ビロクシ (軽巡洋艦)

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ビロクシ
基本情報
建造所 バージニア州ニューポート・ニューズ造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 軽巡洋艦
級名 クリーブランド級
艦歴
起工 1941年7月9日
進水 1943年2月23日
就役 1943年8月31日
退役 1946年8月29日
除籍 1961年12月1日
その後 1962年3月5日、スクラップとして売却
要目
基準排水量 11,392 トン
満載排水量 14,131 トン
全長 610フィート1インチ (185.95 m)
最大幅 66フィート4インチ (20.22 m)
吃水 24フィート6インチ (7.47 m)
主缶 バブコック & ウィルコックス水管ボイラー×4基
主機 GE式ギヤード蒸気タービン×4基
出力 100,000馬力 (75,000 kW)
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 32.5ノット (60.2 km/h)
航続距離 11,000海里 (20,000 km) / 15ノット
乗員 1,285名
兵装
装甲
  • 舷側:3.5–5インチ (89–127 mm)
  • 甲板:2インチ (51 mm)
  • バーベット:6インチ (152 mm)
  • 砲塔:1.5-6インチ (38-152 mm)
  • 司令塔:1.5-6インチ (38-152 mm)
搭載機 水上機×4機
カタパルト×2基)
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ビロクシ (USS Biloxi, CL-80) は、アメリカ海軍軽巡洋艦クリーブランド級軽巡洋艦の12番艦。艦名はミシシッピ州ビロクシに因む。

艦歴[編集]

「ビロクシ」は1941年7月9日にバージニア州ニューポートニューズニューポート・ニューズ造船所で起工し、1943年2月23日に進水、1943年8月31日にダニエル・M・マクガール艦長の指揮下就役する。

就役後は太平洋艦隊第13巡洋艦隊に配属される。1944年1月から1945年4月まで「ビロクシ」は高速空母任務部隊の護衛を行い、沿岸敵施設への艦砲射撃、上陸部隊の支援砲撃を行った。1944年11月20日には軽巡「モービル(USS Mobile, CL-63) 」の攻撃に失敗した回天を「モービル」と共に発見し、護衛駆逐艦がこれを破壊した。

1945年3月27日、「ビロクシ」は沖縄特攻機の攻撃を受け損傷する。損傷を受けながらも戦闘を継続し、対空砲火を敵部隊に浴びせ続けた。特攻機の突入箇所から500キロ爆弾の不発弾が発見され、爆発物処理班によって処理された。不発弾は後部甲板に展示された。

1945年4月27日に戦闘水域を離脱し、オーバーホールのため本国西海岸に向かう。7月に戦闘に復帰し、7月18日にはウェーク島攻撃に参加、8月14日にレイテ湾に到着する。翌日、日本は降伏し、「ビロクシ」は長崎の港から連合軍捕虜の輸送に従事した。1945年11月9日まで占領任務に従事し、その後真珠湾経由で帰国する。

1946年1月15日にワシントン州ポート・アンジェルスに向かい第19艦隊に合流、不活性化を開始する。5月18日にピュージェット・サウンド海軍工廠で現役のまま保管され、10月29日に予備役となる。「ビロクシ」は続く10年間を太平洋予備役艦隊で保管され、1961年9月に除籍、1962年3月5日にスクラップとして売却される。

「ビロクシ」の上部構造物はビロクシ・スモール・クラフト港そばのグレナン・パークに再構築され、現在も展示されえいる。ビロクシの艦鐘はビロクシ市庁舎のロビーに展示されている。

「ビロクシ」は第二次世界大戦中の戦功で9つの従軍星章を受章した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]