登別温泉

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Hot springs 001.svg登別温泉
Noboribetsu hot spring jigokudani.JPG
地獄谷(2009年10月)
温泉情報
所在地 北海道登別市
交通 鉄道:JR北海道室蘭本線登別駅よりバスを利用
バス:道南バス北海道中央バスバス停「登別温泉」下車
車:道央自動車道登別東IC
泉質 食塩泉硫黄泉・重曹泉・酸性泉・明礬泉・緑礬泉・石膏泉 ・芒硝泉・鉄泉
湧出量 1万トン(1日)
宿泊施設数 14
外部リンク 登別温泉観光協会
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登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道登別市にある温泉で、北海道屈指の温泉地である。江戸時代からその存在を知られており、明治時代温泉宿が設けられてからは、保養地・観光地となった。地名語源は、アイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)。温泉の成分が川に流れ込んだ様を表現した地名である。

泉質[編集]

  1. 食塩泉
  2. 硫黄泉
  3. 重曹泉
  4. 酸性泉
  5. 明礬泉
  6. 緑礬泉
  7. 石膏泉
  8. 芒硝泉
  9. 鉄泉

湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。11種類の泉質を有するといわれているが、登別観光協会のウェブページによれば泉質は9種類である。硫黄泉、重曹泉が中心。

温泉街[編集]

温泉街

JR北海道登別駅の北北西に直線で約6km、クスリサンベツ川の谷に温泉街がある。駅前から北海道道2号洞爺湖登別線で通じる。湯が湧き出る地獄谷から、北の大湯沼に遊歩道が整備されている。

「地獄谷」は学問的に言えば爆裂火口の跡である。登別温泉最大の源泉エリアで、直径約450mのエリアに、15ほどの源泉の穴が密集している。11の泉質で、毎分3000リットルほどが湧き出しており、"温泉のデパート"とも形容される。観光用の歩道もあり、奇怪な光景を一周10〜15分で楽しめる。共同浴場は一軒、バスターミナル付近に「夢元さぎり湯」が存在する。


温泉街から、東にある四方嶺(クマ山)にロープウェイが通じる。山上にはのぼりべつクマ牧場があり、東に倶多楽湖を見下ろす。

西に直線で約1kmの位置に「新登別温泉」が、北西に直線で約4kmの位置に「カルルス温泉」がある。

自然[編集]

地獄谷[編集]

日和山の噴火によって生じた爆裂火口の跡で、登別温泉の中心的な観光名所である。地表には小さな火口噴気孔、湧出孔があり、ガスと高温の温泉が湧き出している。観光用の遊歩道が設けられており、散策が可能。

大正地獄[編集]

大正時代に起こった小爆発で生じた湯沼であり、大正時代であったことが命名の由来となっている。間欠泉であり、湯量が減少するときに地鳴りとともに湯の色が変化するという特徴をもつ。

日和山[編集]

標高377mの活火山であり、現在でも山頂から湯気を上げている。また、高山植物の群生も見ることができる。

大湯沼[編集]

周囲1km、深さ22mの湯沼で、日和山の噴火によって生じた。大規模な湯沼であり、湯の表面温度は約40~50であるが、深いところでは約130℃と非常に高温になっている。過去にはこの湯沼から硫黄が採取されていたが、現在では行われていない。

奥の湯[編集]

日和山の爆裂火口跡の一部であり、約80℃の灰色の硫化水素泉が湧き出している。成分自体は大湯沼と同じであるが、硫黄は底に蓄積せず、流出している。

大湯沼天然足湯[編集]

遊歩道に設置された足湯で、大正地獄よりもさらに奥に位置する。沼から流れ出した温泉を利用して設けられており、その立地から森林浴も楽しむことができる。

歴史[編集]

大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。

江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が道路を開削した。安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、現在の道筋となる新たに道を整備した。その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになった。1911年明治44年)頃には旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていた[1]。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道路面電車も敷設されていた。


アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 北海道庁『北海道名勝誌』、1911年、50頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]