コンテンツにスキップ

関守三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関 守三郎(せき もりさぶろう、1908年 - 1990年)は、日本外交官検察官外務省経済局長、駐スペイン特命全権大使、駐メキシコ特命全権大使、アジア生産性機構事務総長、外務省顧問

人物・経歴

[編集]

新潟県長岡市出身[1]。1926年第四高等学校理科乙類入学許可取消[2]。1929年東京商科大学(現一橋大学予科修了[3]。1932年同大学本科卒業[4]。山岳部出身[5]徐州総領事[6]上海領事支那派遣軍渉外審判所検察官等を経て[7]、1945年中華民国三級同光勲章受章[8]。同年外務省政務局第三課長[9]。1946年終戦連絡中央事務局第二部第二課長[10]

1949年通商産業省通商局輸出課長[11]。1951年在ニューデリー日本政府在外事務所所長[12]。外務省国際協力局次長[13]、外務省参事官外務大臣官房審議室付)等を経て[14]、1956年在シドニー日本国総領事館総領事[15]。1959年外務省経済局経済協力部長[16]。1961年外務省経済局長[17]。1963年外務省大臣官房審議官[18]

同年特命全権大使スペイン国駐箚[19]。1967年特命全権大使タイ国駐箚[20]。1968年特命全権大使メキシコ国駐箚兼ハイティ国駐箚[21]。1970年兼ホンデュラス国駐箚[22]。同年に退官後[23]アジア生産性機構事務総長[24]。1978年勲二等旭日重光章受章[25]。同年外務省顧問としてホセ・ロペス・ポルティーヨメキシコ合衆国大統領夫妻首席接伴員[26]。1990年叙正三位[27]

出典

[編集]
  1. ^ 『新・人国記 第4 (大分県,神奈川県,鳥取県,新潟県,和歌山県)』朝日新聞社, 1963
  2. ^ 官報 1926年05月21日
  3. ^ 東京商科大学一覧 昭和6年度
  4. ^ 【戦 前】 針 葉 樹 會 報一橋山岳会
  5. ^ 山と渓谷 (15) 雑誌 (山と渓谷社, 1932-09)
  6. ^ 5.満支/(20)在蘇州領事館
  7. ^ 件名渉外審判所事務開始の件報告
  8. ^ 子爵小笠原長生外十五名外国勲章記章受領及佩用の件
  9. ^ 官報 1945年09月13日
  10. ^ 官報 1946年02月14日
  11. ^ 官報 1949年06月09日
  12. ^ 1.準加盟関係/ 1)ECAFE加盟問題に関する来往電信
  13. ^ 時事通信 (2178) 時事解説版
  14. ^ 第19回国会 参議院 水産委員会 第7号 昭和29年2月15日
  15. ^ 官報昭和31年本紙第8921号 308頁
  16. ^ 官報昭和34年本紙第9689号 255頁
  17. ^ 官報昭和36年本紙第10401号 473頁
  18. ^ 官報昭和38年本紙第10878号 612頁
  19. ^ 官報昭和38年本紙第11004号 20頁
  20. ^ 官報昭和42年本紙第12142号 11頁
  21. ^ 官報昭和43年本紙第12603号 17頁
  22. ^ 官報昭和45年本紙第12981号 15頁
  23. ^ 官報昭和45年本紙第13069号 13頁
  24. ^ 第5章 各国の情勢およびわが国とこれら諸国との関係外務省
  25. ^ 官報昭和53年号外第87号 1頁
  26. ^ 官報昭和53年本紙第15534号 11頁
  27. ^ 官報平成2年本紙第453号 10頁
先代
小田部謙一
外務省経済協力部長
1959年 - 1961年
次代
甲斐文比古
先代
牛場信彦
外務省経済局長
1961年 - 1963年
次代
中山賀博