昭和新山

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昭和新山
昭和新山(2013年9月)
標高 398 m
所在地 北海道有珠郡壮瞥町
位置 北緯42度32分33秒 東経140度51分52秒 / 北緯42.54250度 東経140.86444度 / 42.54250; 140.86444座標: 北緯42度32分33秒 東経140度51分52秒 / 北緯42.54250度 東経140.86444度 / 42.54250; 140.86444
種類 溶岩ドーム
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昭和新山(しょうわしんざん)は、北海道有珠郡壮瞥町にある火山支笏洞爺国立公園に含まれる。標高398mで、温度低下と浸食などによって年々縮んでいる。国の特別天然記念物1957年昭和32年指定)。

地質[編集]

明治新山等と同じく有珠山側火山であり、デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。現在も噴気活動が見られる。

また、かつては有珠山のの平地だったところに火山が形成されたことによる、いくつかの特徴がある。山が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったものである。そして、川に運ばれ平地の地下に埋まるなどしていた石が、溶岩によって持ち上げられたために、昭和新山の中腹に、河原にあるような丸い石が場違いに転がっているのも見ることができる。

2007年(平成19年)、有珠山とともに日本の地質百選に選定された。

2008年(平成20年)、洞爺湖有珠山ジオパーク日本ジオパークに認定される。

2009年(平成21年)、洞爺湖有珠山ジオパーク世界ジオパークに認定される。

噴火前の状況[編集]

かつてはこの地域は「東九万坪」という広大な畑作地帯で、壮瞥川の川沿いにはフカバという集落があった。この集落名は、かつて孵化場があったことによる。

胆振縦貫鉄道が通るのどかな田園地帯だったが、火山の隆起とともに集落は消滅した。その痕跡は崩壊した鉄道の橋脚跡などに残っている。

噴火活動の推移[編集]

昭和新山の初期(1944年10月)国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
昭和新山のステレオ空中写真(1976年昭和51年))。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  • 1月4日 - フカバ集落の湧水の温度が上昇し、20℃だったものが43℃に達する。
  • 1月5日 - 洞爺湖に巨大な渦巻きが発生。同日、レールの隆起により、胆振線が不通になる。
  • 2月5月 - フカバ集落、柳原集落、東九万坪、西九万坪一帯で隆起活動が続く。柳原では前年比で31mも隆起。
  • 6月21日 - 壮瞥川が、川底の隆起によって氾濫。
  • 6月23日 - 午前8時15分、東九万坪台地より第1次大噴火。第1火口形成。
  • 6月27日 - 午前6時、第2次大噴火。第2火口形成。   
  • 7月2日 - 午前0時ころ、第3次大噴火。第3火口形成。苫小牧千歳方面でも降灰。
  • 7月3日 - 午前8時30分、第4次大噴火。室蘭登別方面に降灰。
  • 7月11日 - 午前10時40分、第5次大噴火。噴煙が強風に倒され、洞爺湖畔を襲う。
  • 7月13日 - 午後6時10分、第6次大噴火。第4火口形成。
  • 7月15日 - 午後9時、第7次大噴火。
  • 7月24日 - 午前5時、第8次大噴火。
  • 7月25日 - 午前5時10分、第9次大噴火。
  • 7月29日 - 午後2時20分、第10次大噴火。登別、白老方面に降灰。亜硫酸ガス噴出で山林が荒廃。
  • 8月1日 - 午後11時55分、第11次大噴火。室蘭方面に降灰。
  • 8月4日 - 午後10時、第12次大噴火。    
  • 8月20日 - 午前6時、中噴火。第5火口形成。
  • 8月26日 - 午後2時20分、第13次大噴火。壮瞥町滝之上地区で、睡眠中の幼児1名が火山灰で窒息死。
  • 9月8日 - 午後4時15分、第14次大噴火。フカバ集落で火山弾による火災。5戸全半焼。
  • 9月16日 - 中爆発。第6火口形成。
  • 10月1日 - 午前0時30分、第15次大噴火。第7火口形成。
  • 10月16日 - 午後7時50分、第16次大噴火。
  • 10月30日 - 午後9時30分、第17次大噴火。これを最後に、降灰を伴う噴火は収束。
  • 12月 - このころ、溶岩ドームの推上が始まる。
  • 1月10日 - 溶岩ドームの高さ、地表より10~20m。
  • 2月11日 - 溶岩ドームは高さ40~50mに成長。
  • 2月26日 - 溶岩ドーム主塔の脇に、副塔が確認される
  • 5月 - 主塔の高さ85mに達する。
  • 9月20日 - 全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m。

噴火観測と保護[編集]

三松正夫記念館

昭和新山は、1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。当時は第二次世界大戦中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。地元の郵便局長三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製した。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となった。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行った。このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山である。1951年(昭和26年)、国の天然記念物に指定、1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定された。

昭和新山の山麓には1988年(昭和63年)4月に三松正夫記念館が開館しており、三松による観測記録「ミマツ・ダイヤグラム」などの資料類が展示されている[1]

参考画像[編集]

その他[編集]

  • 1989年(平成元年)より麓で開催されている昭和新山国際雪合戦は、北海道遺産の一つに選定されている。
  • 有名な観光地として訪れる人が多くなった1960年代以降、団体旅行では昭和新山を背景に記念写真を撮ることがよく行われていたが、そのことから北海道への観光客が大勢犠牲となった全日空羽田沖墜落事故ばんだい号墜落事故全日空機雫石衝突事故では昭和新山での記念写真が遺されることになり、一時期マスコミで「呪われた山」として取り上げられたりした。

アクセス[編集]

周辺施設[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “昭和新山資料一堂に 三松記念館オープン”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1988年4月24日)

参考文献[編集]

著者は、三松正夫の後継者で「三松正夫記念館」館長。
三松正夫をモデルに執筆。『文藝春秋1969年(昭和44年)11月号に掲載。『新田次郎全集 第11巻 ある町の高い煙突・笛師』(新潮社1975年(昭和50年)) に収録。雑誌掲載・単行本の出版年は、この資料の記載による。

外部リンク[編集]