ザッハトルテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ホテルザッハーのザッハトルテ

ザッハトルテ:Sachertorte,ウィーンではサハトルテかサッハートルテ)は、オーストリアの代表的な菓子トルテ)である。古典的なチョコレートケーキの一種。ザッハートルテとも呼ばれる。

小麦粉バター砂糖チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズジャムを塗った後に、表面全体を溶かしチョコレート入りのフォンダン(糖衣)でコーティングする。スポンジを上下に切り分けて、間にジャムを塗る場合もある。箸休めとして砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて食べる。

こってりとした濃厚な味わいを特徴とする。ウィーンホテル・ザッハーの名物菓子であるが、今日では広く世界各地で作られており、チョコレートケーキの王様と称される。

歴史[編集]

1832年に、クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人の一人だったフランツ・ザッハードイツ語版英語版が考案した[1]。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れというメッテルニヒの要望に応えたものであった。ザッハトルテは大変に好評で、翌日にはウィーン中の話題になったという。当時はザッハーはまだ16歳で下級の料理人にすぎなかったが、ザッハトルテの成功から頭角を現した。ザッハトルテはフランツのスペシャリテ(特製料理)として好評を博しつづけた。後に次男のエドゥアルトがホテル・ザッハーを開業すると、ザッハトルテはそのレストランとカフェで提供された。

レシピは門外不出とされたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥ったのをきっかけに、資金援助をしたウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が、代償にザッハトルテの販売権を得た。この際に、「元祖ザッハトルテ」の文字をケーキの上にホワイトチョコレートで描く権利も譲渡したとも言われる。ここで、デメルの娘がザッハーの息子に嫁いだ際にレシピが流出したとする話があるが[2]、事実とは異なる俗説である[3]。その後、ハンス・スクラッチ『ウィーンの菓子店』という本にまで、秘密のレシピは掲載されてしまった。ついにはホテル・ザッハー側が、デメルを相手取って商標使用と販売の差し止めを求めて裁判を起こしたが、7年に及ぶ裁判の結果、ホテル・ザッハーにもデメルにも双方にザッハトルテ(Demel's Sachertorte)の販売を認める判決が下った。その結果、デメルのものはデメルのザッハトルテ(Demel's Sachertorte)として、ホテル・ザッハーのものはオリジナルザッハトルテ(Original Sacher-Torte)として売ることになった。ザッハーのものはアンズのジャムを内部にも挟むのに対し、デメルのザッハトルテは表面にのみ塗る、という違いがある[4][5][6][7]

なお、ザッハトルテは最古のチョコレートケーキと言われることもあるが[8]18世紀前半には文献上にチョコレートケーキは出現しているので誤りである。チョコレートを混ぜたケーキはヨーロッパ各地にみられ、ザッハーが最初に生み出したものではない[9]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1814-1815年のウィーン会議で創出されたとする説もある。しかし、その場合、フランツ・ザッハーの生まれる前となり、時期が合わない。
  2. ^ 雁屋哲原作・花咲アキラ画 「第2話 とんでもない親友」『美味しんぼ』第44巻、小学館、1994年5月。ISBN 4-09-183284-9
  3. ^ 吉田 2008, p.22
  4. ^ トゥーサン=サマ 2005, pp.361-362
  5. ^ ジョセフ・ウェクスバーグ『オーストリア ハンガリー料理』(タイムライフブックス, 1978年), p.179
  6. ^ 猫井登『お菓子の由来物語』(幻冬舎ルネッサンス, 2008年9月)、pp.22-23
  7. ^ ニコラ・ハンブル『ケーキの歴史物語』(堤理華訳, お菓子の図書館, 原書房, 2012年3月)、pp.67-70
  8. ^ トゥーサン=サマ 2005, p.103
  9. ^ 相原 2002, p.24

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]