ヴィックスバーグ (軽巡洋艦)

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USS Vicksburg (CL-86)
艦歴
発注:
起工: 1942年10月26日
進水: 1943年12月14日
就役: 1944年6月12日
退役: 1947年6月30日
その後: 1964年にスクラップとして廃棄
除籍: 1962年10月1日
性能諸元
排水量: 10,000 トン
全長: 610 ft 1 in
全幅: 66 ft 4 in
吃水: 25 ft
機関:
最大速: 33 ノット
乗員: 士官、兵員992名
兵装: 6インチ砲12門、5インチ砲12門
40mm機銃28基、20mm機銃10基
搭載機: 2機、カタパルト2基

ヴィックスバーグ (USS Vicksburg, CL-86) は、アメリカ海軍軽巡洋艦クリーブランド級軽巡洋艦の16番艦。艦名はミシシッピ州ヴィックスバーグに因む。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴[編集]

ヴィックスバーグは1942年10月26日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所シャイアン (Cheyenne) として起工し、一ヶ月後にヴィックスバーグに改名された。1943年12月14日にミュリエル・ハミルトン(ヴィックスバーグ市長J・C・ハミルトンの娘)によって進水、1944年6月12日にノーフォーク海軍工廠でウィリアム・C・ヴォス艦長の指揮下就役する。

戦後[編集]

ヴィックスバーグは1945年8月15日の日本の降伏によって、フィリピン海域に留まることとなる。8月20日、レイテ島サンペドロ湾を第30.3.7任務部隊の一部として、モール (USS Moale, DD-693) 、ロウ (USS Rowe, DD-564) 、ロウリー (USS Lowry, DD-770) と共に出航した。艦隊は日本本土に接近すると、高速空母部隊と合流した。ロウリーは機雷を発見、爆破処理した。

ヴィックスバーグは8月24日にジョン・S・マケイン中将率いる任務部隊の一部、第38.2任務群に加わり、海上での物資および食糧補給を行った。第38.2任務群は部隊に先立ち東京湾への接近をカバーし、9月2日の日本の降伏式典時も任務を継続した。その3日後、ヴィックスバーグは東京湾に入港した。

東京湾で第10巡洋艦隊司令官のI・J・ウィルツ少将がヴィックスバーグを旗艦として移乗し、9月20日にジョン・F・シャフロス少将率いる第3艦隊任務群の一部として東京湾を出航、沖縄に向かった。9月23日に中城湾に停泊し、ヴィックスバーグは2,200名の帰還兵を乗艦させた。

ヴィックスバーグは10月4日に真珠湾に到着、その5日後に本国へ帰還する第3艦隊に先だって出航した。10月15日、艦隊はサンフランシスコ湾での観閲式し、ヴィックスバーグは10月26日まで湾に留まる。その後モンテレー湾に移動し、10月27日に海軍記念日の視察に参加した。ヴィックスバーグは10月31日にロングビーチに到着し、11月6日にはオレゴン州ポートランドに移動、終戦記念式典に参加後、11月16日にロングビーチに帰還した。

1946年1月17日、サンフランシスコ湾のターミナル・アイランド海軍造船所入りし信頼性試験を行った後、ヴィックスバーグはオーバーホールと近代化が行われた。1946年5月20日、第3艦隊司令官のフレデリック・C・シャーマン少将は戦艦アイオワ (USS Iowa, BB-61) からヴィックスバーグへ旗艦を変更、移乗した。その2日後サンディエゴに移動し、海軍航空基地に停泊する。ヴィックスバーグは9月まで同地に留まり、その後A・E・モンゴメリー中将の臨時旗艦となる。

ヴィックスバーグは1947年6月30日にサンフランシスコで退役した。モスボール状態で保管後、1962年10月1日に除籍され、1964年8月25日にカリフォルニア州ターミナル・アイランドのナショナル・メタル・アンド・スチール社にスクラップとして売却された。

ヴィックスバーグは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。

関連項目[編集]