フリオ・ルーゴ

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フリオ・ルーゴ
Julio Lugo
カージナルス時代
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 バラオナ州サンタ・クルス・デ・バラオナ
生年月日 (1975-11-16) 1975年11月16日(48歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手, 二塁手
プロ入り 1994年 ドラフト43巡目でヒューストン・アストロズから指名
初出場 2000年4月15日
最終出場 2011年8月23日
年俸 $9,250,000(2010年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フリオ・シーザー・ルーゴ(Julio Cesar Lugo, 1975年11月16日 - )は、ドミニカ共和国バラオナ州サンタ・クルス・デ・バラオナ出身の元プロ野球選手内野手)。

ポジションは主に遊撃で、他に二塁手三塁手外野全ポジションでプレー経験がある。

弟のルディ・ルーゴタンパベイ・デビルレイズオークランド・アスレチックスなどに在籍した投手。2006年には同じデビルレイズでプレーしていた。

略歴

プロ入りとマイナー時代

1994年に、ドラフト43巡目でヒューストン・アストロズから指名を受け、プロ入り。

マイナーでは、.290以上の打率と30以上の盗塁を何度も記録した。

アストロズ時代

2000年4月15日ヒューストン・アストロズでメジャーデビューを果たした (対戦相手はサンディエゴ・パドレス) 。デビュー戦には代走で出場し、打席に入る機会はなかった[2]。だが、その後は次第に出番が増加し、最終的には116試合に出場。バッティング面では、ルーキーながら打率.283・10本塁打・40打点・22盗塁 (成功率71%) という好成績をマークした。ディフェンス面では、ショートセカンドを中心に守ったほか、外野の全ポジションの守りにも就いたが、内野守備で計17失策を犯した。

2001年はショートのレギュラーに定着して140試合に出場し、メジャー2年目ながら規定打席に到達した。だが、打撃成績は全体的にルーキーイヤーよりも加工し、打率.263・10本塁打・37打点という内容に終わった。走塁面での成績も芳しくなく、盗塁を23回試みて11回失敗し、成功率は52%に留まった。守備成績は、定着したショートを133試合守ったが、前年に続いてエラーを量産してしまい、22失策・守備率.964という成績に終わった。

2003年のシーズン中に、試合終了後、球場の駐車場で妻と口論になり、暴力を振るって警察に逮捕されるという不祥事を起こしてしまった(その後、裁判で無罪判決を受けている)。それが原因で、アストロズを解雇される。

レイズ時代

その後、妻と離婚したルーゴは、タンパベイ・デビルレイズへ移籍。アストロズでは22試合でホームラン0だったが、デビルレイズでは117試合でホームラン15本を放つなど、打撃面で成長。デビルレイズのレギュラーに定着した。

それ以降は、2004年2005年はショートのレギュラーとして規定打席にも到達。2005年の39盗塁アメリカンリーグ4位。

ドジャース時代

2006年トレード期限ギリギリの7月31日にマイナー2選手とのトレードで地区優勝を狙うロサンゼルス・ドジャースに移籍。ドジャースはワイルドカードを獲得するものの、NLDS(ナショナルリーグ・ディビジョンシリーズ)で敗れてしまった。

レッドソックス時代

2006年オフにボストン・レッドソックスと4年3600万ドルで契約した。2007年はショートのレギュラーを守り、チームトップの33盗塁をマーク。ワールドシリーズでは13打数5安打と活躍した。

2009年7月に、ボストン・レッドソックスから戦力外通告。

カージナルス時代

2009年7月22日にクリス・ダンカンとの交換トレードによりセントルイス・カージナルスへ移籍。

オリオールズ時代

2010年、開幕直前の3月30日に、後日発表選手or金銭とのトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍。

ブレーブス時代

2011年5月23日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、6月22日にメジャーに昇格したが、9月2日に解雇された。

インディアンス傘下時代

2012年クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。その後、退団した。

ピオリオ・エクスプロアーズ時代

2013年独立リーグフリーダム・プロベースボールリーグピオリア・エクスプロアーズでプレー。

その後、引退した。

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 HOU 116 465 420 78 119 22 5 10 181 40 22 9 3 1 37 0 4 93 9 .283 .346 .431 .777
2001 140 586 513 93 135 20 3 10 191 37 12 11 15 7 46 0 5 116 7 .263 .326 .372 .698
2002 88 358 322 45 84 15 1 8 125 35 9 3 4 2 28 3 2 74 6 .261 .322 .388 .710
2003 22 74 65 6 16 3 0 0 19 2 2 1 0 0 9 1 0 12 2 .246 .338 .292 .630
TB 117 482 433 58 119 13 4 15 185 53 10 3 7 3 35 0 4 88 5 .275 .333 .427 .760
'03計 139 556 498 64 135 16 4 15 204 55 12 4 7 3 44 1 4 100 7 .271 .333 .410 .743
2004 157 655 581 83 160 41 4 7 230 75 21 5 7 8 54 0 5 106 8 .275 .338 .396 .734
2005 158 690 616 89 182 36 6 6 248 57 39 11 3 4 61 0 6 72 5 .295 .362 .403 .765
2006 73 322 289 53 89 17 1 12 144 27 18 4 3 0 27 0 3 47 7 .308 .373 .498 .871
LAD 49 164 146 16 32 5 1 0 39 10 6 5 2 3 12 0 1 29 2 .219 .278 .267 .545
'06計 122 486 435 69 121 22 2 12 183 37 24 9 5 3 39 0 4 76 9 .278 .341 .421 .762
2007 BOS 147 630 570 71 135 36 2 8 199 73 33 6 8 4 48 0 0 82 9 .237 .294 .349 .643
2008 82 307 261 27 70 13 0 1 86 22 12 4 3 5 34 0 4 51 13 .268 .355 .330 .685
2009 37 123 109 16 31 4 1 1 40 8 3 0 1 1 12 0 0 18 0 .284 .352 .367 .719
STL 51 170 148 24 41 9 4 2 64 13 6 0 2 2 17 0 1 27 3 .277 .351 .432 .784
'09計 88 293 257 4 72 13 5 3 104 21 9 0 3 3 29 0 1 45 3 .280 .352 .405 .756
2010 BAL 93 264 241 26 60 4 2 0 68 20 5 7 6 0 15 0 2 50 6 .249 .298 .282 .581
2011 ATL 22 48 44 3 6 0 0 0 6 3 0 0 0 0 4 0 0 11 0 .136 .208 .136 .345
通算:12年 1352 5338 4758 688 1279 238 34 80 1825 475 198 69 64 40 439 4 37 876 82 .269 .333 .384 .716
  • 2011年度シーズン終了時

脚注

  1. ^ Baltimore Orioles 2010 Player Salaries and Team Payroll” (英語). ESPN.com. 2010年10月16日閲覧。
  2. ^ April 15, 2000 Houston Astros VS San Diego Padres - Houston Astros batting - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年5月26日閲覧。

外部リンク