ニヴェル攻勢
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| ニヴェル攻勢 | |
|---|---|
1917年の西部戦線 | |
| 戦争:第一次世界大戦(西部戦線) | |
| 年月日:1917年4月16日 - 5月9日 | |
| 場所:フランス北部 | |
| 結果:ドイツ帝国の勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
| 1,200,000人 砲7000門・戦車128両 |
約480,000人 |
| 損害 | |
| 合計 187,000人 戦死 29,000人 砲4,000門奪取、戦車118両 |
合計 163,000人 捕虜 15,000-20,780人 |
ニヴェル攻勢(ニヴェルこうせい、英語: Nivelle Offensive、フランス語: Offensive Nivelle)は、第一次世界大戦中1917年の西部戦線における連合国軍による攻勢。大きな損害を出し失敗に終わった。内容として幾つかの局面を含む。
- イギリス第一、第三、第五軍によるアラスにおける準備攻撃。アラスの戦い(en:Battle of Arras)とヴィミーの尾根の戦い(en:Battle of Vimy Ridge)を参照。
- シェマン・ド・ダーム(en:Chemin des Dames)の尾根におけるフランス軍による強襲。第二次エーヌ会戦(en:Second Battle of the Aisne)(第三次シャンパーニュ会戦とも)を参照。
- ドイツ軍の戦線を突破したイギリス軍とフランス軍の合流。
- フランス軍内部に生じた動揺。1917年のフランス軍における抗命と軍規違反(en:French Army Mutinies (1917))を参照。
背景[編集]
起端[編集]
戦闘[編集]
ロベール・ニヴェル将軍がジョセフ・ジョッフル将軍からフランス軍最高司令官の職を1916年12月に引き継いだとき、ドイツ軍戦線への猛攻撃によって48時間以内にフランスに勝利をもたらすと豪語した。予想される犠牲は1万人程度とされた。フランス首相の後押しもあり、多くの高官達の反対にもかかわらず計画は1917年4月16日に実施された。
結果[編集]
48時間で突破に成功するどころか、攻勢はほとんど前進できなかった。攻勢の終末のさなかの1917年5月9日にニヴェルは更迭され、退役することとなった。フランス軍だけで18万7千人以上の損害を出したことと、ニヴェルが約束した勝利の言葉が虚偽に終わったことから、以後フランス軍内の士気は極端に乱れ、大規模な抗命事件やフランス軍反乱が続発した。
余波[編集]
評価[編集]
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