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第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり<ref name="isl">{{Cite web|url=https://www.isl.or.jp/service/influenza-jp1918.html|title=1918-19スペイン風邪の流行状況(労研図書館資料から)|publisher=財団法人 労働科学研究所|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091231003554/https://www.isl.or.jp/service/influenza-jp1918.html|archivedate=2009-12-31|accessdate=2020-02-09}}</ref>、[[アメリカ軍]]のヨーロッパ進軍と共に[[大西洋]]を渡り、5月から6月に[[ヨーロッパ]]で流行した。
第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり<ref name="isl">{{Cite web|url=https://www.isl.or.jp/service/influenza-jp1918.html|title=1918-19スペイン風邪の流行状況(労研図書館資料から)|publisher=財団法人 労働科学研究所|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091231003554/https://www.isl.or.jp/service/influenza-jp1918.html|archivedate=2009-12-31|accessdate=2020-02-09}}</ref>、[[アメリカ軍]]のヨーロッパ進軍と共に[[大西洋]]を渡り、5月から6月に[[ヨーロッパ]]で流行した。
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第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、[[病原性]]がさらに強まり重篤な[[合併症]]を起こし死者が急増した。第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じく[[世界]]で流行した。さらに、最初に[[医師]]・[[看護師]]の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。


この経緯を教訓とし、[[2009年新型インフルエンザの世界的流行]]の際には[[インフルエンザワクチン]]を医療従事者に優先接種することとなった。
この経緯を教訓とし、[[2009年新型インフルエンザの世界的流行]]の際には[[インフルエンザワクチン]]を医療従事者に優先接種することとなった。

2020年4月5日 (日) 06:36時点における版

スペインかぜ
Soldiers from Fort Riley, Kansas, ill with Spanish flu at a hospital ward at Camp Funston
病棟で治療を受けるスペインかぜに罹患したフォート・ ライリー英語版陸軍基地(カンザス州)の兵士
疾病 インフルエンザ
ウイルス株 H1N1
最初の発生 不明
最初の報告 アメリカ合衆国
場所 世界中
日付 1918年1月 – 1920年12月
確定症例数 5億人(推計)[1]
死者数
1700–5000万人(推計)
PSIカテゴリー[2]

スペインかぜは、1918年パンデミックとも呼ばれ、極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染した[3]とされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は1,700万人[4]から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである[5][6]アメリカ合衆国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した[7][8][9]

第一次世界大戦中の士気維持のため、ドイツイギリスフランスアメリカ合衆国での病状や死亡の初期報告は検閲により最小限に抑えられた[10]。一方で中立国スペインにおける伝染病の影響は自由に報道され[11]アルフォンソ13世の重病を初めとする多数の記事はスペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を生み出した[12]。これがこのパンデミックの俗称である「スペインかぜ」の由来である[13]。しかし歴史的、疫学的データは地理的起源を確実に特定するには不十分であり[3]、その起源には諸説ある。

ほとんどのインフルエンザの流行では死者が乳幼児高齢者に偏り、その中間の年齢層の生存率は高いが、スペインかぜでは若年成人の死亡率がその他のインフルエンザと比較して高かった。科学者たちは、1918年のインフルエンザ大流行の死亡率の高さについて、いくつかの可能性のある説明を提示している。いくつかの分析はウイルスがサイトカイン放出症候群を引き起こし強い致死性を得ることを示している(サイトカインストーム)。サイトカインストームは若年成人の強い免疫システムを破壊する[14]。これとは対照的に、パンデミック期以降の医学誌に対する2007年の分析では、スペインかぜのウイルス感染は以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明した[15][16]。その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を促進していた。ほとんどの犠牲者はこの重複感染が死因であり、重篤期間はやや長期化することが多かった[17][18]

スペインかぜはH1N1型インフルエンザウイルスによる2つのパンデミックのうちの最初のものである。2番目は2009年の新型インフルエンザ(A(H1N1)pdm09)[19]

起源

起源については諸説あるが、いずれも仮説の域を出ていない。

アメリカ疾病予防管理センター (CDC) によれば、既に1915年にインフルエンザと肺炎による死亡率がアメリカで増加しているが、発生源は依然不明としている[20]

新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会では、カナダウイルスイリノイ州に感染したとの推定が委員から説明されている[21][注 1][注 2]。近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体1907年頃に発生したことが判明している。

経緯

起源に諸説あることから必然的に経緯も諸説ある。以下は諸説の1例に過ぎないと考えるべきである。

スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である[注 3]

第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり[23]アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行した。 日本では、第1回が1918年10月から1919年3月、第2回が1919年12月から1920年3月、第3回が1920年12月から3月にかけてである[24]。第1回の死亡者数が最も多く、ついで第2回であり、第3回はわずかである。

第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。さらに、最初に医師看護師の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。

この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際にはインフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。

被害状況

スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院。
マスクをつける日本の女性たち。

被害者数

世界全体の推定感染者数は約5億人とされる。当時の世界人口は18億人から20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。日本では、当時の人口5500万人に対し約2300万人が感染したとされる。

世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅がある。日本では、内務省衛生局は39万人[25]、最近の研究では45万人[26]が死亡したとし、アメリカでも50万人が死亡したとされる。これらの数値は感染症のみならず戦争災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである[注 4]

特徴

スペインかぜはH1N1型インフルエンザウイルスが原因とほぼ特定されているにもかかわらず、他のインフルエンザ流行とは異なる特徴がいくつか見られる。

ただし、第1次世界大戦中の流行であり、当時の記録には様々な混乱要素が含まれ得ることを考慮する必要がある。

被害者の年齢層

若年成人が死に至りやすい傾向が見られた。一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0–2歳)、高齢者(70歳以上)、免疫不全者に集中することから、これはスペインかぜの際立った特徴と考えられる。

アメリカの記録では、1918年から1919年までのスペインかぜによる死者数の99%は65歳未満であり、ほぼ半数が20歳から40歳の間である。65歳未満の死亡率は65歳以上の6倍であった。1920年になると65歳未満の死亡率は65歳以上の半分まで減少したが、それでも死者数の92%が65歳未満であった[27]。日本の記録でも同様の傾向が見られた[28]

若年成人の死亡率の高さについては、スペインかぜのウイルスが引き起こすサイトカイン放出症候群が若年成人の強い免疫システムを破壊する[14]ことが原因の一説として挙げられている。妊婦の死亡率が特に高い[29]ことも若年成人の死亡率を高くした要因と見られる。また、実際にはスペインかぜのほとんどの犠牲者が栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態による細菌性の重感染を死因としているとの指摘もあり[17][18]、第一次世界大戦による過酷な兵役、軍需産業への動員が若年成人の死亡率を引き上げた可能性もある。

高齢者の死亡率の低さについては、この時代の高齢者は1889年頃に流行した「ロシアかぜ」で免疫を獲得していたのではないかとの説もある[30]

流行時期

夏から秋にかけて大流行した。一般のインフルエンザの流行ピークは冬季である。

著名人の死者

日本

病原体

患者の遺体から見つかったゲノムより復元されたスペインかぜウイルス

スペインかぜの病原体は、A型インフルエンザウイルスH1N1亜型)である。ただし、当時はまだウイルスの分離技術が十分には確立されておらず、また主要な実験動物であるマウスウサギに対しては病原性を示さなかったことから、その病原体は不明であるとされた。ヒトのインフルエンザウイルスの病原性については1933年フェレットを用いた実験で証明された。その後、スペインかぜ流行時に採取された患者血清中にこの時分離されたウイルスに対する抗体が存在することが判明したため、この1930年頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。その後、1997年8月にアラスカ州凍土より発掘された4遺体から肺組織検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。

これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。よって、スペインかぜはそれまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、スペインかぜに対する免疫を持った人がいなかったことがこの大流行の原因だと考えられている。

スペインかぜについては解読された遺伝子からウイルスを復元したところ、マウスに壊死性の気管支炎、出血を伴う中程度から重度の肺胞炎肺胞浮腫を引き起こすことが判明した。このような強い病原性は、ウイルス表面にあるタンパク質HA(赤血球凝集素ヘマグルチニン)が原因である。また、スペインかぜウイルスは、現在のインフルエンザウイルスよりも30倍も早く増殖する能力を持つことが分かっている(増殖を司る3つのDNAポリメラーゼによる)。

通常の流行では小児と老人で死者が多いのだが、スペインかぜでは若年成人層の死者が多かった点に関し2005年5月にマイケル・オスターホルム英語版はウイルスによって引き起こされるサイトカインストームが原因[31]であるという仮説を提唱したが、これに反対する説もある。一方、2007年1月に科学技術振興機構東京大学医科学研究所が人工合成したウイルスを用いてサルで実験した結果では、スペインかぜウイルスには強い致死性の肺炎免疫反応の調節に異常を起こす病原性があることを発表している[32][注 5]

2008年12月に東京大学河岡義裕など日米の研究者グループによって、強い病原性を説明する3つの遺伝子を特定したことが発表された[33][注 6]

名称についての議論

「スペインかぜ」という名称は、英語: Spanish Flu (influenza) に対する日本語の訳語として作られたものであり、第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことから名付けられた[23]

西班牙流行性感冒を、当時のマスメディアが西班牙感冒かぜと読ませたからとする出典もある[34]大日本帝国陸軍病院の1918年の診療録には、病名が流行性感冒と記されていた[35]。誤解される場合も多いが、風邪は病名ではなくインフルエンザを含む病気の総称としての風邪症候群である。よって、病名においてこの「かぜ」という名称を使うべきでないと主張する研究者もおり、議論されている。

表記には以下がある。

  • スペインかぜ
  • スペイン風邪
  • スペインインフルエンザ(厚生科学審議会[36]厚生労働省[37]、国立感染症研究所[38]
  • スパニッシュインフルエンザ(内務省衛生局発行 『流行性感冒』 1921年)[39]

現状では「スペインかぜ」という名称が、微生物学教科書でも使用されているが[40]、日本語の名称変更について、まだ統一的な見解が得られていない。

画像

脚注

注釈

  1. ^ しかしながら同資料が述べているのはswine fluと言う英語の起源が豚と人のインフルエンザの同時流行から『当時の人が』人のインフルエンザは豚起源であると考えての命名(という推定)であり、「豚から人に感染した」とは推定していない。
  2. ^ 2009年7月のNEJMでは、アイオワ州のCeder Rapids Swine Festivalを流行の起源としているが、当時豚インフルエンザ様の疾患が豚に大流行していたとの記録からの類推に過ぎない。
  3. ^ ロシアかぜのほうが古い記録であるという説もあるが、確証されていない[22]
  4. ^ 第一次世界大戦:戦死者900万、非戦闘員死者1000万、負傷者2200万人。第二次世界大戦: 戦死者1500万、軍人負傷者2500万、一般市民の死者数3800万。控えめな推定。ただし第一次世界大戦の戦死者のうち、戦闘活動による死亡以外が多く占め、スペインかぜによる戦病死も含まれていることからスペインかぜの死亡と第一次大戦の戦死者には重複がある。
  5. ^ サイトカインストーム説の出所はF・マクファーレン・バーネットの免疫過剰反応説である。
  6. ^ スペイン風邪の第2波でRNAのPB2の627番目がリシンに変わって強毒性となったという。第1波のアミノ酸が何であったかは不明である。

出典

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  6. ^ Jilani, TN; Jamil, RT; Siddiqui, AH (14 December 2019). H1N1 Influenza (Swine Flu). PMID 30020613. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK513241/. 
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    Historical and epidemiologic data are inadequate to identify the geographic origin of the virus, and recent phylogenetic analysis of the 1918 viral genome does not place the virus in any geographic context
  21. ^ 感染症分科会感染症部会新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会第二回議事録(厚生科学審議会)
  22. ^ 英語版Wikipedia
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    これまで一般に、スペインかぜと表記してきたものについて、スペインインフルエンザと表記
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  39. ^ 『史上最悪のインフルエンザ』 p.404
  40. ^ ノートによると『戸田新細菌学』 改訂32版2刷(2004年1月)

参考文献

関連項目

外部リンク