知久寿焼

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知久 寿焼
基本情報
出生名 知久寿明
出生 1965年2月10日(44歳)
学歴 埼玉県立川口高等学校卒業
出身地 日本埼玉県
職業 ギタリスト・歌手
担当楽器 ギターマンドリンウクレレ
活動期間 1981年 -
レーベル 地球レコード
共同作業者 たま・パスカルズ
影響 友部正人
公式サイト http://www.officek.jp/chiku/
  

知久 寿焼(ちく としあき、1965年2月10日 - )は、日本ミュージシャン。本名:知久 寿明(読みは同じ)。埼玉県川口市出身。埼玉県立川口高等学校卒業。

目次

[編集] 経歴

身内に“流し”をしていた者がおり幼少よりギター・歌の手ほどきを受けた。十代半ばに実母との確執から家出したことが音楽活動本格化の原点である(なお、実母は知久の成人前に逝去)。高校時代より友部正人宅に出入りするようになる。

ライブハウスで弾き語りをしていた頃、石川浩司柳原陽一郎(当時・幼一郎)と出会いバンド結成(詳細はたまの項目を参照のこと)。なおバンド結成当初、芸名の表記が知苦寿暗だった時期がある。

TBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』出身バンド(イカ天バンド)の代表格『たま』のギターマンドリンウクレレ担当として活動。シュールな歌詞にアコースティックなサウンドを合わせた個性的な音楽、そしてキノコのような髪型にチャンチャンコ(冬季はドテラ)・下駄履き・ギターを紐で肩から下げるというスタイルで大きなインパクトを与える(なお現在は坊主頭で帽子を着用している事が多い)。その歌唱力と声変わりがほとんどみられないユニークな声質は中島啓江からも「腹式呼吸・発声も完璧」と評された。

たまは、1995年末の柳原の脱退を経て、その後も地道にバンド活動を続けていたが、2003年10月バンド解散。その後も様々なミュージシャンとの共演や全国を回っての音楽活動を続けている。『たま』メンバーであった石川と共に、15人編成の音楽ユニット『パスカルズ』に参加・活動している。ヨーロッパなど海外公演を多く行い、フランスでは新聞ル・モンド』に紹介されたり、音楽チャートで1位になるなどの人気を獲得している。また同じく『たま』メンバーであった滝本晃司らとインストゥルメンタルユニット『2ni』(に)、ジョン (犬)らと『17』(いーな)等のユニットを組んでいる。

NHK教育テレビピタゴラスイッチ』『うたっておどろんぱ』などのテレビ番組や、味の素コクヨ三共などのCMソング演劇等にも多数の楽曲提供・歌唱をしている。BShiデジタル・スタジアム』にて楽曲『電車かもしれない』をモチーフとしたアニメーション作品(作・近藤聡乃)が発表された事をきっかけに、同番組のオープニング曲を手がけた。また、渡辺満里奈の「うれしい予感」にハーモニカで参加している。

趣味は昆虫採集、特にツノゼミに造詣が深い。また、イラストを特技としており、『たま』インディーズ時代やファーストアルバム『さんだる』のジャケットイラストを手がけた他、1999年に刊行された矢川澄子作の絵本『だるまさん千字文』の挿絵を担当した。母を早くに失った知久にとって、矢川は母親代わりのような存在だったという。

[編集] おもな共演ミュージシャン

[編集] ディスコグラフィ

※たま時代の作品についてはたまの項を、パスカルズについてはパスカルズ公式HP内を参照のこと。

[編集] CD

  1. 不思議な六月の夜(サード・クラス、ワタナベイビー、TOMOVSKYとの共作)
    「おるすばん」収録
    「不思議な六月の夜」に参加(ボーカル、コーラス、ウクレレ)
  2. 不思議な六月の夜 その2(サード・クラス、ワタナベイビー、TOMOVSKYとの共作)
    「ああぼくはかなしいよ」収録
    「もものうた」に参加(エレキギター、コーラス)
  3. ひとだま音頭(自主制作盤・CD-R)
    「ひとだま音頭」「地図にない場所(弾き語り)」「月がみてたよ」収録
  4. いつでもいつまでも(自主制作盤・CD-R)
    「いつでもいつまでも」「いちょうの樹の下で」「みもふたもないうた」収録
    表題曲「いつでもいつまでも」に、サードクラス、ワタナベイビーが参加

[編集] オムニバス参加

  1. ヤマアラシとその他の変種
  2. ウクレレ・ビートルズ
  3. ウクレレ・レノン

[編集] DVD

  1. 不思議な六月の夜(サード・クラス、ワタナベイビー、TOMOVSKYとの共作)
  2. 不思議な巌流島ライブ(サード・クラス、ワタナベイビー、TOMOVSKYとの共作)
  3. 知久寿焼 たまははき居酒屋ライヴ 最終回実況盤

[編集] 外部リンク