アメリカ軍用チョコレート

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アメリカ軍用チョコレート(アメリカぐんようチョコレート、英語:United States military chocolate)は、アメリカ軍が兵士に配給しているチョコレート製品のことである。主に士気高揚とカロリー補給を目的とする。高温下でも簡単に溶けないよう若干粉っぽい食感が特徴。

概要[編集]

このチョコレートは、1937年から標準配給品レーション)のひとつとなり、野戦配給品の一部として支給されているもので、目的は主に2つある。ひとつは士気高揚であり、もうひとつはポケットサイズの高エネルギー非常食とすることである。軍用チョコレートは通常、重量サイズ耐熱性の面から軍仕様の特別なロットで製造された。配給される軍用チョコレートの大部分は、米国チョコレートメーカー最大手のハーシーが製造していた。

軍用チョコレートと言っても、士気高揚や救援物資として配られる場合には、一般の店舗で売られるチョコレートと原材料も大きな違いはない。ただし包装や形は変えてあることが多かった。たとえば第二次世界大戦のK号携帯非常食(通称Kレーション)には、ハーシーのスイートチョコレートが含まれていたが、Kレーションのチョコレートは典型的な「板チョコ」ではなく、断面が正方形の太い直方体であった。

非常食としての軍用チョコレート[編集]

非常用の野戦食としての軍用チョコレートは、通常のチョコレートとはかなり違ったものであった。軍の担当者は初め、非常用の食糧なのだから、本当に必要な時までに兵士たちに食べられてしまわないように味が良すぎてはならない((茹でたジャガイモよりややマシな程度を目指す))と考えた。後に風味を改善する努力はされたものの、耐熱性のある軍用チョコレートが大人気になることはなかった。

さらに非常食用チョコバーには、以下の要件が求められた。

  • 高エネルギー(カロリー)である。
  • 軽量小型かつ包装がしっかりしており、携帯に容易である。
  • 高温に耐えられる。

特に耐熱性はきわめて重要であった。歩兵は野外、時には熱帯砂漠で行動し、その間ポケットの中に入れたチョコレートは身体に密着している。そういう条件では、普通のチョコレートは数分で溶けてしまうからである。

ハーシーの挑戦[編集]

アメリカ軍が開発を依頼した最初の非常用配給チョコレートバーは「携帯非常食D号」(通称Dレーション)バー (Ration D Bar) である。1937年4月、アメリカ陸軍需品科ポール・ローガン大佐は、ハーシーにコンタクトを取り、社長ウィリアム・マリーおよび化学部長のサム・ヒンクルに面会した。この提案を聞いた創業者ミルトン・ハーシーは非常に関心を寄せ、ここからレーションDバーの実験生産が始まった。

ローガン大佐は、レーションDバーについて以下の4つの要求を出した。

  1. 重量は4オンス(約110グラム)。
  2. 食品としてエネルギー値が高いこと。
  3. 高温に耐えられること。
  4. 味は、「茹でたジャガイモよりややましな程度」であること。

大佐は、チョコレートがあまりに美味であると、兵士たちが非常食として必要になる時まで待たずに気楽に食べてしまうだろうと考えていた。

新製法[編集]

この要求を受けたヒンクルは、全く新しい製法の開発に迫られた。従来のチョコレート製造設備は、液状のチョコレートを備え付けの型に流し込むようになっている。しかしチョコレート、砂糖オート麦粉、ココアバター脱脂粉乳、人工着香料から成る耐熱性のチョコレートの配合では、チョコレートは粘ついた状のものになって、どんなに高温にしてもうまく流れなかった。そのため、チョコバーの生産は4オンスずつ計量して分けて練り、手で型に押し込むことになった。

その結果、華氏120度(摂氏約48.9度)までの高温に耐え、噛み砕くのにちょっと苦労するほど硬いこげ茶色のチョコレートができあがった。この4オンスのチョコレート3個入りパックによって、ひとりの戦闘員が1日に必要とする最低限のエネルギー1,800キロカロリーが補給できることになっていた。

製品化[編集]

ローガン大佐は、最初に納められた少数のサンプル品に満足した。1937年6月、アメリカ陸軍はこの「ローガン・バー」(レーションDバー)を9万本発注し、フィリピンパナマテキサス州メキシコ国境、その他アメリカ国内各地の基地で実地テストを行った。またレーションDバーの一部は、海軍少将リチャード・バードの3回目の南極大陸探検隊も補給品として持っていった。実地テストは成功し、陸軍はこのチョコレートを不定期ながら発注するようになった。

1941年12月8日真珠湾攻撃を機にアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、命令によってレーションDバーは毒ガスにも耐える包装に変更された。1941年から1945年までの間、欠陥の改善と軍のさまざまな要求を反映して、包装は何度も変更された。

改良[編集]

1943年、アメリカ陸軍調達部は、風味を改良しながら高温にも耐えられる菓子タイプのチョコレートは作れないかとハーシーに打診した。ハーシーは短い実験過程の後にハーシーズ・トロピカル・バー (Hershey's Tropical Bar) の生産を始めた。このチョコレートはレーションDバーに比べて、形も風味も一般のチョコレートに近いものだった。

トロピカル・バーの総生産量は、レーションDバーを含めて、大戦中にハーシーの工場が生産した品目中最大であった。甘い風味を残そうとする努力はある程度成功していたが、硬くてあまりおいしくないと言う兵士も少なくなかった。とはいえ、戦場ですぐに食べられるスナックとして、また物々交換のための物品としては非のうちどころがなかった。

生産量[編集]

1940年から1945年の間、推定30億本を越えるレーションDバーとトロピカル・バーが生産され、世界各地のアメリカ軍兵士に配給された。1939年には、ハーシー工場のレーションバー生産能力は1日10万本であったが、大戦終結時には工場の全生産力をレーションバー製造にあて、1週間に2400万本という大量生産が可能になっていた。ハーシーはレーションDバーとトロピカル・バーの生産において質・量の両面で軍の期待を上回ったとして、大戦全期間にわたる貢献によって5個の陸海軍E号生産賞を授与されている。

第二次世界大戦後から現代[編集]

レーションDバーの生産は第二次世界大戦の終結とともに終わったが、トロピカル・バーのほうはアメリカ軍の標準配給品として残った。トロピカル・バーは朝鮮戦争ベトナム戦争でも戦地に送られている。また1971年7月15日、トロピカル・バーがアポロ15号に積み込まれて宇宙食に用いられた際には、一時的に注目を浴びた。

1990年湾岸戦争では、砂漠の盾作戦砂漠の嵐作戦期間中、ハーシーでは新しい耐熱性チョコレートを開発し、デザート・バー(Desert Bar=砂漠バー)と名づけた。同社はこの新製品のテスト販売として、アメリカ軍部隊にデザート・バー144,000本を出荷している。ハーシーの発表では、このチョコレートは摂氏60度(華氏140度)以上の高温に耐えるとしている。陸軍の複数のスポークスマンがデザート・バーの味はいいと発表したが、兵士たちの反応はまちまちで、デザート・バーが商業生産に入ることはなかった。

関連項目[編集]

同社製品のキャッチコピー「お口でとけて手でとけない」は、上記の軍用チョコレートに求められる「簡単に融けてしまわない」の問題をキャンディーコートで解決したものである。同製品開発のきっかけになったのは、スペイン内戦で兵士たちの口を楽しませていた砂糖でコートされたチョコレートであった。

外部リンク[編集]