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'''オメガトライブ'''は、主に[[1980年代]]に日本で活躍したJAPANESE [[AOR]]の草分けで、プロデューサー[[アウト・キャスト|藤田浩一]]の指揮のもと、作曲家[[林哲司]]並びに[[和泉常寛]]、アレンジャー[[新川博]]などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称(計3回)。ボーカルは[[杉山清貴]]、[[カルロス・トシキ]]、[[新井正人]]と変遷。夏・海・リゾートをテーマとした作品の数々は『[[サザンオールスターズ]]』や『[[TUBE]]』<ref>現在は、オメガトライブの元メンバーである高島信二が制作スタッフに参加している。</ref>などとともにサマーソングのヒット曲として知られる。
'''オメガトライブ'''は、主に[[1980年代]]に日本で活躍したJAPANESE [[AOR]]の草分けで、プロデューサー[[アウト・キャスト|藤田浩一]]の指揮のもと、作曲家[[林哲司]]並びに[[和泉常寛]]、アレンジャー[[新川博]]などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称(計3回)。ボーカルは[[杉山清貴]]、[[カルロス・トシキ]]、[[新井正人]]と変遷した。夏・海・リゾートをテーマとした作品の数々は『[[サザンオールスターズ]]』や『[[TUBE]]』<ref>現在は、オメガトライブの元メンバーである高島信二が制作スタッフに参加している。</ref>などとともにサマーソングのヒット曲として知られる。


==概要==
==概要==
藤田浩一は、80年代に[[角松敏生]]やオメガトライブ、[[菊池桃子]]を擁していた芸能事務所トライアングル・プロダクションのオーナーであり、のタッチする作業は作詞家や作曲家、アレンジャーとのプリプロダクションからレコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示、エンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐にっており、全ての最終決定権は藤田にあった<ref>[[1981年]]デビューの角松敏生は、話題性を狙ったレコード制作及びそのセールス・プロモーションで活動拡大を図りたい事務所側と、バンドを組んでのライブハウス出演など草の根的なライブ活動をしたい自身との活動方針の相違により、アルバムとシングルをそれぞれ枚発表した後の[[1982年]]に事務所を移籍することになり、その後釜的存在として事務所に入ってきたのが杉山清貴&オメガトライブであった。</ref>
藤田浩一は、1980年代に[[角松敏生]]やオメガトライブ、[[菊池桃子]]を擁していた芸能事務所[[トライアングル・プロダクション]]のオーナーであり、藤田のタッチする作業は作詞家や作曲家、アレンジャーとのプリプロダクションからレコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示、エンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐にわたっており、全ての最終決定権は藤田にあった<ref>[[1981年]]デビューの角松敏生は、話題性を狙ったレコード制作及びそのセールス・プロモーションで活動拡大を図りたい事務所側と、バンドを組んでのライブハウス出演など草の根的なライブ活動をしたい自身との活動方針の相違により、アルバムとシングルをそれぞれ2枚発表した後の[[1982年]]に事務所を移籍することになり、その後釜的存在として事務所に入ってきたのが杉山清貴&オメガトライブであった。</ref>
<ref>菊池桃子の初期アルバムのジャケット写真は、他のアイドルのような顔の大写しやバストショットではなく、AORアーティストのような情景の中に全身の姿が溶け込んで写っているショット(故に顔が写っている範囲の比率も小さい)で、その顔も水に浸かっていたり、影に覆われていたりして目立たないのだが、それが逆に話題になった。また、[[1985年]]の[[日本武道館]]でのファーストコンサートでは、[[エイブラハム・ラボリエル]]と[[アレックス・アクーニャ]]ら[[ロサンゼルス|ロス]]の一流ミュージシャンによる[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]系バンドのコイノニアがバック・バンドを務めた。</ref>
<ref>菊池桃子の初期アルバムのジャケット写真は、他のアイドルのような顔の大写しやバストショットではなく、AORアーティストのような情景の中に全身の姿が溶け込んで写っているショット(故に顔が写っている範囲の比率も小さい)で、その顔も水に浸かっていたり、影に覆われていたりして目立たないのだが、それが逆に話題になった。また、[[1985年]]の[[日本武道館]]でのファーストコンサートでは、[[エイブラハム・ラボリエル]]と[[アレックス・アクーニャ]]ら[[ロサンゼルス|ロス]]の一流ミュージシャンによる[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]系バンドのコイノニアがバック・バンドを務めた。</ref>


名称の名づけ親はDJの[[カマサミ・コング]]。メンバーは候補に挙がっていた中の「タイクス」という名前を気に入っていたが、藤田が「オメガトライブ」に決めたという。「オメガトライブ」とは、「オメガ『Ωω』ギリシャアルファベットで一番に表記される文字「最後」という意味と、「トライブ」=民族という意味を合わせて、「最終民族」という意味がある。詳細は後述。
名称の名づけ親はDJの[[カマサミ・コング]]。メンバーは候補に挙がっていた中の「タイクス」という名前を気に入っていたが、藤田が「オメガトライブ」に決めたという。「オメガトライブ」とは、「[[Ω|オメガ]](Ω, ω)=[[ギリシア文字
ギリシャアルファベット]]の最文字「最後」意味する)と、「トライブ」=民族を合わせて、「最終民族」という意味がある。詳細は後述。


== 杉山清貴&オメガトライブ ==
== 杉山清貴&オメガトライブ ==
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===略歴===
===略歴===
*1980年に前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハ・ポプコンに入賞。
*1980年に前身となるバンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回[[ヤマハポピュラーソングコンテスト|ヤマハ・ポプコン]]に入賞する
*1983年、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビュー。
*1983年、プロデューサー藤田の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビューする
**、「オメガトライブ」という名前は「バンド名の候補でも一番下にあった名前」であった(この事は、後に杉山自身が公言している)。
**なお、「オメガトライブ」という名前は「バンド名の候補でも一番下にあった名前」であった(後に杉山自身が公言している)。
*1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、[[横浜文化体育館]]のライブを最後に解散。
*1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、[[横浜文化体育館]]のライブを最後に解散する
*2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再結成(前座:きゅうてぃぱんちょす)、2月11日[[NHKホール]]、2月14日愛知厚生年金会館、2月15日大阪厚生年金会館において、『First Finale2 ~オメガとライブ~』と言う、コンサートを行なった<ref>以下の外部リンク先を参照。[http://www.sugiyamakiyotaka.com/omega/omega.html 杉山清貴公式ホームページ 期待の杉山清貴&オメガトライブ再結成ライブ First Finale2 ~オメガとライブ~決定!!]</ref>。
*2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再結成(前座:きゅうてぃぱんちょす)、2月11日[[NHKホール]]、2月14日[[愛知厚生年金会館]]、2月15日[[大阪厚生年金会館]]において、『First Finale2 ~オメガとライブ~』と題したコンサートを行<ref>以下の外部リンク先を参照。[http://www.sugiyamakiyotaka.com/omega/omega.html 杉山清貴公式ホームページ 期待の杉山清貴&オメガトライブ再結成ライブ First Finale2 ~オメガとライブ~決定!!]</ref>。
*杉山清貴&オメガトライブ最大のヒットとなった[[ふたりの夏物語]]は楽曲を提供をした林哲司によると、林あらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われていた当時、オメガトライブのJALのTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になり、関係者から「Only You~君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、作詞の[[康珍化]]とともに楽曲の制作に入、わずか1日で書き上げすぐに楽曲のレコーディングの作業に入った。当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させ、わずか計3日間で曲完成させたという。林は「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。


代表曲は、『[[SUMMER SUSPICION|サマー・サスピション]]』『[[ASPHALT LADY|アスファルト・レディ]]』『[[ふたりの夏物語]]-Never Ending Summer-』『君のハートはマリンブルー』『サイレンスがいっぱいなど。
代表曲は[[SUMMER SUSPICION|サマー・サスピション]]」「[[ASPHALT LADY|アスファルト・レディ]]」「[[ふたりの夏物語]]-Never Ending Summer-」「君のハートはマリンブルー」「サイレンスがいっぱいなど。
*杉山清貴&オメガトライブ最大のヒットとなった[[ふたりの夏物語]]楽曲を提供をした林哲司によると、わずか3日間で曲を完成させたという。当時、林あらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われていた、オメガトライブの[[日本航空|JAL]]のTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になった。関係者から「Only You~君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、ただちに作詞の[[康珍化]]とともに楽曲の制作に入ると、わずか1日で曲を書き上げた。次いですぐにレコーディングの作業に入り、当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させてレコーディングすませたという。林は「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。


===主な制作陣===
===主な制作陣===
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===略歴===
===略歴===
*1986年 前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え新たに日系ブラジル人の[[カルロス・トシキ]]、[[菊池桃子]]のバックバンドでギターを担当していた黒川照家(くろかわみつや)を迎えて、プロデューサー藤田浩一の第2弾プロジェクト『'''1986オメガトライブ'''』としてデビュー。
*1986年前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え新たに[[日系ブラジル人]]の[[カルロス・トシキ]]、[[菊池桃子]]のバックバンドでギターを担当していた黒川照家<small>(くろかわ みつや)</small>を迎えて、プロデューサー藤田の第2弾プロジェクト『'''1986オメガトライブ'''』としてデビュー。
*1988年3月 黒川がバンドを脱退。バンドメンバーのグループ名を『'''カルロス・トシキ&オメガトライブ'''』に変更。
*1988年3月黒川がバンドを脱退する。グループ名を『'''カルロス・トシキ&オメガトライブ'''』に変更する
**改名の理由として、「黒川が脱退した以上、1986オメガトライブではくなった」ことと、「(1986という)ネーミングが古くなってきた」ことが理由
**改名の理由として、「黒川が脱退した以上、1986オメガトライブではくなった」ことと、「(1986という)ネーミングが古くなってきた」ことが挙げられている
**、改名に当たってスタッフとしては「もっとカルロスを全面に押し出したい」という意向があったが、本人は「あくまでも3人のバンドである」と考えていた、スタッフの思惑通りにはいかなかったようである。
**なお、改名に当たってスタッフとしては「もっとカルロスを全面に押し出したい」という意向があったが、本人たちは「あくまでも3人のバンドである」と考えていたため、スタッフの思惑通りにはいかなかったようである。
*1988年7月、レコーディングにコーラスとして参加していたジョイ・マッコイが正式に加入。
*1988年7月、レコーディングにコーラスとして参加していたジョイ・マッコイが正式に加入する
*1990年 [[松任谷由実]]が作詞作曲した時はかげろうを発表後ファイナルツアーを行い、1991年3月16日[[日清パワーステーション]]でのライブを最後に解散。1990年12月14日放送の『[[ミュージックステーション]]』([[テレビ朝日]]系)にて解散発表を行った。
*1990年[[松任谷由実]]が作詞作曲した時はかげろうを発表後ファイナルツアーを行い、1991年3月16日[[日清パワーステーション]]でのライブを最後に解散する。1990年12月14日放送の『[[ミュージックステーション]]』([[テレビ朝日]]系)にて解散発表を行った。
*2005年3月9日、ファンサイトの呼びかけを中心とした署名活動により、発売された楽曲<ref>リミックスされた音源も含む。</ref>が全曲<ref>アルバムDOWN TOWN MYSTERYのDAYLIGTHとNIGTH TIMEの2バージョン曲、一部の楽曲のカラオケなども含む。</ref>収録されたCD+PVや『[[歌のトップテン]]』に出演した時の映像を納めたDVDを収めた『COMPLETE BOX "Our Graduation"』を発売した
*2005年3月9日、ファンサイトの呼びかけを中心とした署名活動により、発売された楽曲<ref>リミックスされた音源も含む。</ref>が全曲<ref>アルバムDOWN TOWN MYSTERYDAYLIGTHNIGTH TIMEの2バージョン曲、一部の楽曲のカラオケなども含む。</ref>収録されたCD+PVや『[[歌のトップテン]]』に出演した時の映像を納めたDVDを収めた『COMPLETE BOX "Our Graduation"』を発売する


代表曲は君は1000%』『Super Chance』『COSMIC LOVE』『アクアマリンのままでいて』『花の降る午後など。
代表曲は「[[君は1000%]]」「[[Super Chance]]」「[[COSMIC LOVE]]」「[[アクアマリンのままでいて]]」「[[花の降る午後 (曲)]]」など。


===主な制作陣===
===主な制作陣===
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*サウンドプロデュース&アレンジ [[新川博]]
*サウンドプロデュース&アレンジ [[新川博]]


== ブランニュー・オメガトライブ (BRAND NEW OMEGA TRIBE,BNOT) ==
== ブランニュー・オメガトライブ (BRAND NEW OMEGA TRIBE, BNOT) ==
1993年、かつてパルで活躍し、ソロとして『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』の主題歌「アニメじゃない」をヒットさせたことのある[[新井正人]]をボーカルに迎え、プロデューサー藤田浩一の第3弾プロジェクトとしてスタート。第3弾「オメガトライブ」はバンドの形はとらず、新井正人のソロプロジェクトであり、第1弾、第2弾制作陣が脇を固める楽曲構成となっている。
1993年、かつてパルで活躍し、ソロとして『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』の主題歌「[[アニメじゃない]]」をヒットさせたことのある[[新井正人]]をボーカルに迎え、プロデューサー藤田の第3弾プロジェクトとしてスタートする。第3弾「オメガトライブ」はバンドの形はとらず、新井正人のソロプロジェクトであり、第1弾、第2弾制作陣が脇を固める構成となっている。


===主な制作陣===
===主な制作陣===
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===略歴===
===略歴===
[[1992年]]、三上哲をボーカルに迎え、オメガトライブ生え抜きメンバーの高島信二、西原俊次の3名により結成。「ドーム」ではなく『ディー・オメ』と読ませる。英語表記では「'''D'''econstructed '''O'''MEGA by '''M'''ints '''E'''ntertainment」の略称とされていた。シングル「女神達に逢える日」とアルバムDOMEを、[[NECアベニュー]]からリリースした。その間、高島は[[ビーイング]]でプロデューサー・ディレクターとしての活動を始めていた。
[[1992年]]、三上哲をボーカルに迎え、オメガトライブ生え抜きメンバーの高島信二、西原俊次の3名により結成する。「ドーム」ではなく『ディー・オメ』と読ませる。英語表記では「'''D'''econstructed '''O'''MEGA by '''M'''ints '''E'''ntertainment」の略称とされていた。シングル「女神達に逢える日」とアルバムDOMEを、[[NECアベニュー]]からリリースした。その間、高島は[[ビーイング]]でプロデューサー・ディレクターとしての活動を始めていた。


== 番外オメガトライブ「WEATHER SIDE」 ==
== 番外オメガトライブ「WEATHER SIDE」 ==
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===略歴===
===略歴===
[[1994年]]、高島・西原は高取秀明をボーカルに迎え、「WEATHER SIDE」を結成。1996年に解散するまでアルバム・シングル各3枚をリリースした。
[[1994年]]、高島・西原は高取秀明をボーカルに迎え、「WEATHER SIDE」を結成する。1996年に解散するまでアルバム・シングル各3枚をリリースした。


== シングル ==
== シングル ==
=== 杉山清貴&オメガトライブ ===
=== 杉山清貴&オメガトライブ ===
*[[SUMMER SUSPICION]](1983/4/21)
*[[SUMMER SUSPICION]](19834月21日)
*[[ASPHALT LADY]](1983/10/21)
*[[ASPHALT LADY]](198310月21日)
*[[君のハートはマリンブルー]](1984/1/21)※TBS系ドラマ『[[年ごろ家族]]』主題歌
*[[君のハートはマリンブルー]](19841月21日)※TBS系ドラマ『[[年ごろ家族]]』主題歌
*[[RIVERSIDE HOTEL]] (1984/10.21)
*[[RIVERSIDE HOTEL]] (198410月21日)
*[[ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-]](1985/3/6)※[[日本航空]]「JALPAK'85」CM曲
*[[ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-]](19853月6日)※[[日本航空]]「JALPAK'85」CM曲
*サイレンスがいっぱい(1985/5/29)※[[日本テレビ放送網|NTV]]系ドラマ『[[のん姉ちゃん・200W|のん姉ちゃん・200W(ワット)]]』主題歌
*サイレンスがいっぱい(19855月29日)※[[日本テレビ放送網|NTV]]系ドラマ『[[のん姉ちゃん・200W|のん姉ちゃん・200W(ワット)]]』主題歌
*ガラスのPALM TREE(1985/11/7)※[[ダイドードリンコ|ダイドー]]ジョニアンコーヒーCM曲
*ガラスのPALM TREE(198511月7日)※[[ダイドードリンコ|ダイドー]]ジョニアンコーヒーCM曲


=== 1986オメガトライブ ===
=== 1986オメガトライブ ===
*[[君は1000%]](1986/5/1)※NTV系ドラマ『[[新・熱中時代宣言]]』主題歌
*[[君は1000%]](19865月1日)※NTV系ドラマ『[[新・熱中時代宣言]]』主題歌
*[[Super Chance]](1986/8/7)※[[富士写真フイルム|富士フイルム]]「スーパーフジカラー」CM曲
*[[Super Chance]](19868月7日)※[[富士写真フイルム|富士フイルム]]「スーパーフジカラー」CM曲
*[[Cosmic Love]](1986/10/15)※[[三洋電機|サンヨー]]「WO8」のCM曲
*[[Cosmic Love]](198610月15日)※[[三洋電機|サンヨー]]「WO8」のCM曲
*[[Miss Lonely Eyes]](1987/7/15)
*[[Miss Lonely Eyes]](19877月15日)
*[[Stay girl Stay pure]](1987/11/18)※NTV系ドラマ『[[恋はハイホー!]]』オープニング曲
*[[Stay girl Stay pure]](198711月18日)※NTV系ドラマ『[[恋はハイホー!]]』オープニング曲


=== カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
=== カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
*[[DOWN TOWN MYSTERY]](1988/4/6)
*[[DOWN TOWN MYSTERY]](19884月6日)
*[[アクアマリンのままでいて]](1988/8/10)※フジテレビ系ドラマ『[[抱きしめたい!]]』主題歌
*[[アクアマリンのままでいて]](19888月10日)※フジテレビ系ドラマ『[[抱きしめたい!]]』主題歌
*[[REIKO (カルロス・トシキ&オメガトライブ)|REIKO]](1988/11/10)※ジョイ・マッコイがリードボーカル、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
*[[REIKO (カルロス・トシキ&オメガトライブ)|REIKO]](198811月10日)※ジョイ・マッコイがリードボーカル、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
*[[どうして好きといってくれないの]](1989/7/21)※TBS系『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』エンディング曲
*[[どうして好きといってくれないの]](19897月21日)※TBS系『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』エンディング曲
*[[花の降る午後 (曲)|花の降る午後]](1989/9/5)※[[東宝]]映画『[[花の降る午後]]』主題歌
*[[花の降る午後 (曲)|花の降る午後]](19899月5日)※[[東宝]]映画『[[花の降る午後]]』主題歌
*[[時はかげろう]](1990/6/25)
*[[時はかげろう]](19906月25日)


=== ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE) ===
=== ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE) ===
*愛さなくていいから(1993/8/2)
*愛さなくていいから(19938月2日)
*Marry Me(1994/1/25)
*Marry Me(19941月25日)


=== DOME ===
=== DOME ===
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=== WEATHER SIDE ===
=== WEATHER SIDE ===
*風を抱いて(1994/4/21)
*風を抱いて(1994421)
*いいのさ、君のままで(1994/9/21)
*いいのさ、君のままで(19949月21日)
*夏だから(1995/5/19)
*夏だから(19955月19日)


== アルバム ==
== アルバム ==
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=== 杉山清貴&オメガトライブ ===
=== 杉山清貴&オメガトライブ ===
*Aqua City(1983/9/21)
*Aqua City(19839月2日1)
*River's Island(1984/3/21)
*River's Island(19843月21日)
*[[カマサミ・コング]]・DJスペシャル(1984/6/10)(CTとCDのみ)
*[[カマサミ・コング]]・DJスペシャル(19846月10日)(CTとCDのみ)
*Never Ending Summer(1984/12/21)
*Never Ending Summer(198412月21日)
*Another Summer(1985/7/1)
*Another Summer(19857月1日)
*Single's History(1985/10/23)(ベストアルバム)
*Single's History(198510月23日)(ベストアルバム)
*First Finale(1985/12/11)
*First Finale(198512月11日)
*Live Emotion(1986/3/30)(ライブアルバム)
*Live Emotion(19863月30日)(ライブアルバム)
*Dear,Summer Lovers(ベストアルバム)
*Dear,Summer Lovers(ベストアルバム)
*Love Story Of Harvor View(ベストアルバム)
*Love Story Of Harvor View(ベストアルバム)
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=== 1986オメガトライブ ===
=== 1986オメガトライブ ===
*[[Navigator (1986オメガトライブ)|Navigator]](1986/7/23)
*[[Navigator (1986オメガトライブ)|Navigator]](19867月23日)
*[[Crystal Night]](1987/2/4)
*[[Crystal Night]](19872月4日)
*[[DJ SPECIAL]](1987/6/21)(企画アルバム)
*[[DJ SPECIAL]](19876月21日)(企画アルバム)


Q盤では『Navigator』『Crystal Night』が復刻している。
Q盤では『Navigator』『Crystal Night』が復刻している。


=== カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
=== カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
*[[DOWN TOWN MYSTERY]](1988/4/6)
*[[DOWN TOWN MYSTERY]](19884月6日)
**カセット・DAYLIGTH VIRSION、レコード・CD・NIGTH TIME VERSIONの2種類。曲の[[ミックスダウン]]が違う。
**カセット・DAYLIGTH VIRSION、レコード・CD・NIGTH TIME VERSIONの2種類。曲の[[ミックスダウン]]が違う。
*[[be yourself (カルロス・トシキ&オメガトライブ)|be yourself]](1989/2/8)
*[[be yourself (カルロス・トシキ&オメガトライブ)|be yourself]](19892月8日)
**杉山清貴作曲の「Last Train」収録。
**杉山作曲の「Last Train」収録。
*[[BAD GIRL]](1989/9/21)
*[[BAD GIRL]](19899月21日)
**オリジナルアルバムでは唯一、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
**オリジナルアルバムでは唯一、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
*[[BEST REMIX]](1989/12/21)(ベストアルバム)
*[[BEST REMIX]](198912月21日)(ベストアルバム)
*natsuko(1990/7/25)
*natsuko(19907月25日)
*The Graduate Live(1991/4/10)(ライブアルバム)
*The Graduate Live(19914月10日)(ライブアルバム)


=== 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
=== 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ ===
*[[Carlos Toshiki and Omega Tribe with 1986 Omega Tribe]]
*[[Carlos Toshiki and Omega Tribe with 1986 Omega Tribe]]
**非売品ベスト・アルバム
**非売品ベスト・アルバム
*[[The Greatest Hit あの頃の私へ....]](1992/3/21)
*[[The Greatest Hit あの頃の私へ....]](19923月21日)
**1986オメガトライブの楽曲もあるが、『Carios・T and Omega Tribe』名義のベストアルバム。
**1986オメガトライブの楽曲もあるが、『Carios・T and Omega Tribe』名義のベストアルバム。
*[[1986 OMEGA TRIBE CARLOS TOSHIKI&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX "Our Graduation"]](2005/3/9)
*[[1986 OMEGA TRIBE CARLOS TOSHIKI&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX "Our Graduation"]](20053月9日)
**1986オメガトライブとカルロス・トシキ&オメガトライブの全シングル曲、全アルバム曲。1986オメガトライブ・歌のトップテン映像DVD、カルロス・トシキ&オメガトライブ・ファイナルコンサート映像DVDのベストアルバムBOX。
**1986オメガトライブとカルロス・トシキ&オメガトライブの全シングル曲、全アルバム曲。1986オメガトライブ・歌のトップテン映像DVD、カルロス・トシキ&オメガトライブ・ファイナルコンサート映像DVDのベストアルバムBOX。
*究極のベスト! 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(2005/7/27)
*究極のベスト! 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(20057月27日)
*プレミアム・ベスト 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(2009/6/24)
*プレミアム・ベスト 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(20096月24日)


=== ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE) ===
=== ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE) ===
*Beach Hippies(1994/2/10)
*Beach Hippies(19942月10日)


=== DOME ===
=== DOME ===
*DOME(1992/5/21)
*DOME(19925月21日)


=== WEATHER SIDE ===
=== WEATHER SIDE ===
*Driving A Go Go(1994/5/20)
*Driving A Go Go(19945月20日)
*HAPPY GO LUCKY(1994/10/21)
*HAPPY GO LUCKY(199410月21日)
*30℃(1995/6/21)
*30℃(19956月21日)


== DVD ==
== DVD ==
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* [http://www.masahito-arai.com/ 新井正人 OFFICIAL WEBSITE]公式サイト
* [http://www.masahito-arai.com/ 新井正人 OFFICIAL WEBSITE]公式サイト


{{オメガトライブ}}
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[[Category:オメガトライブ|*]]
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[[Category:日本のバンド]]
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2010年11月7日 (日) 12:35時点における版

オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したJAPANESE AORの草分けで、プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称(計3回)。ボーカルは杉山清貴カルロス・トシキ新井正人と変遷した。夏・海・リゾートをテーマとした作品の数々は『サザンオールスターズ』や『TUBE[1]などとともにサマーソングのヒット曲として知られる。

概要

藤田浩一は、1980年代に角松敏生やオメガトライブ、菊池桃子を擁していた芸能事務所トライアングル・プロダクションのオーナーであり、藤田のタッチする作業は作詞家や作曲家、アレンジャーとのプリプロダクションからレコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示、エンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐にわたっており、全ての最終決定権は藤田にあった[2] [3]

名称の名づけ親はDJのカマサミ・コング。メンバーは候補に挙がっていた中の「タイクス」という名前を気に入っていたが、藤田が「オメガトライブ」に決めたという。「オメガトライブ」とは、「オメガ」(Ω, ω)=[[ギリシア文字 ギリシャアルファベット]]の最後の文字(「最後」を意味する)と、「トライブ」=民族を合わせて、「最終民族」という意味がある。詳細は後述。

杉山清貴&オメガトライブ

メンバー

  • 杉山清貴(ボーカル)
  • 高島信二(ギター)
  • 大島孝夫(ベース)
  • 西原俊次(キーボード)
  • 廣石恵一(ドラムス、現クレイジーケンバンド
  • 吉田健二(ギター、1985年に脱退)

略歴

  • 1980年に前身となるバンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハ・ポプコンに入賞する。
  • 1983年、プロデューサー藤田の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビューする。
    • なお、「オメガトライブ」という名前は「バンド名の候補でも一番下にあった名前」であった(後に杉山自身が公言している)。
  • 1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散する。
  • 2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再結成し(前座:きゅうてぃぱんちょす)、2月11日NHKホール、2月14日愛知厚生年金会館、2月15日大阪厚生年金会館において、『First Finale2 ~オメガとライブ~』と題したコンサートを行う[4]

代表曲は「サマー・サスピション」「アスファルト・レディ」「ふたりの夏物語-Never Ending Summer-」「君のハートはマリンブルー」「サイレンスがいっぱい」など。

  • 杉山清貴&オメガトライブ最大のヒットとなった「ふたりの夏物語」は、楽曲を提供をした林哲司によると、わずか3日間で曲を完成させたという。当時、林はあらゆるアーティストの楽曲の制作などの作業に追われていた中、オメガトライブのJALのTV-CMのタイアップが決まり、1日でも早く仕上なければ行けない状況になった。関係者から「Only You~君にささやくふたりの夏物語」という一節だけがキャッチコピーとして渡され、ただちに作詞の康珍化とともに楽曲の制作に入ると、わずか1日で曲を書き上げた。次いですぐにレコーディングの作業に入り、当時全国ツアー中だった杉山らメンバーをツアーの合間を縫って帰京させてレコーディングをすませたという。林は「わずか3日間で仕上た曲がオメガの最大のヒットになっちゃったんだから分からないもんだね」と自らのHPの中で語っている。

主な制作陣

1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&オメガトライブ

メンバー

  • カルロス・トシキ(ボーカル)
  • 黒川照家(ギター、1988年3月に脱退)
  • 高島信二(ギター)
  • 西原俊次(キーボード)
  • ジョイ・マッコイ(ボーカル、1988年7月に加入)

略歴

  • 1986年、前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え、新たに日系ブラジル人カルロス・トシキ菊池桃子のバックバンドでギターを担当していた黒川照家(くろかわ みつや)を迎えて、プロデューサー藤田の第2弾プロジェクト『1986オメガトライブ』としてデビュー。
  • 1988年3月、黒川がバンドを脱退する。グループ名を『カルロス・トシキ&オメガトライブ』に変更する。
    • 改名の理由として、「黒川が脱退した以上、1986オメガトライブではなくなった」ことと、「(1986という)ネーミングが古くなってきた」ことが挙げられている。
    • なお、改名に当たってスタッフとしては「もっとカルロスを全面に押し出したい」という意向があったが、本人たちは「あくまでも3人のバンドである」と考えていたため、スタッフの思惑通りにはいかなかったようである。
  • 1988年7月、レコーディングにコーラスとして参加していたジョイ・マッコイが正式に加入する。
  • 1990年、松任谷由実が作詞・作曲した「時はかげろう」を発表後、ファイナルツアーを行い、1991年3月16日日清パワーステーションでのライブを最後に解散する。1990年12月14日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にて解散発表を行った。
  • 2005年3月9日、ファンサイトの呼びかけを中心とした署名活動により、発売された楽曲[5]が全曲[6]収録されたCD+PVや『歌のトップテン』に出演した時の映像を納めたDVDを収めた『COMPLETE BOX "Our Graduation"』を発売する。

代表曲は「君は1000%」「Super Chance」「COSMIC LOVE」「アクアマリンのままでいて」「花の降る午後 (曲)」など。

主な制作陣

ブランニュー・オメガトライブ (BRAND NEW OMEGA TRIBE, BNOT)

1993年、かつてパルで活躍し、ソロとして『機動戦士ガンダムΖΖ』の主題歌「アニメじゃない」をヒットさせたことのある新井正人をボーカルに迎え、プロデューサー藤田の第3弾プロジェクトとしてスタートする。第3弾「オメガトライブ」はバンドの形はとらず、新井正人のソロプロジェクトであり、第1弾、第2弾制作陣が脇を固める構成となっている。

主な制作陣

  • プロデューサー:藤田浩一
  • 作曲家:林哲司・和泉常寛
  • 作詞家:売野雅勇
  • サウンドプロデュース&アレンジ:新川博

番外オメガトライブ「DOME」

メンバー

  • 三上哲(ボーカル、現在は俳優)
  • 高島信二(ギター)
  • 坂内聖一(ベース)
  • 西原俊次(キーボード)
  • 池田通久(ドラムス)

略歴

1992年、三上哲をボーカルに迎え、オメガトライブ生え抜きメンバーの高島信二、西原俊次の3名により結成する。「ドーム」ではなく『ディー・オメ』と読ませる。英語表記では「Deconstructed OMEGA by Mints Entertainment」の略称とされていた。シングル「女神達に逢える日」とアルバム『DOME』を、NECアベニューからリリースした。その間、高島はビーイングでプロデューサー・ディレクターとしての活動を始めていた。

番外オメガトライブ「WEATHER SIDE」

メンバー

略歴

1994年、高島・西原は高取秀明をボーカルに迎え、「WEATHER SIDE」を結成する。1996年に解散するまでアルバム・シングル各3枚をリリースした。

シングル

杉山清貴&オメガトライブ

1986オメガトライブ

カルロス・トシキ&オメガトライブ

ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE)

  • 愛さなくていいから(1993年8月2日)
  • Marry Me(1994年1月25日)

DOME

WEATHER SIDE

  • 風を抱いて(1994年4月21)
  • いいのさ、君のままで(1994年9月21日)
  • 夏だから(1995年5月19日)

アルバム

オメガトライブ

杉山清貴&オメガトライブ

  • Aqua City(1983年9月2日1)
  • River's Island(1984年3月21日)
  • カマサミ・コング・DJスペシャル(1984年6月10日)(CTとCDのみ)
  • Never Ending Summer(1984年12月21日)
  • Another Summer(1985年7月1日)
  • Single's History(1985年10月23日)(ベストアルバム)
  • First Finale(1985年12月11日)
  • Live Emotion(1986年3月30日)(ライブアルバム)
  • Dear,Summer Lovers(ベストアルバム)
  • Love Story Of Harvor View(ベストアルバム)
  • 杉山清貴&オメガトライブ CORE BEST TRACKS
  • 杉山清貴&オメガトライブ シングル・コレクション 1983~1985
  • EVER LASTING SUMMER S.KIYOTAKA&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX
    • 全作品のベストアルバムBOX

Q盤では、『Aqua City』『River's Island』『Never Ending Summer』『Single's History』『First Finale』が復刻している。

1986オメガトライブ

Q盤では『Navigator』『Crystal Night』が復刻している。

カルロス・トシキ&オメガトライブ

  • DOWN TOWN MYSTERY(1988年4月6日)
    • カセット・DAYLIGTH VIRSION、レコード・CD・NIGTH TIME VERSIONの2種類。曲のミックスダウンが違う。
  • be yourself(1989年2月8日)
    • 杉山作曲の「Last Train」を収録。
  • BAD GIRL(1989年9月21日)
    • オリジナルアルバムでは唯一、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
  • BEST REMIX(1989年12月21日)(ベストアルバム)
  • natsuko(1990年7月25日)
  • The Graduate Live(1991年4月10日)(ライブアルバム)

1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ

  • Carlos Toshiki and Omega Tribe with 1986 Omega Tribe
    • 非売品ベスト・アルバム
  • The Greatest Hit あの頃の私へ....(1992年3月21日)
    • 1986オメガトライブの楽曲もあるが、『Carios・T and Omega Tribe』名義のベストアルバム。
  • 1986 OMEGA TRIBE CARLOS TOSHIKI&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX "Our Graduation"(2005年3月9日)
    • 1986オメガトライブとカルロス・トシキ&オメガトライブの全シングル曲、全アルバム曲。1986オメガトライブ・歌のトップテン映像DVD、カルロス・トシキ&オメガトライブ・ファイナルコンサート映像DVDのベストアルバムBOX。
  • 究極のベスト! 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(2005年7月27日)
  • プレミアム・ベスト 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ(2009年6月24日)

ブランニュー・オメガトライブ(BRAND NEW OMEGA TRIBE)

  • Beach Hippies(1994年2月10日)

DOME

  • DOME(1992年5月21日)

WEATHER SIDE

  • Driving A Go Go(1994年5月20日)
  • HAPPY GO LUCKY(1994年10月21日)
  • 30℃(1995年6月21日)

DVD

杉山清貴&オメガトライブ

  • FIRST FINALE CONCERT
  • FIRST FINALE2
    • 再結成ライブコンサートを収録。権利関係の調整がつかず、「オメガトライブ」名義が使えなかった。代わりにメンバー6人の連名で表記された。

コンサート

1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&オメガトライブ [7]

ツアー名 開始日と最終日 備考
アイバンクチャリティーコンサート(名古屋テレビ 1986年7月10日 初のファーストライブ。
学園祭ツアー 1986年10月3日~同年12月1日 秋田大金沢経済大学東北工業大学、東京・文京女子大学、岩手・富士大学弘前学院大学甲南女子大学、福岡・東和大学高崎経済大学明治学院大学日本福祉大学皇学館大学北九州大学名古屋学院大学立教女学院静岡女子大学四国女子大学愛媛大学香川短期大学山形大学共立薬科大学東邦大学東京農工大学福井仁愛女子短大東京理科大学麻布大学立正大学広島文化女子短大帝京短大
DOMESTIC TOUR FIRST 1987年1月13日~同年4月18日 初のコンサートツアー。
SUMMER EVENT TOUR 1987年7月11日~同年8月26日
SECOND TOUR 1987年9月12日~1989年1月30日 途中で1987年の学園祭ツアーと並行公演。更にカルロスが11月24日に体調不良による振替公演もあった。
学園祭ツアー 1987年10月10日~同年11月30日 埼玉医科大岡崎女子短期大学、名古屋・夢コロン、足利短期大学和洋女子短期大学目白学園岐阜工業高等専門学校
EVENT TOUR 1988年6月4日~同年8月27日 山下公園・横浜どんたく、東北歯科大学、SUMMER FES. IN MANZA、岐阜未来博、ビーチサイドフェスティバル、瀬戸大橋博、ROKE WAVE '88富士急ハイランド特設ステージ、小海町特設ステージ、LIVE IN KAISEIZAN、FCイベント MZA有明、SUNSET DREAM IN KISHIWADA COAST
文化放送特別企画「オメガトライブ青春1000%」番組100回記念『OMEGA TREBE IN HAWAII ツアー』 1988年7月10日 参加者200名
学園祭ツアー 1988年10月2日~同年11月12日 八戸工業大学立教大学・越谷校舎、計7カ所[8]
BE YOURSELF 1988年11月27日~1989年3月29日 3rdツアー
マンダム・ライブスペシャル in 日本武道館 1988年12月20日
EVENT TOUR 1989年6月24日~同年7月24日 群馬大学、JPSミュージックスペシャル(横浜アリーナ)、日清パワーステーション、福島女子短期大学、愛知厚生年金会館、まつだ町文化センター、横浜博覧会
学園祭ツアー 1988年10月6日~同年11月12日 帝京大学昭和薬科大学東京女子医科大学いわき明星大学西南女学院短期大学武庫川女子大学大阪学院大学鹿児島女子短期大学徳島大学大阪大学・医学部、平安女学院短期大学愛知学泉大学
HEART Of FIRE 1989年11月27日~1990年4月27日 4thツアー
新宿・日清パワーステーション 1990年10月12日
学園祭ツアー・EVENT 1990年9月30日~同年10月28日 下関公民会館、埼玉・森林公園、新宿・日清パワーステーション、新宿音楽祭 in 日本武道館聖心女子大学
NACK5 LIVE SPECEAL(日清パワーステーション) 1990年11月2日
ちば博覧会'90 in幕張メッセ 1990年11月24日
X'mas LIVE 1990年12月23日、1990年12月25日 日清パワーステーション、川崎教育文化会館
解散コンサート・ツアー 1991年2月21日~3月16日

その他

1986オメガトライブ

書籍

1986オメガトライブ

関連項目

オメガトライブ関連

杉山清貴&オメガトライブ関連

1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&オメガトライブ関連

BRAND NEW OMEGA TRIBE関連

脚注

  1. ^ 現在は、オメガトライブの元メンバーである高島信二が制作スタッフに参加している。
  2. ^ 1981年デビューの角松敏生は、話題性を狙ったレコード制作及びそのセールス・プロモーションで活動拡大を図りたい事務所側と、バンドを組んでのライブハウス出演など草の根的なライブ活動をしたい自身との活動方針の相違により、アルバムとシングルをそれぞれ2枚発表した後の1982年に事務所を移籍することになり、その後釜的存在として事務所に入ってきたのが杉山清貴&オメガトライブであった。
  3. ^ 菊池桃子の初期アルバムのジャケット写真は、他のアイドルのような顔の大写しやバストショットではなく、AORアーティストのような情景の中に全身の姿が溶け込んで写っているショット(故に顔が写っている範囲の比率も小さい)で、その顔も水に浸かっていたり、影に覆われていたりして目立たないのだが、それが逆に話題になった。また、1985年日本武道館でのファーストコンサートでは、エイブラハム・ラボリエルアレックス・アクーニャロスの一流ミュージシャンによるフュージョン系バンドのコイノニアがバック・バンドを務めた。
  4. ^ 以下の外部リンク先を参照。杉山清貴公式ホームページ 期待の杉山清貴&オメガトライブ再結成ライブ First Finale2 ~オメガとライブ~決定!!
  5. ^ リミックスされた音源も含む。
  6. ^ アルバム『DOWN TOWN MYSTERY』の「DAYLIGTH」と「NIGTH TIME」の2バージョン曲、一部の楽曲のカラオケなども含む。
  7. ^ a b 『1983 - 1991 1986OMEGA TRIBE CARLOS TOSHIKI&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX Our Graduation』より。
  8. ^ 詳細は記載されていない。
  9. ^ カルロス・トシキ UNOFFICIAL WEBSITE公認ファンサイトのトップより。

外部リンク