マンデュロ
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| マンデュロ | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 生誕 | 2002年3月9日 |
| 父 | Monsun |
| 母 | Mandellicht |
| 母の父 | Be My Guest |
| 生国 | |
| 生産 | Rolf Brunner |
| 馬主 | G.フォン・ウルマン男爵 |
| 調教師 | ピーター・シールゲン(独) →アンドレ・ファーブル(仏) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 18戦10勝 |
| 獲得賞金 | 1,513,996ユーロ |
| WTRR | 131 芝中距離(2007年) |
| GAG | 105 kg (2007年) |
マンデュロ(Manduro)は、ドイツ生まれで、現役時代はドイツ、フランス、イギリス、イタリアで走った競走馬。2008年より種牡馬となった。半姉に2003年のディアナ賞3着のマンデラ(Mandela)がいる。
[編集] 経歴
[編集] 現役時代
2004年9月にドイツでデビューし勝利すると、その後のG3ヴィンターファヴォリテン賞で重賞初勝利。この年2戦2勝でシーズンを終える。
2005年は11ヵ月の休養を経て準重賞に出走。久々ながらも後続に2馬身差をつける快勝で復活すると、続くG3ドイツ統一賞も勝利した。しかし4戦4勝で初G1出走となったローマ賞では1番人気に支持されながらも、前走ドイツ統一賞で負かしたソルジャーホロウに完敗の4着になり、初敗戦を喫した。
2006年はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍し、この年初戦のG2アルクール賞を制した。が、この後は7戦して2着3回、3着4回となかなか勝ち切れない競走が続いた。
しかし2007年はG3アールオブセフトンステークスで約1年ぶりの勝利を挙げるとイスパーン賞で悲願であったG1を初制覇、続くプリンスオブウェールズステークス、ジャック・ル・マロワ賞と勝ち進み完全復活を果たした。さらに初めての2400m戦に挑んだフォワ賞でもマンデシャを振り切り、同年無敗の5連勝を飾った。その後は凱旋門賞出走が予定されていたが、フォワ賞直後に右後肢の管骨を骨折している事が判明し、陣営は引退を決断した。8月にはワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングで、芝部門で世界最高となる128ポンドの評価を与えられていた。
2008年からはダーレーグループ傘下でイギリスにあるダルハムホールスタッドで種牡馬となる。
[編集] 血統表
| マンデュロの血統 (ブランドフォード系/Dschingis Khan3×4=18.75%) | |||
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父
Monsun 1990 黒鹿毛 |
Konigsstuhl 1976 黒鹿毛 |
Dschingis Khan | Tamerlane |
| Donna Diana | |||
| Konigskronung | Tiepoletto | ||
| Kronung | |||
| Mosella 1985 鹿毛 |
Surumu | Literat | |
| Surama | |||
| Monasia | Authi | ||
| Monacensia | |||
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母
Mandellicht 1994 青鹿毛 |
Be My Guest 1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| What a Treat | Tudor Minstrel | ||
| Rare Treat | |||
| Mandelauge 1989 黒鹿毛 |
Elektrant | Dschingis Khan | |
| Elektra | |||
| Mandriale | Norfolk | ||
| Mariapolis F-No.3-d | |||

