ホイアン

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世界測地系15°52′38″N, 108°19′33″E

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ホイアンの古い町並み
ベトナム

古い町並み
古い町並み
(英名) Hoi An Ancient Town
(仏名) Vieille ville de Hoi An
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2)(5)
登録年 1999年
拡張年  
備考 名称について 
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ホイアンの位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  
来遠橋(日本橋)
クアンコン寺
潮州会館

ホイアンベトナム語Hội An, 漢字:會安)はベトナム中部クアンナム省ダナン南方30キロにある古い港町である。トゥボン川の河口に位置する。ヨーロッパ人にはファイフォ (Faifo) と呼ばれたこともある。中国人街を中心に古い建築が残り、1999年に「ホイアンの古い町並み」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

目次

[編集] 概要

Symbol of Hội An Ancient Town

チャンパ王国時代からの古い港町で、16世紀にチャンパは南に後退し、フエ広南阮氏政権が樹立されるとその外港となった。ホイアンの名称はその頃に成立したと思われる。16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人日本人が来航し国際貿易港として繁栄した。1601年には広南阮氏は徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大した。約30年間にわたる朱印船貿易のうち、広南には71隻が入港した。ホイアンには大規模な日本人街中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられるなど繁栄をみせたが、間もなく江戸幕府の鎖国により日本人の往来が途絶え、オランダの商館も1639年に閉鎖された。17世紀後半、清朝鄭氏台湾との対立から遷界令が出されたことは、さらにこの地域の交易を停滞させ、一時期の繁栄は失われていった。1770年代には西山(タイソン)党の乱によって町は完全に破壊されたが、やがて再建され、19世紀まで繁栄した。しかし、ホイアンと海を結ぶトゥボン川に土砂が堆積して浅くなり、港の繁栄はダナンに移った。町はベトナム戦争時代に破壊されることもなかった。

[編集] 登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (5) 特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例。

[編集] 主な建築物

  • 来遠橋(日本橋) 屋根付きの中国風だが、1593年に日本人が建設したと伝えられる。
  • 福建会館 1773年に建設された華人の会館
  • 広肇会館(広東会館) 1786年に創建された広東系中国人の会館
  • 海南会館
  • 潮州会館
  • クアンコン寺(関帝廟
  • クアンタンの家(チャンフー通り77番の家) 約380年前に建てられた中国家屋。
  • タンキーの家
  • フーンフンの家

[編集] 観光

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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