熊林親吾

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熊林親吾
名前
カタカナ クマバヤシ シンゴ
ラテン文字 KUMABAYASHI Shingo
基本情報
国籍 日本
生年月日 1981年6月23日
出身地 秋田県
身長 169cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム ザスパ草津
ポジション MF
背番号 14
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

熊林 親吾(くまばやし しんご、1981年6月23日 - )は、Jリーグザスパ草津所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー秋田県出身・幼少の頃は北海道旭川市に在住。

目次

[編集] プレースタイル

身体能力的に特筆すべきものはないが、左右両足からの長短正確なパス・クロス、視野の広さを活かし、ボランチトップ下・サイドなど中盤の数々のポジションをこなす。また、2002年シーズンから所属した湘南では献身的に動き回りスタミナが途切れないダイナモ的特長も発揮。本人は常々「自分はパスが持ち味」と語っていたが、2005年シーズンに所属した横浜F・マリノスの岡田武史監督(当時)に「90分間走り回れるという特長を活かしたほうがよい」と言われ、その後は「自分ではパスが持ち味だと思っているが、献身的な動きを評価してくださる方も多いので、自分の特長は見た方がそれぞれ判断してくれればよい」との発言をすることが増えた。

[編集] 所属クラブ

[編集] エピソード

  • 湘南での応援歌は当初高田保則と同じ曲(原曲は『WeAreTheChamp』)であったが、応援団のコールリーダーに直接「この曲は振り付けがあるので7ゲート(応援団が集まるバックスタンドのゲート名)の人しかできない、手拍子があればメインスタンドも含めてスタジアム中に応援してもらえるから磐田時代の先輩である藤田俊哉選手や名波浩選手のような応援歌がよい」と要望を伝え名波浩やベルマーレOBの中田英寿と同じ曲を使った応援歌を作ってもらった。
  • 仙台での応援歌は当初「金萬・ババヘラ・熊林」と秋田名物を並べたユニークなものであったがその後氣志團の『スウィンギン・ニッポン』を原曲とする歌に変わった。
  • 2007年最終節は当時レンタル移籍中の徳島ヴォルティスとレンタル元のベガルタ仙台が仙台のホーム、ユアテックスタジアムで対戦。直前に仙台からの戦力外通告が発表され、徳島からも戦力外との報道(こちらは公式ではなく新聞報道)があった中での試合であったが、試合直後、仙台サポーターの元へ走り寄り、深々とお辞儀をし、逆に仙台サポーターは普段自チームの元所属選手はブーイングで迎えることも多いがこの時は仙台時代の応援歌の大合唱で迎え、熊林本人だけでなく仙台の一部選手、サポーターも涙するということがあった。
  • 元々、CKを蹴る際など自チームサポーターを腕を振って煽ったり、サポーターを盛り上げることが多々見られたが、ザスパ草津では2008年シーズン途中から、試合後サポーターの前で拡声器を使ってマイクパフォーマンスをする通称「熊林劇場」が勝利後のお約束となりつつある。マイクパフォーマンス以外にも草津温泉の法被を着る、負傷して長期離脱となった高田保則のユニフォームを着るなどのパフォーマンスをすることもある。
  • 憧れの選手はプロ入り前から一貫して磐田時代の先輩でもある名波浩奥大介(奥は横浜所属時代もチームメイトだった)と言い続けている。

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000年 磐田 28 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2001年 磐田 28 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002年 磐田 28 J1 0 0 0 0 - 0 0
湘南 30 J2 28 2 - 4 0 32 2
2003年 湘南 8 J2 37 1 - 4 2 41 3
2004年 湘南 8 J2 19 0 - 0 0 19 0
2005年 横浜FM 13 J1 8 0 1 0 0 0 9 0
2006年 仙台 6 J2 41 2 - 1 0 42 2
2007年 仙台 6 J2 6 1 - - 6 1
徳島 31 J2 20 0 - 2 0 22 0
2008年 草津 14 J2 38 2 - 2 0 40 2
2009年 草津 14 J2 -
通算 日本 J1 8 0 1 0 0 0 9 0
日本 J2 189 8 - 13 2 202 10
総通算 197 8 1 0 13 2 211 10
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2005年 横浜FM 13 2 0
通算 AFC 2 0


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