草津温泉
| 草津温泉 | |
|---|---|
湯もみ
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| 温泉情報 | |
| 所在地 | 群馬県吾妻郡草津町 |
| 交通アクセス | 鉄道 - JR東日本吾妻線:長野原草津口駅 路線バス - JRバス関東:長野原草津口駅~草津温泉駅 - 草軽交通:軽井沢駅~草津温泉駅 高速バス - 上州ゆめぐり号:新宿駅~草津温泉駅 自動車 - 関越自動車道:渋川伊香保IC - 上信越自動車道:上田菅平ICロマンチック街道利用 - 上信越自動車道:信州中野IC国道292利用。積雪期通行不可 |
| 泉質 | 酸性泉 硫黄泉 アルミニウム |
| 泉温 | 温度44.9度(西の河原)~94.5度(万代) ℃ |
| 湧出量 | 約27,000 L/分 (最大時36,000 L/分超) |
| pH | 2.05 |
| 液性の分類 | 酸性 |
| 浸透圧の分類 | 低張性 |
| 宿泊施設数 | 171 |
| 総収容人員数 | 12,531 人/日 |
| 年間浴客数 | 約280万 人 |
| 外部リンク | 湯Love草津 - 草津温泉観光協会 |
草津温泉(くさつおんせん)とは、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことである。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つである。
北西部には、草津白根山(白根山〈2,160m、湯釜〉・本白根山〈2,171m〉・逢の峰〈2,110m〉)が聳えている(上信越高原国立公園)。
上毛カルタの「く」の札に、「草津(くさづ)よいとこ薬の温泉(いでゆ)」と歌われている。草津の読み方は「くさづ」。
目次 |
[編集] 泉質
草津温泉の湯は基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)である。場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられる。酸性が強くpHは2前後である。この強酸性のために下流の品木ダムには酸性中和施設がある。適応症は皮膚病・神経痛・糖尿病ほか。
草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。降ってから数ヶ月から数年の比較的新しい地下水が主体となっており、湧出量は直前の降水量の影響を強く受けている。また、白根山の山頂に近いほどpHが低く、含有成分も変わる。
[編集] 源泉
源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほか、ホテル等が所有している小源泉も多数存在する。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も摂氏50-90度前後と高い。[1]万代鉱温泉はラジエーターを使い高い湯温を下げて配湯している。時間湯では昔から草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板と言う)で温泉をかき回し、湯温を下げるのが特徴的な「湯もみ」が行われる(現在も、観光客向けに実演する施設があるほか、2箇所の共同湯では湯治の一環として行われている)。ちなみに、草津節は草津温泉最古の共同風呂「鷲の湯」が発祥の地である。1975年に万代鉱源泉の利用及び町による管理配湯が始まってからは多くの小規模源泉が破棄された。[2]
[編集] 主な源泉
- 湯畑(ゆばたけ)
- 温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲がロータリー状に整備されている。デザインは当時の町長のホテルに投宿した岡本太郎が手がけ、工事の際に昔の囲いは撤去された。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも数少なく、夜間のライトアップで湯畑を演出する催しも期間限定で行われ、観光客の目を楽しませている。最後の滝になって落ちる箇所には、かつて「大滝乃湯」(現在は町営温泉施設の名にされている)と呼ばれる共同湯があり、1960年頃に取り壊されるまでは草津で唯一、番台のある「滝の湯」があった。温泉街には熱の湯、地蔵(じぞう)の湯・白旗(しらはた)の湯・煮川(にかわ)の湯、千代の湯など大小様々の源泉がある。しかし、千代の湯源泉は当時の町長(上記同人)時代に取り壊された結果、源泉は町長の隣接する大阪屋旅館地下に湧出。そのため、その後は湯畑から引湯している。なお、湯畑をはじめとする草津温泉の各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、それはイデユコゴメなどの温泉藻である。
- 白旗(しらはた)
- 湯畑からお寺の階段方向に向かった隅に白旗湯畑がある。源頼朝が発見したと言い伝えられている源泉である。湯畑横の共同浴場「白旗の湯」では気軽に楽しむこともできる。
- 西の河原(にしのかわら)別名:賽の河原(さいのかわら)
- 温泉街西側の荒原地帯に湧く源泉の総称で、一帯には遊歩道が整備されて気軽に温泉が湧出する様子を観察できるようになっている。多くの町民も西(にし)を(さい)と誤読しているが、ここには町営の「西の河原露天風呂」がある。ここの湯は後述する万代鉱源泉から引いたものである。 賽の河原はここと、地蔵地区と2箇所をそう呼んだ。どちらも地蔵がある。以前は西の河原の向かって右の河原にはチャツボミゴケ(地元では見た目でマリゴケと呼んでいた)が生息していたが、一時期の開発の影響により現在は見られない(奥草津に見ることができる)。
- 綿の湯(わたのゆ)
- お好み焼き屋の下より湧き出る源泉で、主に別荘地に給湯される。共同湯でこの源泉を引湯しているものはない。
- 熱の湯(ねつのゆ)
- 湯もみショーが行われる湯小屋の湯船の底に今でも直接湧いているが、現在は白旗源泉を使用している。千代の湯源泉は隣接する大阪屋旅館の工事のさいに敷地内(現在の同旅館売店地下)から湧きだしてしまったが、現在も復旧することなくそのままになっている。
- ゆりかご橋
- 西の河原の上流部に時折湧き出る源泉。近年はほとんど湧出しない。
- 万代鉱(ばんだいこう)
- 1970年に硫黄鉱山の坑道から噴出した新しい源泉で、標高の高い地域では主にここから湯が引かれている。摂氏90度以上と非常に高温で熱交換により湯温をさげている。このとき生じる高温の真水は消雪などにも利用されている。「万代持ちますように」との縁起を担いで名付けられた鉱山だが、温泉の噴出を抑制できなかったことや、硫黄鉱山の需要低下[3]もあって廃坑となった後は、小殺生地区に垂れ流されていた。
- しかしながら近年の技術の進歩と多大な努力により有効に活用されている。現在、草津の町に入ると近隣の山の中腹でジェットの如く高く蒸気を吹き上げている箇所があるが、それが万代鉱の源泉である(犠牲者が出たため源泉地区は立ち入り禁止)。pH1.7で含有する成分も多いが、肌の弱い体質の場合は、体に影響をおよぼす恐れがある。溢れ出た湯は湯川の上流で派手に蒸気を噴き出しつつ投棄されている。
- 香草(かくさ)
- pH1.0-1.2で有効な含有成分も多く玉川温泉と双肩する強酸性泉で、かつては一井旅館の別館が引湯していた[4]が、湧出地点があまりにも奥地でかつ湧出量も僅かであるため現在は使用されていない。川原から今も湧き出ていて野湯ファンが訪れることもあるが、向かうには遊歩道を外れ川や滝を登らなければならない。
- エルヴィン・フォン・ベルツが発見したことや、当地での温泉まんじゅう発祥の「さいふ屋」がこの湯でまんじゅうをふかしていたという歴史がある。
[編集] 温泉街
温泉地の中央に湯畑を中心とした古い風情の温泉街があり、それを取り巻くようにリゾート・ホテルやペンション、大滝の湯・西ノ河原公園・テルメテルメおよび温泉センターなどの温泉関連施設のほか、草津音楽の森国際コンサートホールや草津熱帯圏などの諸施設が位置している。また、草津白根山に面して草津国際スキー場がある。町外れには湯治に来て亡くなった人の無縁仏が多数ある。古いものでは明治年間の墓石もある。
温泉を用いた医療施設として、群馬大学医学部附属病院草津分院があった(現在は閉院)。高血圧・喘息・リウマチなどの治療に温泉を使用していた。
草津温泉の湯畑の木の樋を通して採取される湯の花は土産物としても知られている。プラスチックのねじ込みの円錐状容器に赤文字で「湯の花」と筆書体で印刷され、1,500円程度で販売されている。2,3ヶ月に一度、僅かな量しか出荷されないことからすぐに売り切れてしまう場合がある。
[編集] 内湯めぐり 和風村
草津温泉の旅館15軒が、「和風村」の名前で各旅館の内湯の日帰り入浴サービスを行っている。加盟している旅館で「通行手形」を購入することで利用可能である。
- うららの湯(うららのゆ) つつじ亭
- 永楽の湯(えいらくのゆ) たむら
- 延寿の湯(えんじゅのゆ) 松村屋
- お汲上げの湯(おくみあげのゆ) 奈良屋
- 君子の湯(くんしのゆ) 大阪屋
- さい泉の湯(さいせんのゆ) 草津ホテル
- たぎちの湯(たぎちのゆ) ひのき亭牧水
- 玉すだれの湯(たますだれのゆ) ての字屋
- 万代の湯(ばんだいのゆ) 望雲
- 弁天の湯(べんてんのゆ) 益成屋
- 薬師の湯(やくしのゆ) 湯元館
- 安兵衛の湯(やすべえのゆ) 日新館
- 龍神の湯(りゅうじんのゆ) 群龍館
- 若の湯(わかのゆ) 山本館
- 若乃湯(わかのゆ) 草津館
[編集] 共同浴場
町中に共同浴場が多く存在している。ただし草津温泉では昔から「めぐり湯」は「してはいけない」と戒められている。
共同浴場名と利用源泉は以下のとおりである。
- 白旗の湯:白旗源泉
- 巽の湯:湯畑源泉
- 翁の湯:湯畑源泉
- 千代の湯:湯畑源泉
- 長寿の湯:湯畑源泉
- 白嶺の湯:湯畑源泉
- 千歳の湯:湯畑源泉
- 瑠璃の湯:湯畑源泉
- 睦の湯:湯畑源泉
- 喜美の湯:湯畑源泉
- 関の湯:湯畑源泉
- 煮川の湯:煮川源泉
- 地蔵の湯:地蔵源泉
- 凪の湯:西の河原源泉(以前は凪の湯源泉)
- こぶしの湯:万代鉱源泉
- 恵の湯:万代鉱源泉
- つつじの湯:万代鉱源泉
- 長栄の湯(旧町営の湯):万代鉱源泉
[編集] 歴史
草津の名の由来は(1)大般若経による。(2)アイヌ語から。(3)「くさうず(臭水)」が訛った。(4)病にかかる枕詞「くさつつみ」から。等諸説ある。[5]
なお、日本武尊や行基、源頼朝が開湯したとの風説があるが、当時の史書に草津温泉を起想させる記述は見られず[6]、草津温泉が湯治場として記録が見られるようになるのは室町時代後期あるいは戦国時代以後である。
[編集] 中世
草津温泉の直接史料での初出は文明4年(1472年)、蓮如が訪れたときのものであると言われているがこれは定かではない。しかしこの頃にはすでに全国に名の知れた湯治場となっていた。(参考:この記述は他の記録とも年号が違たり、後世に記したものなので真意の程は定かではない。草津温泉温泉観光士講座より抜粋) 戦国時代になると湯本氏が文献に多く登場し、草津の湯治客からとる湯銭を武田配下の真田氏に納めたり、草津や白根で採れる硫黄を戦国大名に贈っているほか、豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっている。
なお、草津温泉の由緒として「吾妻鏡によると、建久4年(1193年)8月源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曾義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭とし、以後、湯本氏は温泉経営をもって北条・足利に仕えた」とよく云われているが、吾妻鏡にそのような記述は無い。 近在の人に自分の権利を認めさせるための作り話しであろう、と云う見解が研究者の見解。[要出典]
[編集] 近世
江戸時代初期は真田氏の沼田藩、その後は天領として江戸幕府の直轄支配を受けている。湯本氏は沼田藩の家老として重用されていたが、後に本家は断絶させられてしまう。現在と比べて交通は不便にもかかわらず、湯治客で賑わいは年間1万人を超える数を記録している。近世を通じて60軒の湯宿があり、幕末には「草津千軒江戸構え」といわれたほど栄えていた。この「せんげん」は活火山白根山=浅間(せんげん)の麓に栄えた草津温泉と言う意味であるとする学説もある。草津温泉は泉質が強烈なため、湯治後に肌の手入れのために入る「草津の上がり湯」なる温泉として、四万温泉や沢渡温泉がある。
江戸時代初期は内湯はなく、湯宿は基本的に素泊まりだった。18世紀初頭になると、「かこい湯」「幕湯」という貸し切り湯の習慣ができ、のちに内湯が設けられるようになった。
[編集] 近代
明治時代、スウェーデンの人文学者ノルデンシェルトは草津訪問記を記し、その中で草津温泉には療養する病人が多く、草津はそれら病人によって成り立っており、病人たちが罹患しているのは梅毒やハンセン病(らい病)、脚気である、としている。お雇い外国人として来日したドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ、および宣教師コンウォール・リーによりハンセン病に効く湯治場としての地位が確立され[7]、草津温泉郷にはハンセン病集落が出来ている。
その後、1931年(昭和6年)にらい予防法が制定されると、その直後の1932年(昭和7年)には国立らい療養所栗生楽泉園が開設されている。
大正期には軽井沢から軽便鉄道(草軽電気鉄道)が草津まで開通したほか、後に高崎・渋川などからバスも乗り入れるようになった。長野原線(現・吾妻線)が長野原駅(現・長野原草津口駅)まで開業したのは1946年(昭和21年)である。
太平洋戦争が終結した後、日本にもハンセン病治療薬「プロミン」が導入され、これが大きな治療効果をもたらした。さらにリファンピシンの登場によりハンセン病はほぼ克服されたため、温泉療法は急速に廃れ、ハンセン病の湯治場として成立してきた草津温泉は方向転換を余儀なくされた。その後は群馬県を挙げて一般観光客を集める温泉観光地としての道を歩むこととなる。
1975年より湧出量4700L/分の万代鉱源泉の利用が始まり、これを機に草津町による集中管理給湯システムが整えられた。給湯量に余裕が出来、それまで温泉施設の無かった高台にも給湯が可能になった為、一気に草津温泉の規模は拡大した[8]。
2006年には草津温泉の土産物店、ホテル、旅館などで売られている『湯の花』の多くが、同温泉で採集されたものではなく、硫黄に炭酸カルシウムを混ぜて製造したり、近隣の温泉の湯の花だったことが判明した。これを受けて公正取引委員会は、景品表示法違反(優良誤認)で製造販売した4社に排除命令し、6社には排除勧告を行った[9]。しかしその後も、人工の入浴剤がパッケージを変更して販売されているのではないかという指摘がある[10]。なお草津町が販売している湯の花は、発売元が「群馬県草津町」と表示されたプラスチック容器に入ったものである[11]。これは年間約5000個ほどしか販売されていない[10]。
中越大震災の際には草津の湯をタンク車で現地に輸送し、陸上自衛隊の野外の風呂設備にその湯を満たして被災者の慰問に役立てた。
[編集] アクセス
[編集] 鉄道
- 長野新幹線軽井沢駅から草軽交通または西武高原バスの草津温泉ゆきで約80~95分(西武高原バスの万座温泉・白根火山経由便は約160分)、終点の草津温泉バス停下車。
- JR東日本吾妻線の長野原草津口駅からJRバス関東の志賀草津高原線で約30分、終点の草津温泉駅下車。
[編集] 高速バス
[編集] 自動車
- 関越自動車道の渋川伊香保インターチェンジ(東京側)および沼田インターチェンジ(新潟側)からいずれも約60km。
- 上信越自動車道の碓氷軽井沢インターチェンジ(東京側)および上田菅平インターチェンジ(長野側)からいずれも約50km。
[編集] 地熱温泉反対運動など
ザスパ草津のサテライト(二軍)の選手はこの草津温泉のアルバイトやパート従業員をしながらサッカー選手の活動を行っている。かつて同チームがJFLや関東サッカーリーグ2部などに所属していた当時は、一部プロ契約選手を除きほとんどのチーム所属選手が同様にサッカー選手活動の傍らアルバイトをしていた。
近畿地方の滋賀県にも同名の「草津市」(東海道五十三次の宿場町と天井川の草津川で有名)がある。草津市は、草津温泉を有する草津町と1997年(平成9年)に友好交流協定を結んだ。同名の銭湯は、上記の草津市のほかに、山梨県甲府市、愛知県名古屋市熱田区にも実在する。このうち、草津市の銭湯では、本物ではないが人工湯の花を入れた露天風呂を設置し、甲府市の銭湯では、独自の源泉を使用し、掛け流しで提供している。
2004年(平成16年)、長野県の白骨温泉に草津温泉の名を冠した入浴剤(草津ハップ)が用いられたことが発覚し、温泉偽装問題のきっかけとなった。
2008年、群馬県の嬬恋村が地熱発電の計画を浮上させた際には、建設予定地が草津温泉の源泉から数kmしか離れておらず温泉に影響が出る可能性があるとして草津町が反対を表明したが、科学的な根拠は示されなかった。
[編集] 脚注
- ^ 【泉質・効能】 - 草津温泉・(草津温泉旅館協同組合)
- ^ 温泉の科学-草津温泉の歴史
- ^ 石油精製の副産物(硫黄回収装置を参照)から精製できるようになったため、鉱山から採取する意義が薄くなった。
- ^ その名残として、旅館までの道路はホテル一井の私道である旨の看板が残っている。営業を終了してからもしばらくは私道のまま放置されていたが、落石や路面の崩落がひどく、立入禁止になっている。
- ^ KUSATSU-SPA 草津温泉(ポータルサイト、設置者桐島屋旅館)内の「温泉地人気No.1草津温泉!「草津」の名の由来」より。
- ^ 史書に見られる温泉については、温泉#温泉の歴史と利用を参照。
- ^ 桜花学園大学人文学部研究紀要。
- ^ 温泉の科学-草津温泉の歴史
- ^ 草津温泉地区における入浴剤販売業者4社に対する排除命令について - 公正取引委員会(2006年12月14日)
- ^ a b 草津温泉「湯の花」御愛顧の皆々様へ - 草津町
- ^ 湯の花に係る公正取引委員会の命令に対して - 草津町
[編集] 参考文献
- 白倉卓夫編 『草津温泉-草津白根火山・気象・微生物・歴史・医学』 草津町温泉研究会・上毛新聞社、1997年。ISBN 4-88058-663-3。
[編集] 関連著作・書物
- 徳川光圀 『鎌倉日記』延宝2年(1674年)。
- 十返舎一九 『上州草津温泉往来』文政6年(1823年)。原本は尻焼き風呂の桐島屋旅館で見ることが出来る。
- 萩原進 『草津温泉史』昭和23年(1948年)。
- 草津町誌編纂委員会 『草津温泉誌(第壱巻)』昭和51年(1976年)。