VOODOO-MURDERS
VOODOO-MURDERS(ブードゥー・マーダーズ)は、全日本プロレスを舞台として活動していたヒール・プロレスラーのユニット。略称はブードゥー、略表記はVM(以下、本文中で同ユニットをVMとも表記)。
2011年6月、リーダーのTARUによるメンバーのスーパー・ヘイトに対する暴行傷害を受け、全日本プロレスにより強制解散となった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/51/Voodoo_Murders_2.jpg/220px-Voodoo_Murders_2.jpg)
経歴
結成の経緯・初期
2005年1月にジョニー・スタンボリーとTARUが共闘した事により結成された。スタンボリーは、前年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にラブ・マシンズの秘密兵器「GREAT MUTA」として参戦したが、ラブ・マシンズから戦力外通告を受け、孤立していた。一方、TARUは前年に大型選手との対戦を求めてドラゴンゲートを退団し、打倒・武藤敬司を掲げてフリーランスとして全日本プロレスに参戦していた。反・全日本プロレスという共通目的があった事で共闘関係が成立した。翌2月には、元WWEのチャック・パルンボが加入、チーム名も「ブードゥー・マーダーズ(VOODOO-MURDERS)」と発表された。3月には元WWEのジャイアント・バーナードが加入し勢力が増した。
さらにその後、TARUと所属ユニットこそ違ってはいたが、同じく元DRAGON GATE所属であった近藤修司と"brother"YASSHIも加入した。
発展期
2006年1月、諏訪間幸平が加入し、リングネームを「諏訪魔」に改名した。同年9月、対立していたユニットRO&DのメンバーであるRO'Zが加入。同月、RO&Dとのユニット解散をかけたタッグマッチを行い、これに勝利。試合中にRO&Dから寝返ったディーロ・ブラウンとブキャナンも加入。[1]。
10月、ハッスル20に“brother”YASSHI with TARU として参戦した。11月1日、プロレスリング・セムに近藤・YASSHIがSUWAのパートナーとして、TARUがセコンドとして参戦。モハメド・ヨネ・石森太二・青木篤志組に勝利した後、TARUが観客を罵ったのをきっかけにプロレスリング・ノア勢と乱闘となった。
混迷期
2007年6月、小島聡が加入した。7月には諏訪魔がTNAのスコット・スタイナーと共闘を果たし、10月にはシルバーキング、ゾディアックが加入した。
2008年1月、諏訪魔が脱退したが、4月には元WWEのアル・ダバリが加入。8月には小島が脱退、9月にはジョー・ドーリングが加入し、9月に近藤が脱退。10月には平井伸和が加入し、リングネームをスーパー・ヘイトに改名した。
2009年2月、新日本プロレスを退団しフリーランスになった稔が加入したが、YASSHIがプロレスを休業するため離脱。その後、土方隆司が「歳三」として加入した。同年9月、ゾディアックが脱退。
2010年1月、レネ・デュプリが加入。2月には、F4との解散マッチに勝利した。6月にMAZADA、7月に鈴木健想、10月に、河野真幸が加入した。後に鈴木がリングネームをKENSO、河野がKONOに改名した。12月、鈴木と河野が世界最強タッグ決定リーグ戦優勝を果たした。同月ダーク・オズ、ダーク・クエルボが加入した。
2011年1月、鈴木と河野が世界タッグ王座選手権に挑戦したが、試合中に仲間割れを起こし敗戦。試合後鈴木が追放された。
解散
2011年5月29日、試合前の控室にてTARUがスーパー・ヘイト(平井伸和) へ暴行を行い、試合後に平井が倒れ病院へ救急搬送された。後日、TARUが試合前の控え室でヘイトに暴行を働いたことを会社に申告し、無期限活動自粛を申し出た。全日本プロレス側はTARUの申し出を了承し、TARUの無期限活動自粛、控え室に同席していた稔・河野・MAZADAの無期限出場停止処分及び保持する王座を剥奪、ユニット解散処分を課した[2][3][4]。尚、外国人選手は控え室に同席していなかったため、未処分となった。 その後、同席3選手については暴行を行っていないとして、6月30日付けで処分解除を決定。稔とMAZADAは7月9日久喜大会で復帰。河野は右肘手術の為、引き続き欠場となる。
2011年11月22日、兵庫県葺合署によってTARUとMAZADAの2人が平井への傷害容疑で逮捕された。「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られず殴った」と容疑を認めている[5]。
抗争相手
全日本プロレス本隊、RO&D、健介ファミリーなど。リングソウルやビッグマウス・ラウドにも登場している。
また、抗争ではないものの、メンバーにプロレスリング・エルドラド所属選手が2人いたという縁から、TARUがGMとしてエルドラドにも登場したことがあった。
試合スタイル
結成当初は凶器攻撃・罵倒文句の凄まじさが特徴的であった。2006年頃から対戦相手の口に試合会場地の名産物を押し込むなどのユーモラスな行動や、TARU水[6]と呼ばれる水を観客に浴びせるなどのギミックが登場。
あらゆるファイトスタイルに対応できる人材を持ち、興行にメリハリをつける上で全日本には欠かせない集団となった。アンチヒーロー的存在としてVMに声援を送るファンも多く、F4との解散マッチに勝った後にTARUが興行を締めるマイクを持つなど、単に嫌われるだけのヒール軍団ではなくなっていた。
メンバー
最終メンバー
- TARU -
- グループ設立者でありリーダー。メンバーからは「オヤジ」「おじき」と呼ばれてる。
- 新日を退団後、全日参戦時に加入。
- 東京愚連隊として敵対していたが、NOSAWA論外との確執からVM加入。
- KONO(河野真幸)
- 諏訪魔との方向性が異なり正規軍から加入。
- スーパー・ヘイト(平井伸和)
- 詳しい経緯もなく、新メンバーとして登場。凶器として消火器を使用。
- ドーリングとの外国人コンビとして活躍。
- 正規軍として参戦後、WWEとマイナー契約。契約切れにより再参戦。
- ダークコンビは、MAZADAの誘いにより加入。
- ブードゥーマスク1〜48号
- 正体不明、欠場選手にる補助員のため不定期参戦。
元メンバー
- ジョニー・ザ・ブル・スタンボリー ~2005年9月23日
- 初期メンバー。現在はTNA。
- チャック・パルンボ ~2006年
- 初期メンバー。現在はWWE。
- 初期メンバー。現在は新日本プロレス。(TARU曰くVM新日本担当)
- AKAONI(赤鬼) - ~2006年8月20日
- 初登場試合で、正体の渕正信に戻り、その場で離脱。
- 上記2選手は、RO&Dからの電撃加入だったが短期間で全日本を離脱。プロレスリング・ノアへRO&Dとして参戦(TAKAみちのく曰く、移籍経緯は来るもの拒まず。)。現在、ディーロはTNA、ブキャナンは海外団体で活動中。
- RO'Z ~2007年3月。
- RO&DからVMへ電撃加入。地元テレビ番組出演を理由に全日本との契約を解除したため離脱。
- 諏訪魔 - ~2008年1月3日
- 正規軍より電撃加入し改名。その後、メンバーと亀裂が生じ正規軍へ再合流。改名はしていない。
- 小島聡 - ~2008年8月3日
- 諏訪魔対抗に対し加入。しかしヒール気質が肌に合わずVM離脱、新グループF4を結成(後に解散)。
- 近藤修司 - ~2008年9月29日
- DRAGON GATE退団後、全日本参戦と同時に加入。08年全日本に正式入団し正規軍へ。
- "brother"YASSHI - 主力メンバーであったが、引退。
- ランス・ホイト
- 小島の説得でF4へ合流する。
- 歳三(土方隆司)
- 全日本退団に伴い離脱。
- VMメンバーとして参戦していたが、地元現地で心不全により死去。
- KENSO(鈴木健想)
- 主戦場を日本に戻すと同時に加入。2011年1月3日に意見の食い違いでVM追放される。
以下は、参戦が途絶え自然離脱。
共闘レスラー
- 谷嵜なおき - 欠場したYASSHIの代役。
- スコット・スタイナー
- SUWA - 現在は引退。
- トラヴィス・トムコ - 新日本プロレスにVM参戦時にバーナードともに共闘。
- G・B・H - 新日本プロレスのヒール軍団として共闘。しかし、G・B・Hが本隊と共闘することになってからは、無関係となる。
- ベイダー - 自分の弟子達をVMに推薦するも、TARUが召集しなかった為、現在は敵対。
獲得タイトル
- 全日本プロレス
- 2011年2月現在、全日本プロレス内で獲得していないベルトは、三冠ヘビー級王座のみとなっている。
- 世界ジュニアヘビー級王座・・・3回 - 近藤修司(第23代)、シルバー・キング(第25代)、稔(第29代)
- アジアタッグ王座・・・2回 - 近藤修司 & "brother"YASSHI(第79代)、 TARU & ビック・ダディ・ブードゥー(第83代)
- 世界タッグ王座・・・2回 - 小島聡 & TARU(第53代)、 KONO & ジョー・ドーリング(第58代)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦・・・1回 - KENSO & KONO(2010年)
- ジュニア・タッグリーグ戦・・・1回 - 歳三 & 稔(2009年)
- 最優秀タッグチーム賞 2006年
脚注
- ^ その後、2人はユニットを離脱してプロレスリング・ノアでRO&Dを再結成した。
- ^ スポーツ・ナビ|VM軍解散でカード変更 空位の王座決定戦などを追加=全日本プロレス - スポーツ・ナビ 2011年6月4日
- ^ Sヘイトが開頭手術で一命取り留めた - 日刊スポーツ・2011年5月31日
- ^ スーパー・ヘイト選手の病状に関して 5/31 - 全日本プロレス・2011年5月31日
- ^ TARU、MAZADAは容疑認める「反省の色が見られず殴った」 スポニチアネックス 2011年11月22日
- ^ 一時期、これを会場の売店で1本(ペットボトル500ミリリットル)15,000円で販売していた。