はその庇護のマントを、呼吸をする存在すべての上にまで広げることになるだろう」

19世紀にアルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860)は、動物は理性的能力が欠けているにもかかわらず、人間と同じ本質を有すると述べた。彼は菜食主義を必要以上のものと見なしたが、動物に道徳的配慮がなされるべきだと論じ、動物実験に反対した。彼が著したカントの倫理的価値観に対する評論には、カントの道徳体系から動物が除外されていることを批判した、長くてしばしば激烈な議論が見られる。その中には以下の有名な一節も含まれる:「太陽を見るすべての目の完全な調和を見ようとしない道徳など呪うべきものである」

イギリスの社会改革者、ヘンリー・ソルト (Henry Salt) (1851–1939)が1892年に出版した大きな影響力を持った著書『Animals' Rights: Considered in Relation to Social Progress』の中では動物の権利の概念が主題として扱われている。彼はこの本を出版する前年にスポーツとしての狩猟を禁止することを目的とした、人道主義同盟 (Humanitarian League) を設立している。

ナチス・ドイツにおける新政権が最初に立法化した法律のひとつは動物の権利に関する法律である。しかし、ロベルタ・カレチョフスキー (Roberta Kalechofsky) などの作家はナチスが動物実験の存続を許していたと反論している。カレチョフスキーはナチスの反動物実験法を検証した、Lancetの記事を引用し、この法律は動物実験を規制はするものの廃止はしなかった、1875年に制定されたイギリスの法律と何ら変わりはないと結論づけた。

注)当項目はen:Animal rights16:41, 2 October 2006 の翻訳に基づく

現代の運動の歴史

現代の動物の権利運動の始まりは1970年代初期にさかのぼることができる。この社会運動は哲学者によって生み出され、現在もなお最前線で続いているものとしては、珍しい例の一つとなっている。

1970年代初頭、オックスフォード大学の哲学者のグループが、人間以外の動物の道徳的地位は、必然的に人間の道徳的地位に劣るものであるのかどうかを検討しはじめた。このグループの中の一人に、1970年種差別という言葉を作り出した、心理学者リチャード・ライダー (Richard D. Ryder) がいた。彼はこの言葉を、個人的に印刷したパンフレットの中で、ある特定の種(人類)であることを根拠に、自分たちの利益を他の動物の利益に優先させる態度を説明するため、初めて使用した。

ライダーは、ロズリンド&スタンリー・ゴドロヴィッチとジョン・ハリスが編集し、1972年に出版された重要な本、『Animals, Men and Morals: An Inquiry into the Maltreatment of Non-humans』(「動物・人間と道徳、人間以外のものに対する虐待の研究」)の寄稿者となった。現在、プリンストン大学Human Valuesセンターの生命倫理学教授であるピーター・シンガーは、New York Review of Booksでこの本を批評し、 功利主義を土台にして基本的な議論をおしすすめた。その延長としてシンガーにより1975年『Animal Liberation(動物の解放)』が書かれた。この本はしばしば動物の権利運動におけるバイブルとして取り上げられる。

1980年代1990年代になると運動には、神学者法律家医師心理学者精神科医獣医師病理学者、そしてかつて動物実験にたずさわっていた人など多様な学者や専門家の人々も加わるようになっていった。

現在、欧米の大学の哲学応用倫理学の課程で動物の権利が取り上げられることは、普通のこととなった。2011年時点で、アメリカとカナダの135のロー・スクールにおいて、動物の権利や保護に関する法律(animal law)が教えられている。トロント在住の法律家である、クレイトン・ルビー(Clayton Ruby)は、2008年に「動物の権利運動は25年前に同性愛者の権利運動がいた段階にまで到達した」と述べている。[1]

その他の運動の草分けとなったとされる本には以下のものがあげられる: トム・レーガン (Tom Regan)著『The Case for Animal Rights』 (1983) 、
ジェイムズ・レイチェル著『Created from Animals: The Moral Implications of Darwinism 』 (1990) 、
ゲイリー・フランシオン著(Gary L. Francione)『Rain Without Thunder: The Ideology of the Animal Rights Movement』 (1996)、
スティーヴン・M・ワイズ著『Rattling the Cage:Toward Legal Rights for Animals』 (2000) 、
ジュリアン・H・フランクリン著『Animal Rights and Moral Philosophy』 (2005)

注)当項目の初期稿はen:Animal rights100:28, 15 October 2006 より翻訳

過激派の出現

1970年代になると動物の権利を侵害している人間・企業に対して非合法な抗議・妨害活動を行う過激派が出現した。 その攻撃対象は当初狩猟家及び関連産業(毛皮販売店)などであったが、次第にサーカス・動物園、精肉・鮮魚店、農場、屠殺場などへと拡大した。 合法的な抗議活動(街頭デモ等)も行われたが、従業員への脅迫などもあった。

1990年代に入ると、活動家たちは動物実験を行う・実験用動物を販売する企業を攻撃対象の中心とした。 攻撃対象となった企業は警備を強化するなどの対策をとったが、活動家達は攻撃を行う対象を直接の企業ではなく取引のある企業に対する抗議活動を行う手法を採用した。

これは、株主、銀行、監査法人、取引先企業に対して抗議活動を行うことにより取引を断念させる手法であったが、多くの場合脅迫、中傷、威力業務妨害等を伴い、実際に傷害事件等も発生している。その対象は企業の従業員を送迎するタクシー運転手にまで至り、軽微な罪状に比して経済的損失が大きいため、結果として多くの企業が廃業に追い込まれた。[要出典]

しかし、活動には無関係な一般人が巻き込まれるケースが多く、爆弾の設置など先鋭化した運動[要出典]に関してFBIを始めとする捜査機関ではテロ行為として捜査を行っている。

動物の権利を支持する人々の間では、非合法な活動を市民的不服従として容認すべきかどうか議論が分かれている。ただし暴力行為までをも容認する人はほとんどおらず、先鋭化した過激派は、 動物の権利の支持者からも孤立した状態になっている。

功利主義と権利論

動物の権利に関する哲学的根拠としては、基本的に二つの考え方がある。ピーター・シンガーに代表される功利主義とトム・レーガン(Tom Regan)に代表される権利論である。シンガーは一般には現代における動物の権利運動の創始者にして代表的な論者とみなされているが、彼自身は自己の主張において権利という言葉や考え方を使っているわけではない。レーガンらの動物の権利論と、シンガーらの功利主義的アプローチを区別する場合、後者を動物の解放(Animal Liberation)論と呼ぶ場合もある。

シンガーの主張は、最大幸福や平等な配慮という功利主義の原則は動物に対してもあてはまるというものである。人間ではないという理由でそうした原則が適用されないという見解は、「種差別」にあたるとしてしりぞけられる。ある生き物が配慮の対象になる基準は、功利主義者のベンサムが、「問題は、理性があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるということである」と述べているように、痛みや苦しみを感じる存在(sentient being)であるかどうかという点になる。どこまでがそうした配慮の対象となるかについてシンガーは、『動物の解放』(Animal Liberation)の中で(食べるものに関して)「ひとつの境界線にすべての人が賛成するわけではないことは認めよう」と言いつつ「もし線引きをするとすれば、小えびとカキのあいだのどこかで線をひくのが一番妥当であろう」と述べている。

レーガンの権利論はカントによる義務論の延長線上にあるもので、功利主義を含む帰結主義とは哲学上、対立する立場にある。レーガンはカントが唱えた「人格の尊重の義務」という原理を修正し、「人格」に変わって「生の主体」(subject of life)という概念を打ち出した。カントがいう「人格」である条件は、道徳行為ができることであったが、レーガンは道徳行為ができる者(moral agents)と道徳行為を受ける者(moral patients)を分け、配慮の対象となる条件は道徳行為ができるかどうかということではないとした。幼児や極端な精神障害者などは、道徳行為ができる者ではないが、道徳的配慮を受けるべき存在である。同様に動物についても生の主体であれば道徳的配慮を受けるべきであり、権利を持つ存在であるということになる。生の主体となる基準は固有の価値(inherent value)を持つかによって決まり、レーガンは少なくとも1歳以上の正常な哺乳類であれば条件を満たすであろうと述べているが、権利論そのものから具体的な判断を導きだすのは困難であり、その基準は必ずしも明確なものであるとは言えない。

帰結主義のひとつである功利主義においては、行為の結果が重要視されるのに対し、権利論(義務論)においては結果は問題とならない。動物実験の例で言うと、権利論においては動物が生の主体と認められる限り実験に使用することは(実験の有用性を問題にしないので)一切、認められない。一方、功利主義では動物がこうむる苦痛の総和と、人間が受ける恩恵の総和の比較において、動物実験が正当化される場合がある可能性を否定しない。しかし、現実の動物実験に対しては正当化される条件を満たす場合は極めてまれであるとし、事実上の全廃に近い要請をしている。[2]肉食を廃止すべきであるという点でも、両者はほぼ一致している。動物の権利(解放)論としての功利主義と権利論は、道徳理論という点では大きく異なるが、目指すものという点だけを見れば、大きな違いは見いだせない。

シンガーをはじめとし、R.M.ヘア、ジョン・ロールズロバート・ノージックゲイリー・フランシオン、ジェームズ・レイチェルズ、マーサ・ナスバウム、クリスティン・コースガード、ロザリンド・ハートハウス、ネル・ノディングズなど、現代の代表的な倫理学者は理論的方向性は異なるものの、動物が直接の配慮の対象となるべきであるという点では一致している。[3]

フランシオンの廃止論

1996年に「Rain Without Thunder: The Ideology of the Animal Rights Movement」(本邦未訳)を出版した法律学者のゲイリー・フランシオン(Gary L. Francione)は動物の権利哲学における廃止論的アプローチ(Abolitionism (animal rights)) のパイオニアであり、動物が人間の「所有物」であるという考え方をやめることによってでしか、動物の利用(毛皮、実験、畜産その他)や虐待はなくならない、と主張する。動物実験や畜産における動物たちの状況を改善するための動物福祉路線の法規制に関しては、動物を利用することに対して口実を与え、現状を長引かさせるだけのものであるとして批判的立場をとり、人間の奴隷制度の例になぞらえて、「囚われている動物の状態を"よくする"動物の福祉の運動では動物の解放はありえない」と主張する。また、個人的なレベルで実行することができるとの理由で、動物を利用することを一切、認めない「倫理的ヴィーガニズム」思想の教育が重要だとする。すなわち、ヴィーガニズムは動物を商品として扱うことの拒絶であり、それによって動物の固有の価値を認めることが「動物の権利」の実現につながるとの立場である。

フランシオンの廃止論は、権利論に含まれるものとも考えられるが「人間の『所有物」とならないことこそが『動物の権利』である」と、権利の意味を限定したところが、トム・レーガンらの権利論とは異なる。レーガンはこうした廃止論者たちの主張を「彼らが望んでいるのは『今より大きな檻』ではなく『空っぽの檻』である」と表現している。

動物の権利と人権

人権を守るために非暴力的な抗議行動を行ったことで歴史上有名なマハトマ・ガンディーは次のようにのべている。「国家の偉大さや道徳的な進化の度合いはその国が動物をどのように扱っているかで判断できる」、「私の心の内では子羊の命の貴重さは人間の命の貴重さにいささかも劣るものではない」

実際、人々が動物を食べない食事に切り替える理由のひとつは、本来なら他の人たちのために使うことのできる資源を家畜が消費してしまうからというものである。たとえば、まるまると太った牛を育てるために穀物を育てるかわりにその穀物を第三世界の子供たちに送ることができる。

環境問題に関する著作を持つロバート・ビディノットは1992年のNortheastern Association of Fish and Wildlife Agenciesでのスピーチにおいて次の様に述べた:「動物の権利を厳格に尊重するなら、野生の捕食動物から人間の利害を守ろうとする行為も禁止される。人間の損害は許容可能なものであるが、動物の受ける損害は許容できるものではない。したがって必然的に、ビーバーは川の流れを変えても良いが人間はそうしてはいけない。蝉は何百マイルもの樹木をなくしても良いが人間にそれは許されない。ピューマは羊や鶏を食べても良いが人間には 許されない」

もし救命ボートが転覆して人間の赤ん坊と犬のどちらか一方しか助けられないとしたらどうするかと聞かれて、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のアウトリーチ・コーディネーター、スーザン・リッチは「はっきりとは分からない・・・赤ん坊を助けるかもしれないし犬の方を助けるかもしれない」と答えた。動物の権利哲学者のトム・レーガンは、たとえ犠牲になる犬の数が何匹であろうが、赤ん坊の方を助けるべきだと述べた。これはカント以来の伝統的な義務論の延長上に権利論を展開した、レーガンの立場を示すものと言える。一方で、廃止論的動物の権利の法律学者ゲイリー・フランシオン(en:Gary L. Francione)は、仮に赤ん坊を助けたとしてその犬の方を置き去りにしたとしても、人間以外の動物の搾取や虐待は正当化されるものではないとした。同様に、動物の権利活動家のラリー・カイザーは「私たちが直面しているのは、そうした緊急事態ではない。私たちは赤ん坊と犬の両方を助けることができる」とし、こうした設問自体が意味のあるものではないと述べている。

動物の権利とホロコースト

2003年にPETAは「あなたの皿の上のホロコースト」と題した巡業展示会を行った。この展示では強制収容所におけるユダヤ人のイメージと、殺され虐待される動物たちのイメージを重ね合わせている。この展示ではPETAの会長であるイングリッド・ニューカーク (Ingrid Newkirk) の次のような言葉が紹介されている。「強制収容所では600万人ものユダヤ人が死にました。しかし、今年60億羽のブロイラーが屠殺場で死んでいきます」

アメリカ、ウイスコンシン州の動物の権利運動家の企画「The National Primate Research Exhibition Hall」においては、その企画自体をアウシュビッツのホロコースト記念館に なぞらえ、展示の中でホロコーストとの比喩を行っている。2001年には動物の権利のサイトのmeat.org で「ホロコーストの犠牲者たち」と紹介した動物の写真により構成された 「動物のホロコースト」と題したセクションを設けた。シアトルの「The Northwest Animal Rights Network」はホロコーストの犠牲者の裸の死体が並んでいる写真と一緒に死んだ牛の 写真を並べ、中央に大きな、かぎ十字を配した広告を配布した。

名誉毀損防止同盟 (ADL) は、動物の権利の運動にホロコーストの比喩を使うのは「600万人のユダヤ人の殺害を卑小化するもの」であるとして批判した。PETAの会長、イングリッド・ニューカークはこの運動がある人々を傷つける事になってしまったとして謝罪の意を表明した:「これは決して我々が意図したことではないが、大変申し訳なく思う」と。

注)当項目以上はen:Animal rights16:41, 2 October 2006 に基づく。

なお、ナチスによるホロコーストと動物の虐殺を結びつける立場をとる歴史家・ホロコ-スト研究家には、チャールズ・パターソンがいる。著書は「ETERNAL TREBLINKA」(和訳:「永遠の絶滅収容所」緑風出版、戸田清訳)。

アニマル・ライツ運動に関する出来事

問題点

FBIによると、動物解放戦線 (ALF;Animal Liberation Front) 及び地球解放戦線(ELF;Earth Liberation Front) による暴力行為によるアメリカ合衆国内の被害数及び損害額は、1996年以来600件以上、合計43,000,000ドル以上に上る。

  • AMP (Americans for Medical Progress) ホームページ掲載資料「アニマルライツの暴力」より

これにより、FBIは上記2団体をテロリストと認定し、動物の権利活動家の不法行為を「内なるテロ」と呼んでいる。

日本の近世(明治以降)における動物愛護の流れについて、名古屋大の伊勢田は、特に、欧米から移入された動物観が日本国内の動物観のバックボーンとなったと指摘している[4]

欧米圏外の研究者の間では、これらを研究を遂行する上での障害であり、「弾力的な運用」として軽視することこそが利に適うことであると主張する向きもある。[5][6]。またイスラーム圏においての動物観は、いわゆる西洋の動物愛護思想とは異なることも指摘されている[7]

さらに、西洋において動物を扱う際の責任と虐待に対する否定的な見方は、キリスト教的価値観。すなわち造物主という絶対的存在の下で人間が活動を行っているとの文化的バックボーンによって成立しており、これにはユダヤ人の屠殺行為の蔑視と否定が含まれているとの指摘もある。青木人志『動物の比較法文化─動物保護法の日欧比較』

大型類人猿

大型類人猿(オランウータンゴリラチンパンジーボノボ)については、人間に近い精神構造、複雑なコミュニケーション技術や社会構成、そして、人の言語を理解しうる能力があることが証明されてきたという背景などから、特に積極的に権利を与えようという動きが活発化した。

1994年、大型類人猿に対し、具体的な法的権利を保証することを目的とし、霊長類学者、人類学者、倫理学者などから構成される国際組織、グレート・エイプ・プロジェクト(Great Ape Project-GAP)が設立された。

1999年10月7日、ニュージーランドの国会で大型類人猿の法的権利を認める法案が成立した。これにより「その種自身にとって利益がある」と認められない限り、大型類人猿を研究、実験、教育の場で使用することはできなくなった。[8]これは動物の権利が実際に立法化された例であると言える。

闘牛

スペインでの闘牛は2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判にもさらされ、衰退する傾向にある。2007年8月に国営放送が闘牛の生放送を中止し、2011年にはスペイン全土で闘牛のテレビ中継が終了した。1991年にカナリア諸島で初の「闘牛禁止法」が成立。2010年7月28日にはスペイン本土のカタルーニャ州で本土としては初の闘牛禁止法が成立し、2012年から州内での闘牛が禁止されることになった。これを受けて、州都バルセロナで2011年9月25日に行われた興行がカタルーニャ州では最後の闘牛となった。ただし、カタルーニャでの闘牛禁止の背景には単なる動物愛護だけではなく、独自の文化や言語を持つカタルーニャの地域主義の要素が大きいとの見方もある。

化粧品のための動物実験の規制

欧州連合(EU)は2004年、化粧品の完成品を使った動物実験を禁止。2009年には原料の動物実験と、動物実験をした商品や原料の輸入、販売も禁止した。

捕鯨

アニマルライツの団体(厳密には動物福祉団体)である国際人道協会 (Humane Society International) (HSI)が、日本が南極海近くのオーストラリア領海で毎年続けている、ミンククジラの調査捕鯨について、日本の捕鯨会社による違法な捕鯨であり、禁止するようにオーストラリアの連邦裁判所に訴えていた問題で、2006年7月14日、同裁判所は全員一致で受理した。 2007年1月15日にも国際人道協会の提訴でオーストラリア連邦裁判所は同国が国内法に基づき設定している「クジラ保護区」において、同国政府の許可のない日本の調査捕鯨の操業停止を命じた。しかしこのときに問題となった「クジラ保護区」は同国が主張する南極領土沿岸から200海里以内の排他的経済水域に設けられたものであるが、日本政府は南極条約(南極地域における領有権・領土請求権の放棄)により豪州の南極領土の領有を認めていない(豪州も同条約に署名しており領有権主張は凍結している)。

脚注

  1. ^ "The new legal hot topic: animal law", The Globe and Mail, July 15, 2008.
  2. ^ シンガーは『動物の解放』の中で、(正当化され得る実験は)「現在動物に対して行われている実験の1%の10分の1以下であろう」と述べている。
  3. ^ 動物からの倫理学入門 伊勢田哲治
  4. ^ 日本における動物愛護の倫理観 名古屋大学情報科学研究科 伊勢田哲治
  5. ^ 動物とヒトとのかかわり 松田幸久 秋田大学医学部附属動物実験施設
  6. ^ [1]
  7. ^ イスラームと生命倫理 同志社大学神学研究科 中田考
  8. ^ ALIVE海外ニュース 大型類人猿の法的権利を認める

関連項目

外部リンク

動物の権利関連サイト

ベジタリアン関連サイト

関連資料(論文その他)

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