ロス・オーレンドルフ

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ロス・オーレンドルフ
Ross Ohlendorf
ワシントン・ナショナルズ #43
MG 2617 Ross Ohlendorf.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州オースティン
生年月日 1982年8月8日(32歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト4巡目(全体116位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名
初出場 2013年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

カーティス・ロス・オーレンドルフCurtis Ross Ohlendorf, 1982年8月8日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身のプロ野球選手投手)。右投右打。MLBワシントン・ナショナルズ所属。

経歴[編集]

ダイヤモンドバックス時代[編集]

2004年、MLBドラフト4巡目(全体116位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名され、7月9日に入団。

2006年にAAA級ツーソン・サイドウィンダーズに昇格。オフにテキサス大学財務部のインターンシップに参加した[1]

ヤンキース時代[編集]

2007年1月9日ランディ・ジョンソンとのトレードでアルベルト・ゴンザレススティーブン・ジャクソンルイス・ビスカイーノと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍[2]。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでプレー。9月9日にメジャー初昇格を果たし、9月11日トロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビュー。7点リードの9回裏に登板し、1回を無安打無失点1三振に抑えた。ポストシーズンではアメリカンリーグディビジョンシリーズのロースター入りを果たし、10月4日クリーブランド・インディアンス戦で王建民が8失点で降板した5回2死から2番手で登板。しかし1回4安打1四球3失点と抑えられず、6回2死で降板した。

パイレーツ時代[編集]

2008年7月26日ダマソ・マルテゼイビア・ネイディとのトレードでジェフ・カーステンスダニエル・マカッチェンホセ・タバタと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍[3]。AAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーし、9月2日にメジャー昇格。移籍後は5試合に登板し、0勝3敗と結果を残すことができなかった。

2009年は29試合に登板し、自己最多の11勝(10敗)を挙げた。9月5日セントルイス・カージナルス戦ではメジャー40人目となる「9球で打者3人を3三振に抑える」ことを達成した。オフに農務省インターンシップに8週間参加した[4]

2010年7月28日コロラド・ロッキーズ戦・1回裏2死の場面で、打者・トロイ・トゥロウィツキーの打球が頭部に直撃し降板した[5]。この年は21試合に登板し、1勝11敗と結果を残せなかった。

2011年、球団は96万1000ドル増額の140万ドルを提示したが、オーレンドルフは不服として年俸調停に持ち込み、2月9日に自身の要求額である202万5000ドルが認められた[6][7]。しかしシーズンは肩の故障でシーズンの大半をリハビリに費やした[8]8月23日にメジャー昇格[9]9月5日ニューヨーク・メッツ戦ではデイナ・イブランドから初本塁打を記録し、この試合の決勝打となった[10]が、シーズンはこの1勝にとどまり、12月8日に放出された。

レッドソックス時代[編集]

2012年2月16日ボストン・レッドソックスとマイナー契約で合意[11]。AAA級ポータケット・レッドソックスでプレーしていたが、6月2日にFAとなった。

パドレス時代[編集]

2012年6月4日サンディエゴ・パドレスと1年契約で合意[12]6月16日にメジャー昇格。13試合に登板し4勝4敗、防御率は7.77を記録し、8月18日にAAA級ツーソン・パドレスに降格[13]9月4日にDFAとなり[14]10月10日にFAとなった。

ナショナルズ時代[編集]

2013年1月5日ワシントン・ナショナルズとマイナー契約で合意。1月10日に球団が発表した[15]。AAA級シラキュース・チーフスでプレーし、6月12日にメジャー昇格した[16]。シーズンは16試合に登板し、4勝1敗と2009年以来の貯金を作った。12月2日、ナショナルズと1年125万ドルの契約で合意した[17]

2014年3月21日に腰を痛め、15日間の故障者リスト入りした。3月26日に60日間の故障者リストへ異動した。

脚注[編集]

外部リンク[編集]