モービル (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
USS Mobile (CL-63)
艦歴
発注:
起工: 1941年4月14日
進水: 1942年5月15日
就役: 1943年3月24日
退役: 1947年5月9日
その後: 1960年にスクラップとして廃棄
除籍: 1959年3月1日
性能諸元
排水量: 10,000 トン
全長: 610 ft 1 in
全幅: 66 ft 4 in
吃水: 24 ft 11 in
機関:
最大速: 33 ノット
乗員: 士官、兵員1,266名
兵装: 6インチ砲12門、5インチ砲12門
40mm機銃28基

モービル (USS Mobile, CL-63) は、アメリカ海軍軽巡洋艦クリーブランド級軽巡洋艦の1隻。艦名はアラバマ州モービルに因む。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴[編集]

モービルは1941年4月14日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工した。1942年5月15日にハリー・T・ハートウェル夫人によって命名、進水し、1943年3月24日に艦長チャールズ・J・ウィーラー大佐の指揮下就役した。

チェサピーク湾での整調およびカスコ湾での短期訓練に続いて、モービルは太平洋に向けて出航し1943年7月23日に真珠湾に到着、一ヶ月の訓練を行う。8月22日に西方に向けて出航し、翌日第15任務部隊と合流、8月31日に南鳥島を攻撃する。ハワイからの空母部隊の攻撃に2回参加した後、第5艦隊に加わり、ギルバート諸島攻略戦に参加する。モービルは9月18日にタラワ島を攻撃する第15任務部隊を護衛し、10月5日、6日にはウェーク島を攻撃する第14任務部隊の護衛を行った。10月21日、第53.3任務群に加わり西方へ向かう。11月8日にはブーゲンビル島沖合で増援部隊の上陸を支援した。その後エスピリトゥサント島へ向かい、第53.7任務群と合流してタラワ島攻略に参加する。20日のベシオ島上陸から28日まで、モービルは同海域に留まり海兵隊攻撃部隊の支援を担当した。

12月1日、モービルは第38任務部隊と第58任務部隊が核となった第50任務部隊に再び配属された。部隊はギルバート諸島から北方に移動し、マーシャル諸島クェゼリン環礁ウォッゼ環礁への空襲を行う。その後部隊は真珠湾に帰還し、モービルはそこからサンディエゴへ向かった。サンディエゴでは12月29日に第5艦隊の揚陸部隊護衛任務に就く。

15日後、第53.5任務群とモービルはマーシャル諸島へ前進を始めた。1944年1月29日に任務群から分離したモービルは、第13巡洋艦隊と共にウォッゼ環礁へ砲撃を行い、その後任務部隊に再合流、クェゼリン環礁への攻撃および占領任務に就く。2月6日までモービルはロイ=ナムル島沖合で艦砲射撃および空母護衛任務に従事した。続いてマジュロへ移動し、12日に第58任務部隊に加わった。



8月上旬にはスカベンジャー作戦に従事して、水上砲戦による駆逐艦「」と輸送船「利根川丸」の撃沈と、父島の艦砲射撃に参加する。

続く2ヶ月にわたってモービルはフィリピン戦役における支援任務に従事し、ヴィサヤ諸島およびミンドロ島を攻撃する空母部隊の護衛を担当した。12月26日に西海岸に向けてウルシー環礁を出航し、16日後にカリフォルニア州ターミナル・アイランドに到着、オーバーホールおよび改修が行われた。3月29日にウルシー環礁に戻り、続いて沖縄へ移動、4月3日に到着するとその2日後に日本軍の稜堡に対する最初の攻撃を行う。その後第51任務部隊、太平洋艦隊揚陸部隊に配属されたモービルは続く2ヶ月間を火力支援、対空、対潜水艦哨戒に従事し、「ハエ取り器 flycatcher」グループの一部として日本軍の特攻艇の探索、撃退を行った。5月末にレイテ島に到着、第95.7任務群、フィリピン訓練グループに加わり、終戦まで同部隊での作戦活動に従事する。

8月20日、モービルはサンペドロ湾を出航し沖縄および日本本土での占領支援任務に就く。9月の間に日本本土と沖縄間の数度の巡航を行い、連合軍捕虜の輸送を行った。10月は九州、佐世保近海を巡航し、11月18日に海兵隊および海軍の兵員を乗艦させサンディエゴに向けて出航、12月2日に到着した。その後「魔法のじゅうたん」任務を行った後、ピュージェット・サウンド海軍造船所で不活性化に入る。1947年5月9日にモービルは退役し、ブレマートンの予備役艦隊で保管される。1959年3月1日に除籍され、1959年12月16日にスクラップとしてジデル・エクスプロレイションズ社に売却、1960年1月19日に廃棄のため牽引された。

モービルは第二次世界大戦の戦功で11個の従軍星章を受章した。

関連項目[編集]