ロックオブジブラルタル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ロックオブジブラルタル
Rock of Gibraltar - Race Horse.jpg
(2005年10月、オーストラリア
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1999年3月8日
死没 (現役種牡馬)
Danehill
Offshore Boom
母の父 Be My Guest
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産 Joe Crowley
Mr.O'Brien
Mrs.O'Brien
馬主 Sir Alex Ferguson
Mrs.John Magnier
調教師 Aidan Patrick O'Brien
競走成績
生涯成績 13戦10勝
獲得賞金 1,269,804ポンド
テンプレートを表示

ロックオブジブラルタルRock of Gibraltar)は、アイルランド競走馬で、引退後は各地で種牡馬となった馬。アイルランドのクールモアスタッドで生まれた。2000ギニーを初めとしたマイル戦線で活躍し、2002年にはG17連勝の世界記録(当時)を樹立した。

名前の由来は「ジブラルタルの要塞」から、ヨーロッパでは「ザ・ロック」の愛称で呼ばれている。

馬主世界を代表するオーナーブリーダー「クールモアグループ」の総帥ジョン・マグナーイングランドサッカープレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドの監督サー・アレックス・ファーガソンの2名の共同所有(ただし種牡馬としてはマグナーの単独所有。詳細は後述)。ヨーロッパを代表する調教師アイルランドバリードイルを本拠地とするエイダン・オブライエン厩舎の管理馬である。

目次

[編集] 現役時代

[編集] 2歳時

ロックオブジブラルタルは2001年4月21日アイルランドカラ競馬場メイドン(芝5f)で、デビュー戦を勝利で飾る。 続く2戦目は同年6月19日イギリスアスコット競馬場重賞競走コヴェントリーステークス(芝6f・G3)で、ここでは20頭立ての6着と敗れてしまう。これがロックオブジブラルタルの最後の大敗となる。 3戦目は同年7月1日カラ競馬場のレイルウェイステークス(芝6f・G3)で、同じオブライエン厩舎で後にG1を3勝する事になるホークウイング (Hawk Wing)に2馬身差で勝利して重賞初制覇を遂げた。 続く4戦目は同年8月22日のイギリスヨーク競馬場のジムクラックステークス(芝6f・G2)で、ここも難無く勝利を飾った。 5戦目のシャンペンステークス(芝7f・G2)はクールモアのライバルでもあるアラブ首長国連邦の国防大臣でドバイを本拠地とするゴドルフィンの総帥シェイク・モハメドが個人所有する同氏の期待馬ドバイディスティネーション (Dubai Destination)が参戦してきており、密かに世界中の競馬関係者から注目を浴びていた。レースは先行するドバイディスティネーションを後ろから進むロックオブジブラルタルが追い上げるも交わす事ができず2着に敗れ、2002年クラシック戦線での評価を落としてしまった。

しかしロックオブジブラルタルはここで終わらず、同年10月7日フランスロンシャン競馬場ロンシャンウィークエンドで行われるフランス2歳最強馬決定戦グランクリテリウム(芝1400m・G1)と同年10月20日イギリスのニューマーケット競馬場のイギリス2歳最強馬決定戦デューハーストステークス(芝7f・G1)の2カ国の2歳最強馬決定戦を制し、7戦5勝(重賞4勝・うちG12勝)で2001年のシーズンを終える。

[編集] 3歳時

2002年シーズンに入り、復帰初戦でいきなりイギリスクラシック第1戦である2000ギニー5月4日、芝1マイル・G1)に参戦する。同レースでは、ロックオブジブラルタルは前年のデューハーストステークス以来、7ヶ月ぶりの出走が懸念されて評価を落としており、前年のレイルウェイステークスで勝利したホークウイングが、その後アイルランドのナショナルステークス(芝7f・G1)などを勝利したこともあり断然な評価を得ていた。だがレースではロックオブジブラルタルが先に抜け出し、追い込むホークウイングをクビ差抑えて勝利した。これにより世界中から注目を浴びる様になった。

2000ギニーを制したロックオブジブラルタルは次走ダービーへ進むか、そのままマイル路線を進むか注目されていたが、エイダン・オブライエンは、同厩舎のホークウイングをダービーへ向かわせ、ロックオブジブラルタルはマイル路線を進める判断を下し、次走は同年5月25日地元アイルランドのカラ競馬場のアイリッシュ2000ギニー(芝1マイル・G1)に決まった。同レースはロックオブジブラルタルに恐れをなして他の出走予定馬が軒並み回避してしまい僅か7頭立ての競走となった。難無くこのレースに勝利して1992年ロドリゴデトリアーノ (Rodrigo de Triano)以来、10年ぶり史上4頭目のイギリス&アイルランドの2000ギニー2ヶ国制覇を成し遂げた。

2ヶ国2000ギニーを制覇したロックオブジブラルタルは、同年6月18日イギリスアスコット競馬場のロイヤルアスコット開催で行われるヨーロッパ3歳マイル最強馬決定戦であるセントジェームズパレスステークス(芝1マイル・G1)へ参戦する。同レースでもロックオブジブラルタルは圧倒的な評価を得て、フランスロンシャン競馬場のプール・デッセ・デ・プーラン(芝1600m・G1)を勝利した同じエイダン・オブライエン厩舎のランドシーア (Landseer)に大きく水を開け、レースでもランドシーアに1馬身4分の3差で勝利をし1969年のライトタック (Right Tack)以来、33年ぶりの英愛2000ギニー&セントジェームズパレスステークス制覇を成し遂げると共にG1競走5連勝をマークし、ミルリーフ (Mill Reef)が1971年から1972年の2年間掛けてに成し遂げた世界G1連勝記録の6連勝に王手を掛けた。

エイダン・オブライエンは、ロックオブジブラルタルのヨーロッパG1連勝記録タイになる舞台に同年7月31日イギリスグッドウッド競馬場のグローリアスグッドウッド開催2日目に行われる上半期のヨーロッパマイル最強馬決定戦であるサセックスステークス(芝1マイル・G1)を選んだ。同レースはプレエントリーの時点で10頭の登録馬があった(内6頭はエイダン・オブライエン厩舎の管理馬)が、ロックオブジブラルタルを恐れを成した他陣営の回避もあり、最終的に出走馬は5頭となった。 レースはロックオブジブラルタルにとっては初の古馬との戦いであったが、前年の同レースの優勝馬ノヴェール (Noverre)に2馬身差で勝利を飾り、難無く世界G1連勝記録タイの6連勝を達成した。

次走は同年8月20日イギリスヨーク競馬場のインターナショナルステークス(芝10f88y・G1)などへの出走プランもあったが、結局に休養に入った。 休養から戻ったロックオブジブラルタルは同年9月7日アイルランドレパーズタウン競馬場アイリッシュチャンピオンステークス(芝10f・G1)か翌日のフランスロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞(芝1600m・G1)かを復帰初戦として調整されたが、結局ムーラン・ド・ロンシャン賞へ向かう事が決まった。

ムーラン・ド・ロンシャン賞には、前年G1レースで2勝2着2回の好成績を挙げヨーロッパ「カルティエ賞最優秀3歳牝馬」&アメリカ「エクリプス賞最優秀芝牝馬」に選出された、同年のフランスジャック・ル・マロワ賞の優勝馬バンクスヒル (Banks Hill)、同年のアイリッシュ1000ギニーの優勝馬ゴッサマー (Gossamer)、日本武豊騎乗のプラウドウイングス (Proudwings)などが出走していた。 レースは先行したバンクスヒルをロックオブジブラルタルが追い上げて交わし、2分の1馬身差で勝利を飾り世界G1連勝新記録の7連勝をマークしヨーロッパのマイル路線で敵無しとなった。

もはやヨーロッパのマイル路線で敵無しとなったロックオブジブラルタルは、次走に同年9月28日イギリスアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークスを予定するが、エイダン・オブライエンは最終的に同レースの回避を決め、同年10月26日アメリカアーリントンパーク競馬場の世界の競馬の祭典であるブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップブリーダーズカップクラシック(ダート10f・グレード1)とブリーダーズカップマイル(芝1マイル・グレード1)の2レースに照準を絞り、結局ブリーダーズカップクラシックは回避し、ブリーダーズカップマイルへの出走を決断した。

ブリーダーズカップマイルにはカナダのアットマイルステークス(芝1マイル・グレード1)の優勝馬グッドジャーニー (Good Journey)、アメリカの芝の大レースであるアーリントンミリオン(芝10f・G1)を含む同年G1レースを3勝を挙げているビートホロー (Beat Hollow)、アメリカキーランド競馬場のターフマイルステークス(芝1マイル・G1)を優勝した同厩舎のランドシーア (Landseer)、今期一度も連対(6戦1勝2着5回)を外していないシルバーコレクターのアルデバラン (Aldebaran)などが出走していた。

レースはスタートでロックオブジラルタルが出遅れてしまい最後方から進むのを余儀なくされてしまう。そして勝負所に差し掛かると今度は行く手を阻まれて、大外を回されて最後の直線に入る。最後の直線に入ると、とてつもない”ロケットの様な加速(鞍上のマイケル・キネーン騎手談)”で先頭を走るドームドライヴァー (Domedriver)に迫るが、交わす事無く2着に敗れてしまった。 全世界の競馬ファンの期待に応える事はできなかったが、その強さを改めて見せ付けたレースであった。

ロックオブジブラルタルはその後、日本マイルチャンピオンシップ香港香港マイルに参戦すると期待されていたが、同年11月に馬主のジョン・マグナーとサー・アレックス・ファガーソン、管理調教師のエイダン・オブライエンから現役引退が発表され競走馬生活に幕を下ろした。その活躍から2002年のヨーロッパカルティエ賞の年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。

G1の7連勝はゼニヤッタアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に抜かれるまでの世界記録であった。

[編集] 競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2001.04.21 カラ 未勝利 芝5f 1着 M.キネーン 2馬身 (Sandford Park)
2001.06.19 アスコット コヴェントリーS G3 芝6f 6着 M.キネーン 3馬身 Landseer
2001.07.01 カラ レイルウェイS G3 芝6f 1着 M.キネーン 2馬身 (Hawk Wing)
2001.08.22 ヨーク ジムクラックS G2 芝6f 1着 M.キネーン 3馬身 (Ho Choi)
2001.09.14 ヨーク 英シャンペンS G2 芝7f 2着 M.キネーン 1馬身 Dubai Destination
2001.10.07 ロンシャン グランクリテリウム G1 芝1400m 1着 M.キネーン 3馬身 (Bernabeau)
2001.10.20 ニューマーケット デューハーストS G1 芝7f 1着 M.キネーン 短頭 (Landseer)
2002.05.04 ニューマーケット 2000ギニー G1 芝8f 1着 J.ムルタ 短頭 Hawk Wing
2002.05.25 カラ 愛2000ギニー G1 芝8f 1着 M.キネーン 1 1/2馬身 (Century City)
2002.06.18 アスコット セントジェームズパレスS G1 芝8f 1着 M.キネーン 1 3/4馬身 (Landseer)
2002.07.31 グッドウッド サセックスS G1 芝8f 1着 M.キネーン 2馬身 (Noverre)
2002.09.08 ロンシャン ムーランドロンシャン賞 G1 芝1600m 1着 M.キネーン 1/2馬身 (Banks Hill)
2002.10.26 アーリントンパーク BCマイル G1 芝8f 2着 M.キネーン 3/4馬身 Domedriver

[編集] 引退後

ロックオブジブラルタルはアイルランドのクールモアスタッド種牡馬入りし、2003年5月にオーストラリアニューサウスウェールズ州のクールモアスタッド分場に移された。さらに2007年からは、シャトル種牡馬として日本での供用も決まった。亡くなった父デインヒルの後継馬として大いに期待され、147頭に種付けを行った。日本では日本軽種馬協会が北半球での種付け権を購入した形となっているため、完全譲渡ではない。2008年は再びクールモアスタッド(アイルランド)に戻って種牡馬生活を送ることが発表された。日本供用時の産駒からはニュージーランドトロフィーを勝ったエイシンオスマンなどが出ている。

[編集] 主な産駒

[編集] 所有権を巡るトラブル

同馬の引退の際には、同馬の所有権を巡って馬主のマグナーとファーガソンの間でトラブルが発生し、世界的に報道され話題となった。

元々マグナーは、友人と共同出資している投資会社を通じて、ファーガソンが監督を務めるマンチェスター・ユナイテッドの株を所有しており、その関係でマグナーとファーガソンは旧知の仲だったことから、2歳時のレイルウェイステークスで重賞初制覇した直後にマグナーがファーガソンに同馬の権利の半分をプレゼントした。ただこの際、特に権利譲渡に当たって書類を交わさず、半ば口約束のような形で権利譲渡が行われたことから、後にこれがトラブルの種となった。

前記のようにその後同馬は世界GI連勝新記録を打ち立てるなど大活躍したため種牡馬入りすることになったが、初年度の種付料はアイルランドで1頭当たり65,000ユーロ(当時の為替レートで約890万円)、シャトル供用されたオーストラリアで132,000オーストラリアドル(同じく約1000万円)と設定され、初年度だけで種付料の合計額は約25億円に達した。この状況に対し、ファーガソン側は「権利の半分を所有しているのだから、当然種付料収入の半分を得る権利がある」と主張したが、マグナー側は「ファーガソンに譲渡したのは競走馬としての権利の半分のみで、種牡馬としての権利は譲渡していない」として対立。[1]2003年11月18日には、ファーガソン側は種付料収入の支払いを求めてマグナー側をアイルランドの裁判所に訴える事態となった。

一方で当時マグナー側はマンチェスター・ユナイテッド株の買い増しを進めており、2004年1月時点でマグナーの投資会社が発行済株式の25.49%を保有する筆頭株主となっていた。このためマグナーはファーガソンを同クラブの監督から解任すべく臨時株主総会の開催を要求するなど、一触即発の事態となった。

結局2004年3月7日に和解が成立し、同馬の種牡馬としての所有権はマグナー側が保有することが確認される一方で、ファーガソン側には同馬の種付権が年間4株割り当てられることとなった。またマグナーはこの件でファーガソンと不仲となったことから、後にマンチェスター・ユナイテッド株を売却、サッカークラブの経営から撤退した。[2]

[編集] 特徴

基本的には圧倒的な身体能力を武器に、優れた先行力を生かして押し切るレースが多く、中には騎手がほとんど手綱を持ったままゴール前でさらに差を広げるという横綱相撲で勝利したレースもある。スピードと瞬発力がずば抜けて優れているというよりは、スタミナとパワー、そしてスピードを持続力する能力がずば抜けて優れている(もちろんスピードも優れている)。これは、欧州の深い芝を走るためであり、軽快なスピードと瞬発力は欧州の芝では生かしきれないことが多いからである。

[編集] 血統表

ロックオブジブラルタル血統 ダンジグ系/Northern Dancer3×3=25% Natalma4.4×4=18.75%)

*デインヒル
Danehill
1986 鹿毛
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Razy Ana
1981 鹿毛
His Majesty Ribot
Flower Bowl
Spring Adieu Buckpasser
Natalma

Offshore Boom
1985 栗毛
Be My Guest
1974 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
What a Treat Tudor Minstrel
Rare Treat
Push a Button
1980 鹿毛
Bold Lad Bold Ruler
Barn Dance
River Lady Prince John
Nile Lily F-No.10-a

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ なお「競走馬がまだ現役中に、競走馬としての権利と種牡馬としての権利の所在が異なった状態になる」ケース自体は、競馬の世界ではさほど珍しくない。日本でも過去にはハギノカムイオーが「引退後に中村和夫の牧場で種牡馬入りする」条件で、現役時代に限り中村と日隈広吉の共同所有となっていた例や、オグリキャップの馬主だった佐橋五十雄が脱税事件で有罪となり日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を失ったため、現役時代に限り近藤俊典が代わりに馬主となった例などがある。
  2. ^ 別冊宝島1005「競馬裏事件史 これが真相だ!」(宝島社、2004年)pp.182 - 189
個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語