東京都立豊多摩高等学校
東京都立豊多摩高等学校 | |
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北緯35度41分20.8秒 東経139度37分43.7秒 / 北緯35.689111度 東経139.628806度座標: 北緯35度41分20.8秒 東経139度37分43.7秒 / 北緯35.689111度 東経139.628806度 | |
過去の名称 |
東京府立第十三中學校 東京府立豊多摩中學校 東京都立豊多摩中學校 東京都立第十三新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京 |
設立年月日 | 1940年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113299903066 |
高校コード | 13208A |
所在地 | 〒166-0016 |
外部リンク | https://www.metro.ed.jp/toyotama-h/ |
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東京都立豊多摩高等学校(とうきょうとりつとよたまこうとうがっこう)は、東京都杉並区成田西二丁目にある東京都立高等学校。旧豊多摩郡に由来した校名。
概要
[編集]旧制府立十三中を前身とする全日制普通科高校。2007年に進学指導推進校に指定された。かつては定時制普通科も設置されていた。開校当初は姉妹校である東京府立第一中学校(日比谷高校)を間借りしていた。現在の校地は39,000平方メートル(東京ドームの83%)ほどである。
学校内では自主自律を校風としている。学級委員を昔のまま級長、生徒を学友と呼び、行事や部活動は学友会という名称の生徒会が中心に運営されている。さらに、「文武両道」も謳っており、行事・部活動も盛んに行われている。2015年には、学友主導による自発的な委員会の再編が行われた。
伝統的に文化活動が盛んな校風であり、卒業生に宮崎駿、谷川俊太郎をはじめとする著名な文化人を輩出している。卒業式では本校卒業生の谷川俊太郎の詩「あなたに」を朗読するのが伝統となっている。
基礎データ
[編集]- 交通
- 最寄り駅は、京王井の頭線浜田山駅と、関東バス五日市街道営業所バス停、豊多摩高校バス停(下り方面のみ)。
- 学校裏の五日市街道で、関東バス 中35(中野駅 - 五日市街道営業所)、中36(中野駅 - 吉祥寺駅)、高43(高円寺駅 - 五日市街道営業所)の3系統が運行されており、下り方(吉祥寺駅・五日市街道営業所行)のみに「豊多摩高校前」の停留所があり、こちらを利用して通学する生徒もいる。
- 校歌
- 校名
初代校長西村房太郎が、決定したばかりの校地(現校地)への生徒の通学区域を予想し、その範囲をカバーすると思われる地域名(旧豊多摩郡)をとって校名とした。当初、東京府の学務課は当時の新地名であった「西田町」[1]をとり「西田町中学校」とするように考えており、一度「豊多摩中学校」案は却下されていたが、後に認められた。当時東京府は、十一中以上の校名はなるべく早くナンバーをやめ、固有の名称を用いる意向であった。
部活動
[編集]文芸部、ラグビー部(第31回全国高校ラグビー)、サッカー部(1953年度全国高校サッカー)、水泳部は全国大会出場の経験があり、放送部は全国高校放送コンテストの全国大会出場者(アナウンス、朗読部門)もいる。また、屋上には口径30センチと都内の高校でも有数の望遠鏡があり、天文部が活動で使用している。
2019年(令和元年)、野球部が西東京大会で都立校唯一のベスト8入りを果たした。
沿革
[編集]- 1940年 東京府立第十三中学校として東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)内に設立。
- 1941年 東京府立豊多摩中学校と改称。
- 1942年 新校舎落成、現校地に移転。
- 1948年 学制改革により東京都立第十三新制高等学校となる。定時制課程設置。
- 1949年 学友会[2]、同窓会発足。
- 1950年 東京都立豊多摩高等学校と改称、男女共学開始。図書館落成。校歌制定。
- 1952年 学区合同選抜制度導入。合唱コンクール・全校マラソン始まる。
- 1959年12月24日 火災により12教室が消失。
- 1966年1月31日 火災により300番校舎が消失[3]。
- 1967年 学校群制度導入、杉並高校・荻窪高校と33群を組む。
- 1969年12月15日 学生運動が活発になり生徒が学校を封鎖。期末テストが延期になる[4]。
- 1982年 グループ合同選抜制度導入。鷺宮・富士・武蔵丘・荻窪・杉並・西・永福の各校と31グループに編成される。
- 1993年 定時制を募集停止。
- 1994年 現在の単独選抜制度導入。現校舎竣工。
- 2003年 2学期制に移行する。
- 2005年 学友による委員会再編を実施。
- 2006年 同年度より東京都の重点支援校に指定。文部科学省から『学力向上拠点形成事業』の「確かな学力育成のための実践研究推進校」の指定を受ける。
- 2007年 進学指導推進校に位置づけられる
- 2008年 3学期制に戻す。
- 2009年 スポーツ教育推進校に指定。
- 2010年 進学指導推進校に指定。
学友会
[編集](2015年-新委員会制度)
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学校行事
[編集]- 遠足 (4月)
- 学友会総会(5月)
- 合唱コンクール(6月)
- 球技大会(5月 - 6月)
- 縦割りホームルーム(7月)
- 記念祭(9月)
- 体育祭(9月)
- 修学旅行(11月)
- 地理野外調査(2月)
- 芸術鑑賞教室(2月)
- 学友会総会(2月)
- ロードレース大会:男子10km、女子7km(2月)
- 球技大会(2月 - 3月)
- 卒業式(3月)
新型コロナウイルスの影響により、2020年(令和2年)度、2021年度の学校行事は多くが中止となり、記念祭の代行行事・豊多摩万博(映像作品発表会)などが行われた。2022年度は平年通りの行事開催が予定されている。
著名な出身者
[編集]- 政治
- 経済
- 上原治也(三菱東京フィナンシャル・グループ会長、三菱UFJ信託銀行会長・社長、信託協会会長)
- 中原茂明(トクヤマ会長・社長、日本ソーダ工業会会長)
- 萩本友男(ソニー生命保険社長)
- 橋本眞幸(SUMCO会長兼CEO兼取締役会議長、三菱マテリアル副社長)
- 古沢煕一郎(三井トラスト・ホールディングス会長・社長、中央三井信託銀行会長兼社長、信託協会会長)
- 学者
- 木村尚三郎(東京大学名誉教授、歴史学者)
- 西田美昭(東京大学名誉教授、経済学者)
- 野村東太(ものつくり大学学長、元横浜国立大学学長)
- 金井貴嗣(中央大学教授、法学者)
- 中西又三(中央大学教授、法学者)
- 鈴木功(筑波大学名誉教授)
- 高橋一生(国際基督教大学教授)
- 久下裕利(昭和女子大学短期大学部教授)
- 酒井道夫(武蔵野美術大学名誉教授)
- 宮本太郎(中央大学教授、政治学者宮本顕治の息子。)[要出典]
- 芸術
- 宮崎駿(スタジオジブリ)
- 谷川俊太郎(詩人)定時制出身
- 北見葉胡(画家)
- 清元榮三郎(清元節三味線方、人間国宝)
- 佐藤卓(グラフィックデザイナー)
- 大森立嗣(映画監督)
- 堀本惠美子(画家)
- 堀越謙三(映画プロデューサー)
- 作家・翻訳家・脚本家
- 橋本治(作家)
- 辺見じゅん[5](作家)
- 中村正䡄(直木賞作家)
- 森巣博(作家)
- 一志治夫(ノンフィクション作家)
- 堀井拓馬(作家)
- 北川幸比古(作家・翻訳家)
- 松岡和子(翻訳家・演劇評論家)
- 宮村優子(劇作家・脚本家)
- 鳥居元宏(脚本家)
- 松村美香(作家)
- 音楽
- 芸能・マスコミ
- イッセー尾形(コメディアン)
- 小平桂子アネット(スポーツジャーナリスト)
- 吉田大吾(お笑い芸人 / POISON GIRL BAND)
- 倉持隆夫(元日本テレビアナウンサー)
- 里匠(NHKアナウンサー)
- 高梨敬一郎(元NHKアナウンサー)
- 吉本暁弘(元ジューク・ボックス/ぱれっと代表)
- 恩田えり(落語協会お囃子奏者)
- 曽田博久(放送作家)
- 黛哲郎(朝日新聞東京本社学芸部編集委員)
- ケネス徳田(プロ雀士)
- 声優・俳優
- 加藤みどり(声優 / サザエさんなど)
- 喜多道枝(声優、俳優 / ネロ・ダースなど)
- 松橋登(俳優)
- 加藤亮夫(声優)
- 黒田福美(俳優、韓国通のコメンテーター)
- 辻輝猛(俳優)
- 小沢直平(俳優)
- 大谷英子(俳優)
- 長井短(俳優、モデル)
- スポーツ
- 山口麻美(サッカー選手)
脚注および参照
[編集]- ^ 当時の地名での学校の所在地は「西田町2丁目」であり、第二グラウンド辺りは「成宗町」であった。(「豊多摩」創立50周年記念誌 322頁)
- ^ 1948年3学期に学友と職員とで検討された末、自治会と校友会を総合した学友会組織が決定。(創立25周年沿革誌 20頁)
- ^ 当時300番校舎には職員室、学友会室、同窓会室などがあり、被害額は900万円を越えた。(豊多摩高校新聞部「とよたま」1966年(昭和41年)2月25日発行第97号)
- ^ 都立高六校がテストを中止 足立高などで生徒が封鎖『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月15日夕刊 3版 10面
- ^ “10期作家・辺見じゅんさん死去”. 豊多摩リンクス (2011年9月27日). 2023年11月12日閲覧。