「アイフル (競走馬)」の版間の差分

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|名 = アイフル
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|冠 = [[JRA賞最優秀5歳以上牡馬|優駿賞最優秀5歳以上牡馬]]<ref name="jbis" />([[1976年]])
'''アイフル'''とは[[日本]]の[[競走馬]]である。[[1976年]][[天皇賞|天皇賞(秋)]]の優勝馬で、同年の最優秀5歳以上牡馬。1970年代における大器晩成型の代表格である。主戦[[騎手]]は[[嶋田功]]。なお、[[キタノカチドキ]]([[皐月賞]]・[[菊花賞]])・[[コーネルランサー]]([[東京優駿]])・[[フジノパーシア]]([[天皇賞|天皇賞(秋)]]・[[宝塚記念]])と同期である。馬名は「[[愛]]が降る」といった意味である<ref>{{Cite journal|和書|author=横尾一彦|publisher=[[日本中央競馬会]]|journal=[[優駿]]|year=1991|month=5|page=63|title=サラブレッドヒーロー列伝 (61) 追い込み人生 アイフル}}</ref>。
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'''アイフル'''(欧字名:{{Lang|en|Eyeful}}、[[1971年]][[4月16日]] - [[1999年]][[4月4日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="jbis" />。


[[1976年]]の[[天皇賞|天皇賞(秋)]]優勝馬であり、同年の[[JRA賞最優秀5歳以上牡馬|優駿賞最優秀5歳以上牡馬]]。
== 戦績 ==
<!--エッセイ的表現は入れないでください-->
[[1973年]][[11月18日]]のデビュー戦をブービー[[人気]]ながらも[[同着]]優勝したアイフルは、次走の200万下条件戦2着でこの年のシーズンを終えた。


== 生涯 ==
翌[[1974年]]、200万下条件戦の椿賞を勝ち4戦2勝で[[弥生賞]]に挑戦したものの、後方のまま最下位に敗れたために[[皐月賞]]には出られず、脚部不安で[[トライアル競走]]にすら出られなかったフジノパーシアと共に、[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]とは無縁の競走生活を送った。フジノパーシアは[[1975年]]に早々と条件戦を抜け出したが、アイフルは500万下条件戦の駒草賞以後15戦走るもなかなか勝てず、1975年末に900万下条件戦を勝ってオープンクラスに昇格したころには、既に同期のクラシック優勝馬(キタノカチドキとコーネルランサー)は故障が原因で2頭とも引退していた。


=== デビューまで ===
[[1976年]]の[[中山金杯|日刊スポーツ賞金杯]]を条件戦を脱出した勢いで快勝し、重賞優勝馬となった。その後、[[アルゼンチン共和国杯]]と平場オープンを勝ったアイフルは天皇賞(秋)に挑戦する。[[ホワイトフォンテン]]を出し抜き大逃げ戦法に打って出た[[武邦彦]]鞍上の[[ロングホーク]]を最後の直線で交わすと、追いすがるハーバーヤングを1馬身4分の3振り切り天皇賞制覇を成し遂げた。
グリンロッチは、クレイグダーロッチ牝系に属する父[[リンボー (競走馬)|リンボー]]の仔である。競走馬としては出世することができず[[地方競馬]]のD級で引退し、[[北海道]][[静内町]]の佐藤三郎牧場で[[繁殖牝馬]]となった<ref name="優駿-1991-5-63">『優駿』1991年5月号 63頁</ref>。初年度には、1964年に日本に輸入されたイタリア産種牡馬の[[セダン (競走馬)|セダン]]と交配、妊娠12か月という長い期間<ref group="注釈">サラブレッドの妊娠期間は通常11か月。</ref>を経て、1971年4月16日、初仔となる[[鹿毛]]の牡馬(後のアイフル)を産んだ。安産であったが、出産1週間後に乳が出なくなり、仔には代わりにミルクが与えられた<ref name="優駿-1991-5-63" />。


佐藤三郎牧場の同期2頭はいずれも[[牝馬]]であったため、仔は牧場では独りで過ごした<ref name="優駿-1991-5-63" />。他の馬との触れ合いがなかったことから、人間が追いかけて促すことで運動していた<ref name="優駿-1991-5-63" />。相馬眼に定評のある岩渕真之が、骨太で走りそうな馬と評価し、2歳初めに岩渕の仲介により[[仲住芳雄]]調教師が管理することが決定した<ref name="優駿-1991-5-63" />。
天皇賞優勝馬となったアイフルは、[[JRA賞|年度代表馬]]の座を賭けて同年暮れの[[有馬記念]]に挑戦<ref>鞍上は[[菅原泰夫]]。[[中山金杯|日刊スポーツ賞金杯]]を制した際にも手綱を取っていた。なお[[嶋田功]]は自身の所属厩舎([[稲葉幸夫]]厩舎)の管理馬で同年の牝馬二冠([[桜花賞]]・[[優駿牝馬]])を制した[[テイタニヤ]]に騎乗した。[https://www.nicovideo.jp/watch/sm7633439 【競馬】1976年有馬記念 トウショウボーイ]</ref>するが、後に[[TTG]]と呼ばれる3頭の内の2頭、[[トウショウボーイ]]と[[テンポイント]]が立ちはだかり3着敗退。結局、年度代表馬には皐月賞と有馬記念を制したトウショウボーイが選出された。その後も、ラストランとなった[[第18回宝塚記念]]までに勝てたのはTTG不在の[[中山記念]]と連覇したアルゼンチン共和国杯だけだった。


藤本義昭が650万円で購入、藤本にとって初めてとなる競走馬所有であった<ref name="優駿-1991-5-63" />。藤本夫人とその3人の娘が考え「'''愛'''が'''降る'''とか、'''愛'''が'''一杯'''になるように」を由来に「'''アイフル'''<ref group="注釈">愛+降る、愛+{{Lang|en|full}}(一杯になる)</ref>」と命名<ref name="優駿-1991-5-63" />。[[東京競馬場]]の仲住厩舎に入厩した。
12勝の実績に加え、追い込み脚質でありながら2着13回、3着10回という堅実な戦績を残した点も、特筆されるべきであろう。


== 引退後 ==
=== 競走馬時代 ===
引退後、アイフルは種牡馬になるが、脚質・成長共にスピード優先の時代に「セダン産駒の晩成長距離馬」アイフルの種牡馬としての成功は無理な問題であった。種牡馬生活スタートの地が九州だったのも成功の足枷になった。早期にクラシック優勝馬を輩出したトウショウボーイや[[マルゼンスキー]]と違い、最後まで産駒に恵まれなかったアイフルは九州の馬産地から見捨てられ、10年間の放浪生活を余儀なくされる。その後、ファンの活動により[[日本軽種馬協会]]那須種馬場に引き取られるが、この活動がなかったら最悪殺処分になってもおかしくない状態だった。その後は軽種馬協会那須種馬場で大切にされたが、1999年4月4日、放牧中に転倒したまま立ち上がれず、やむなく安楽死処分となった。


==== 3-5歳(1973-75年) ====
== 競走成績 ==
[[1973年]][[11月18日]]、[[東京競馬場]]の[[新馬戦]]に[[ブービー賞|ブービー]][[人気]]で出走したが、3頭[[同着]]で優勝。続く2戦は敗れたが、1974年1月19日のつばき賞(200万円以下)で2勝目を挙げた<ref name="優駿-1991-5-63" />。[[皐月賞]]の前哨戦である[[弥生賞]]に参戦するも最下位に敗れ、皐月賞等の[[クラシック (競馬)|クラシック]]参戦を諦めた。5月26日、[[東京優駿]](日本ダービー)当日の条件戦である駒草賞にて3勝目を挙げた<ref name="優駿-1991-5-63" />。
* 1973年(2戦1勝)
* 1974年(12戦2勝)
** 1着 - 椿賞、駒草賞
** 2着 - セプテンバーステークス、京葉特別、霜月賞
** 3着 - ユートピアステークス
* 1975年(14戦3勝)
** 1着 - ジュライステークス、NST賞
** 2着 - 短距離特別、晩春特別、雲取特別、ジューンステークス
** 3着 - [[クモハタ記念]]、マーチハンデキャップ、三里塚特別、薫風ステークス、トパーズステークス
* 1976年(10戦4勝)
** 1着 - [[天皇賞 #天皇賞 (秋)|天皇賞 (秋)]]、[[中山金杯|金杯 (東)]]、[[アルゼンチン共和国杯]]
** 2着 - [[東京新聞杯]]、[[中山記念]]
** 3着 - [[有馬記念]]、[[京王杯スプリングカップ|京王杯スプリングハンデキャップ]]
* 1977年(5戦2勝)
** 1着 - 中山記念、京王杯スプリングハンデキャップ
** 3着 - [[アメリカジョッキークラブカップ]]


その後、4回連続2着、3回連続2着など約1年、15戦勝利から遠ざかった。5歳夏のジュライステークスでようやく勝利を挙げ、NST賞で連勝。2戦連続3着を挟んだのち、年末の900万円以下を勝利し、6勝目を挙げた<ref name="優駿-1991-5-63" />。

==== 6歳(1976年) ====
1月5日、900万円以下の身ながら格上挑戦で[[金杯(東)]]に出走。[[有馬記念]]を制した[[イシノアラシ]]ほか、多数の[[重賞]]優勝馬が出走する中、4番人気に推された。中団6番手から最終コーナーで先頭に迫ると、直線で抜け出して後方に1馬身離して優勝、重賞初制覇を果たした<ref name="優駿-1991-5-63" />。騎乗した[[菅原泰夫]]は好位につけた時点で勝利の目処がたったとしている<ref name="優駿-1991-5-63" />。その後、[[中山記念]]など重賞2着3着を繰り返しながら、5月16日の[[アルゼンチン共和国杯]]では、中団から追い込みクビ差だけ先着して優勝し重賞2勝目を果たした。騎乗した[[嶋田功]]は、「(前略)アイフルは前半ハミを受けず、遊びながら走っていた。これはステイヤーの走りっぷりですよ。小さいけどバネが凄い。今後は距離よりも斤量をどう克服かでしょう<ref name="優駿-1991-5-64">『優駿』1991年5月号 64頁</ref>」と述懐している。7月の日本経済賞まで続戦するも6着に凡走し、夏休みに入った<ref name="優駿-1991-5-64" />。

10月23日、[[中山競馬場]]の[[オープン競走]]と11月13日、東京競馬場のオープン競走と2戦を前哨戦にして、11月28日の天皇賞(秋)に出走。仲住は初経験となる距離、負担重量への不安を漏らしていた。[[ロングホーク]]が逃げる中、アイフルは中団に位置した<ref name="優駿1991-5-65"/>。残り200メートルで逃げ馬を捕らえ、共に中団から上がってきたハーバーヤングに1馬身4分の3の差をつけて先頭で入線、天皇賞制覇を果たした。仲住は、厩舎開業15年目で天皇賞初出走初制覇となり、騎乗した嶋田は、1974年春の[[タケホープ]]以来の天皇賞2勝目であった<ref name="優駿1991-5-65"/>。続く[[有馬記念]]は、ファン投票11位にとどまり、[[日本中央競馬会]]からの推薦馬という形で出走。4番人気に推され、3着に敗れた<ref name="優駿1991-5-65"/>。
==== 7歳(1977年) ====
7歳となっても現役を続行し、[[アメリカジョッキークラブカップ]]とオープン競走で連続3着。直後の[[中山記念]]では直線で内から伸びて、後方に1馬身半差で重賞4勝目を挙げた。2年連続出走となった[[アルゼンチン共和国杯]]では不良馬場の中、好位から直線で先頭に立ち、後方に3馬身半差で優勝し重賞5勝目、連覇を果たした<ref name="優駿1991-5-65"/>。雨中の決戦に負担重量59キログラムの設定だったが、勝負服と鞍が雨水を吸い込みレース後の検量では、61キログラムとなってしまっていた<ref name="優駿1991-5-65"/>。

続いて[[宝塚記念]]に参戦したが、4着に敗退。レース後に前脚の筋を痛め、それを庇いながら軽い調教が施されていたが、[[屈腱炎]]を発症したことが決め手となり、競走馬を引退した<ref name="優駿-1991-5-66">『優駿』1991年5月号 66頁</ref>。

=== 種牡馬時代 ===
引退後は、日本中央競馬会が2800万円で購入し、1978年から九州種馬場で[[種牡馬]]として供用された<ref name="優駿-1991-5-66" />。しかし産駒に恵まれずは九州の馬産地から見捨てられ、10年間の放浪生活を余儀なくされる。その後、ファンの活動により[[日本軽種馬協会]]那須種馬場に引き取られ、1999年4月4日、放牧中に転倒したまま立ち上がれず、安楽死となった。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=アイフルの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/000a000be2/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-06-29|language=ja}}</ref>、JBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|アイフル|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000043075/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-26}}</ref>の情報に基づく。{{0|0000.}}
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
!競馬場
!競走名
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!距離
(馬場)
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!オッズ<br/>(人気)
!着順
!タイム
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!斤量<br/>[kg]
!1着馬<br/>(2着馬)
|-
|[[1973年|1973]].[[11月18日|11.18]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1200m(良)
|5
|4
|4
|{{0}}14.4(4人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:12.6
|{{0}}[[赤羽秀男]]
|52
|キンヒヨー<ref group="注釈">1着[[同着]]3頭、2着はスズタカギンガ。</ref><br/>シンストーム
|-
|{{0|0000.}}[[12月16日|12.16]]
|[[中山競馬場|中山]]
|3歳200万下
|
|芝1600m(良)
|14
|8
|13
|{{0}}10.4(5人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:37.0
|{{0}}赤羽秀男
|52
|ハマヒューガ
|-
|[[1974年|1974]].{{0}}[[1月6日|1.{{0}}6]]
|東京
|4歳200万下
|
|ダ1400m(良)
|14
|3
|3
|{{00}}8.2(2人)
|{{0}}7着
|1:29.5
|{{0}}赤羽秀男
|53
|サンコウセン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[1月19日|1.19]]
|東京
|椿賞
|2下
|芝1600m(良)
|9
|4
|4
|{{00}}6.9(3人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:37.7
|{{0}}[[菅原泰夫]]
|54
|(ヒデミツ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月3日|3.{{0}}3]]
|中山
|[[弥生賞]]
|
|芝1800m(良)
|8
|2
|2
|{{0}}26.1(8人)
|{{0}}8着
|1:52.9
|{{0}}菅原泰夫
|55
|[[カーネルシンボリ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月30日|3.30]]
|中山
|4歳オープン
|
|芝1600m(稍)
|8
|7
|7
|{{0}}32.5(6人)
|{{0}}8着
|1:39.9
|{{0}}菅原泰夫
|56
|[[ニシキエース (1971年生)|ニシキエース]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月4日|5.{{0}}4]]
|東京
|4歳オープン
|
|芝1600m(良)
|7
|1
|1
|{{0}}12.2(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:36.4
|{{0}}赤羽秀男
|56
|インターグッド
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月26日|5.26]]
|東京
|駒草賞
|5下
|芝2000m(良)
|7
|5
|5
|{{00}}3.4(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:05.3
|{{0}}赤羽秀男
|54
|(トキノオウシン)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月6日|7.{{0}}6]]
|中山
|4歳オープン
|
|芝1600m(不)
|7
|7
|7
|{{00}}4.3(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:38.3
|{{0}}[[中島啓之]]
|55
|ブルームーン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月21日|9.21]]
|東京
|セプテンバーS
|7下
|芝1600m(良)
|13
|2
|2
|{{00}}7.6(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:35.3
|{{0}}赤羽秀男
|54
|ケンセダン
|-
|{{0|0000.}}[[10月12日|10.12]]
|中山
|京葉特別
|7下
|芝2000m(重)
|10
|2
|2
|{{00}}7.3(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:02.2
|{{0}}赤羽秀男
|54
|ストロングナイン
|-
|{{0|0000.}}[[11月2日|11.{{0}}2]]
|東京
|霜月賞
|7下
|芝2000m(良)
|7
|7
|7
|{{00}}2.4(1人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:02.4
|{{0}}赤羽秀男
|54
|マークリボーイ
|-
|{{0|0000.}}[[11月23日|11.23]]
|東京
|ユートピアS
|7下
|芝2000m(良)
|10
|8
|10
|{{00}}3.7(1人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|2:03.6
|{{0}}赤羽秀男
|54
|ベルロイヤル
|-
|{{0|0000.}}[[12月21日|12.21]]
|中山
|クリスマスHC
|7下
|芝2200m(良)
|13
|5
|7
|{{00}}5.0(1人)
|{{0}}4着
|2:18.8
|{{0}}赤羽秀男
|55
|キクノオー
|-
|[[1975年|1975]].{{0}}[[1月6日|1.{{0}}6]]
|東京
|ニューイヤーS
|7下
|ダ1700m(良)
|15
|7
|12
|{{0}}13.6(6人)
|{{0}}6着
|1:45.5
|{{0}}赤羽秀男
|55
|トウショウプリンス
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[1月19日|1.19]]
|東京
|睦月賞
|7下
|ダ2200m(稍)
|11
|3
|3
|{{00}}8.1(4人)
|{{0}}7着
|2:20.6
|{{0}}赤羽秀男
|55
|カイキオー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月16日|2.16]]
|東京
|短距離特別
|7下
|ダ1400m(稍)
|8
|5
|5
|{{00}}8.5(6人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:25.7
|{{0}}赤羽秀男
|55
|クリマンナ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月8日|3.{{0}}8]]
|中山
|マーチHC
|7下
|ダ1700m(稍)
|10
|3
|3
|{{00}}8.2(3人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:47.5
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|56
|ワンサバンナ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月23日|3.23]]
|中山
|三里塚特別
|7下
|芝2200m(良)
|8
|4
|4
|{{00}}4.8(2人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|2:20.2
|{{0}}赤羽秀男
|55
|マサデンセイ
|-
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|中山
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|8下
|芝1600m(良)
|10
|8
|9
|{{00}}5.8(2人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:36.4
|{{0}}菅原泰夫
|55
|モンパルナス
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月26日|4.26]]
|東京
|晩春特別
|7下
|芝2000m(不)
|10
|7
|7
|{{00}}3.6(2人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:05.3
|{{0}}菅原泰夫
|55
|ホッカイダイヤ
|-
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|東京
|雲取特別
|7下
|芝2000m(良)
|12
|5
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|サンワエイト
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月15日|6.15]]
|中山
|ジューンS
|8下
|芝2000m(良)
|12
|7
|9
|{{00}}4.7(1人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:03.1
|{{0}}菅原泰夫
|55
|アグネスビューチー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月5日|7.{{0}}5]]
|中山
|[[ジュライステークス|ジュライS]]
|8下
|芝1600m(重)
|10
|8
|9
|{{00}}4.8(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:36.5
|{{0}}菅原泰夫
|55
|(マーシャルシンボリ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月27日|7.27]]
|[[新潟競馬場|新潟]]
|NST賞
|6下
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|7
|{{00}}4.7(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:34.9
|{{0}}菅原泰夫
|56.5
|(アローフォンテン)
|-
|{{0|0000.}}[[11月15日|11.15]]
|東京
|トパーズS
|8下
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|中山
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|
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|
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|
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|
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|
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|
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|
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|中山記念
|
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|
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|4
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== 血統表 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1991年5月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 61】追い込み人生 アイフル」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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[[Category:日本調教の競走馬]]
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[[Category:安楽死された競走馬]]

2021年7月26日 (月) 03:08時点における版

アイフル
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1971年4月16日[1]
死没 1999年4月4日(29歳没)
セダン[1]
グリンロッチ[1]
母の父 リンボー[1]
生国 日本北海道静内町[1]
生産者 佐藤三郎[1]
馬主 藤本義昭[1]
調教師 仲住芳雄東京[1]
調教助手 住吉[2]
厩務員 中塩[2]
競走成績
タイトル 優駿賞最優秀5歳以上牡馬[1]1976年
生涯成績 43戦12勝[1]
獲得賞金 2億7174万8800円[1]
勝ち鞍
八大競走 天皇賞(秋) 1976年
オープン アルゼンチン共和国杯 1976-7年
オープン 金杯(東) 1976年
オープン 中山記念 1977年
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アイフル(欧字名:Eyeful1971年4月16日 - 1999年4月4日)は、日本競走馬種牡馬[1]

1976年天皇賞(秋)優勝馬であり、同年の優駿賞最優秀5歳以上牡馬

生涯

デビューまで

グリンロッチは、クレイグダーロッチ牝系に属する父リンボーの仔である。競走馬としては出世することができず地方競馬のD級で引退し、北海道静内町の佐藤三郎牧場で繁殖牝馬となった[3]。初年度には、1964年に日本に輸入されたイタリア産種牡馬のセダンと交配、妊娠12か月という長い期間[注釈 1]を経て、1971年4月16日、初仔となる鹿毛の牡馬(後のアイフル)を産んだ。安産であったが、出産1週間後に乳が出なくなり、仔には代わりにミルクが与えられた[3]

佐藤三郎牧場の同期2頭はいずれも牝馬であったため、仔は牧場では独りで過ごした[3]。他の馬との触れ合いがなかったことから、人間が追いかけて促すことで運動していた[3]。相馬眼に定評のある岩渕真之が、骨太で走りそうな馬と評価し、2歳初めに岩渕の仲介により仲住芳雄調教師が管理することが決定した[3]

藤本義昭が650万円で購入、藤本にとって初めてとなる競走馬所有であった[3]。藤本夫人とその3人の娘が考え「降るとか、一杯になるように」を由来に「アイフル[注釈 2]」と命名[3]東京競馬場の仲住厩舎に入厩した。

競走馬時代

3-5歳(1973-75年)

1973年11月18日東京競馬場新馬戦ブービー人気で出走したが、3頭同着で優勝。続く2戦は敗れたが、1974年1月19日のつばき賞(200万円以下)で2勝目を挙げた[3]皐月賞の前哨戦である弥生賞に参戦するも最下位に敗れ、皐月賞等のクラシック参戦を諦めた。5月26日、東京優駿(日本ダービー)当日の条件戦である駒草賞にて3勝目を挙げた[3]

その後、4回連続2着、3回連続2着など約1年、15戦勝利から遠ざかった。5歳夏のジュライステークスでようやく勝利を挙げ、NST賞で連勝。2戦連続3着を挟んだのち、年末の900万円以下を勝利し、6勝目を挙げた[3]

6歳(1976年)

1月5日、900万円以下の身ながら格上挑戦で金杯(東)に出走。有馬記念を制したイシノアラシほか、多数の重賞優勝馬が出走する中、4番人気に推された。中団6番手から最終コーナーで先頭に迫ると、直線で抜け出して後方に1馬身離して優勝、重賞初制覇を果たした[3]。騎乗した菅原泰夫は好位につけた時点で勝利の目処がたったとしている[3]。その後、中山記念など重賞2着3着を繰り返しながら、5月16日のアルゼンチン共和国杯では、中団から追い込みクビ差だけ先着して優勝し重賞2勝目を果たした。騎乗した嶋田功は、「(前略)アイフルは前半ハミを受けず、遊びながら走っていた。これはステイヤーの走りっぷりですよ。小さいけどバネが凄い。今後は距離よりも斤量をどう克服かでしょう[4]」と述懐している。7月の日本経済賞まで続戦するも6着に凡走し、夏休みに入った[4]

10月23日、中山競馬場オープン競走と11月13日、東京競馬場のオープン競走と2戦を前哨戦にして、11月28日の天皇賞(秋)に出走。仲住は初経験となる距離、負担重量への不安を漏らしていた。ロングホークが逃げる中、アイフルは中団に位置した[2]。残り200メートルで逃げ馬を捕らえ、共に中団から上がってきたハーバーヤングに1馬身4分の3の差をつけて先頭で入線、天皇賞制覇を果たした。仲住は、厩舎開業15年目で天皇賞初出走初制覇となり、騎乗した嶋田は、1974年春のタケホープ以来の天皇賞2勝目であった[2]。続く有馬記念は、ファン投票11位にとどまり、日本中央競馬会からの推薦馬という形で出走。4番人気に推され、3着に敗れた[2]

7歳(1977年)

7歳となっても現役を続行し、アメリカジョッキークラブカップとオープン競走で連続3着。直後の中山記念では直線で内から伸びて、後方に1馬身半差で重賞4勝目を挙げた。2年連続出走となったアルゼンチン共和国杯では不良馬場の中、好位から直線で先頭に立ち、後方に3馬身半差で優勝し重賞5勝目、連覇を果たした[2]。雨中の決戦に負担重量59キログラムの設定だったが、勝負服と鞍が雨水を吸い込みレース後の検量では、61キログラムとなってしまっていた[2]

続いて宝塚記念に参戦したが、4着に敗退。レース後に前脚の筋を痛め、それを庇いながら軽い調教が施されていたが、屈腱炎を発症したことが決め手となり、競走馬を引退した[5]

種牡馬時代

引退後は、日本中央競馬会が2800万円で購入し、1978年から九州種馬場で種牡馬として供用された[5]。しかし産駒に恵まれずは九州の馬産地から見捨てられ、10年間の放浪生活を余儀なくされる。その後、ファンの活動により日本軽種馬協会那須種馬場に引き取られ、1999年4月4日、放牧中に転倒したまま立ち上がれず、安楽死となった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[6]、JBISサーチ[7]の情報に基づく。0000.

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)




オッズ
(人気)
着順 タイム 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
1973.11.18 東京 3歳新馬 芝1200m(良) 5 4 4 014.4(4人) 01着 1:12.6 0赤羽秀男 52 キンヒヨー[注釈 3]
シンストーム
0000.12.16 中山 3歳200万下 芝1600m(良) 14 8 13 010.4(5人) 02着 1:37.0 0赤羽秀男 52 ハマヒューガ
1974.01.06 東京 4歳200万下 ダ1400m(良) 14 3 3 008.2(2人) 07着 1:29.5 0赤羽秀男 53 サンコウセン
0000.01.19 東京 椿賞 2下 芝1600m(良) 9 4 4 006.9(3人) 01着 1:37.7 0菅原泰夫 54 (ヒデミツ)
0000.03.03 中山 弥生賞 芝1800m(良) 8 2 2 026.1(8人) 08着 1:52.9 0菅原泰夫 55 カーネルシンボリ
0000.03.30 中山 4歳オープン 芝1600m(稍) 8 7 7 032.5(6人) 08着 1:39.9 0菅原泰夫 56 ニシキエース
0000.05.04 東京 4歳オープン 芝1600m(良) 7 1 1 012.2(3人) 02着 1:36.4 0赤羽秀男 56 インターグッド
0000.05.26 東京 駒草賞 5下 芝2000m(良) 7 5 5 003.4(1人) 01着 2:05.3 0赤羽秀男 54 (トキノオウシン)
0000.07.06 中山 4歳オープン 芝1600m(不) 7 7 7 004.3(3人) 02着 1:38.3 0中島啓之 55 ブルームーン
0000.09.21 東京 セプテンバーS 7下 芝1600m(良) 13 2 2 007.6(3人) 02着 1:35.3 0赤羽秀男 54 ケンセダン
0000.10.12 中山 京葉特別 7下 芝2000m(重) 10 2 2 007.3(3人) 02着 2:02.2 0赤羽秀男 54 ストロングナイン
0000.11.02 東京 霜月賞 7下 芝2000m(良) 7 7 7 002.4(1人) 02着 2:02.4 0赤羽秀男 54 マークリボーイ
0000.11.23 東京 ユートピアS 7下 芝2000m(良) 10 8 10 003.7(1人) 03着 2:03.6 0赤羽秀男 54 ベルロイヤル
0000.12.21 中山 クリスマスHC 7下 芝2200m(良) 13 5 7 005.0(1人) 04着 2:18.8 0赤羽秀男 55 キクノオー
1975.01.06 東京 ニューイヤーS 7下 ダ1700m(良) 15 7 12 013.6(6人) 06着 1:45.5 0赤羽秀男 55 トウショウプリンス
0000.01.19 東京 睦月賞 7下 ダ2200m(稍) 11 3 3 008.1(4人) 07着 2:20.6 0赤羽秀男 55 カイキオー
0000.02.16 東京 短距離特別 7下 ダ1400m(稍) 8 5 5 008.5(6人) 02着 1:25.7 0赤羽秀男 55 クリマンナ
0000.03.08 中山 マーチHC 7下 ダ1700m(稍) 10 3 3 008.2(3人) 03着 1:47.5 0赤羽秀男 56 ワンサバンナ
0000.03.23 中山 三里塚特別 7下 芝2200m(良) 8 4 4 004.8(2人) 03着 2:20.2 0赤羽秀男 55 マサデンセイ
0000.04.13 中山 薫風S 8下 芝1600m(良) 10 8 9 005.8(2人) 03着 1:36.4 0菅原泰夫 55 モンパルナス
0000.04.26 東京 晩春特別 7下 芝2000m(不) 10 7 7 003.6(2人) 02着 2:05.3 0菅原泰夫 55 ホッカイダイヤ
0000.05.24 東京 雲取特別 7下 芝2000m(良) 12 5 6 002.8(1人) 02着 2:03.7 0菅原泰夫 55 サンワエイト
0000.06.15 中山 ジューンS 8下 芝2000m(良) 12 7 9 004.7(1人) 02着 2:03.1 0菅原泰夫 55 アグネスビューチー
0000.07.05 中山 ジュライS 8下 芝1600m(重) 10 8 9 004.8(1人) 01着 1:36.5 0菅原泰夫 55 (マーシャルシンボリ)
0000.07.27 新潟 NST賞 6下 芝1600m(良) 9 7 7 004.7(1人) 01着 1:34.9 0菅原泰夫 56.5 (アローフォンテン)
0000.11.15 東京 トパーズS 8下 芝1800m(不) 13 6 9 004.4(1人) 03着 1:53.5 0菅原泰夫 56 ナスノスピード
0000.11.30 中山 クモハタ記念 芝1800m(良) 10 7 8 010.3(3人) 03着 1:50.9 0菅原泰夫 54 ハーバーヤング
0000.12.21 中山 4歳上900万下 芝1800m(良) 11 1 1 003.7(1人) 01着 1:51.0 0菅原泰夫 56 (メイファイター)
1976.01.05 東京 金杯(東) 芝2000m(良) 14 4 6 009.1(4人) 01着 2:03.1 0菅原泰夫 54 (フロリオーギ)
0000.02.08 東京 東京新聞杯 6下 芝2000m(稍) 14 1 1 008.2(2人) 02着 2:02.4 0嶋田功 56 アグネスビューチー
0000.03.14 中山 中山記念 芝1800m(良) 13 2 2 006.3(3人) 02着 1:50.6 0菅原泰夫 55 ヤマブキオー
0000.04.25 東京 京王杯SH 芝1800m(良) 15 2 2 004.0(1人) 03着 1:49.2 0菅原泰夫 57 ヤマブキオー
0000.05.16 東京 アルゼンチン共和国杯 芝2400m(良) 12 6 8 008.2(3人) 01着 2:27.7 0嶋田功 55 (オウプレス)
0000.07.04 中山 日本経済賞 芝2500m(重) 10 3 3 006.2(2人) 06着 2:38.3 0菅原泰夫 57 ホワイトフォンテン
0000.10.23 中山 4歳上オープン 芝1800m(良) 9 3 3 005.9(2人) 02着 1:49.4 0嶋田功 56 ヤマブキオー
0000.11.13 東京 4歳上オープン 芝1600m(良) 6 2 2 004.0(2人) 01着 1:36.1 0嶋田功 56 (ヤマブキオー)
0000.11.28 東京 天皇賞(秋) 芝3200m(良) 13 7 10 011.0(4人) 01着 3:20.6 0嶋田功 58 (ハーバーヤング)
0000.12.19 中山 有馬記念 芝2500m(良) 14 1 1 010.9(4人) 03着 2:34.5 0菅原泰夫 55 トウショウボーイ
1977.01.23 東京 AJCC 芝2400m(良) 14 5 8 003.2(1人) 03着 2:27.0 0嶋田功 58 グリーングラス
0000.02.27 中山 5歳上オープン 芝1600m(良) 15 6 10 004.9(2人) 03着 1:36.8 0鹿野則夫 57 ヤマブキオー
0000.03.13 中山 中山記念 芝1800m(良) 8 1 1 004.3(2人) 01着 1:49.2 0嶋田功 58 (トウフクセダン)
0000.05.15 東京 アルゼンチン共和国杯 芝2400m(不) 7 7 7 002.1(1人) 01着 2:34.4 0嶋田功 59 グレートセイカン
0000.06.05 阪神 宝塚記念 芝2200m(良) 6 4 4 006.8(4人) 04着 2:14.8 0嶋田功 55 トウショウボーイ

血統表

アイフル血統プリンスローズ系アウトブリード (血統表の出典)

* セダン
Sedan
1955 鹿毛
父の父
Prince Bio
1941 鹿毛
Prince Rose Rose Prince
Indolence
Biologie Bacteriophage
Eponge
父の母
Staffa
1948 鹿毛
Orsenigo Oleander
Ostana
Signa Ortello
Superga

グリンロッチ
1965 黒鹿毛
* リンボー
Limbo
1949 鹿毛
War Admiral Man O' War
Brushup
Boojie Boojum
Foxiana
母の母
ミスズクイン
1960 黒鹿毛
* ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
カツエー ハクリユウ
昭英 F-No.11-c


脚注

注釈

  1. ^ サラブレッドの妊娠期間は通常11か月。
  2. ^ 愛+降る、愛+full(一杯になる)
  3. ^ 1着同着3頭、2着はスズタカギンガ。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o アイフル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『優駿』1991年5月号 65頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』1991年5月号 63頁
  4. ^ a b 『優駿』1991年5月号 64頁
  5. ^ a b 『優駿』1991年5月号 66頁
  6. ^ アイフルの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年6月29日閲覧。
  7. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|アイフル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月26日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1991年5月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 61】追い込み人生 アイフル」

外部リンク