ニヴェル攻勢

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ニヴェル攻勢
WesternFront1917.jpg
1917年の西部戦線
戦争第一次世界大戦西部戦線
年月日:1917年4月16日 - 5月9日
場所フランス北部
結果ドイツ帝国の勝利
交戦勢力
フランスの旗 フランス
イギリスの旗 イギリス
ロシア帝国の旗 ロシア遠征軍英語版
ドイツの旗 ドイツ帝国
指導者・指揮官
フランスの旗 ロベール・ニヴェル
フランスの旗 シャルル・マジャン英語版
イギリスの旗 ダグラス・ヘイグ
イギリスの旗 エドモンド・アレンビー英語版
ドイツの旗 エーリヒ・ルーデンドルフ
ドイツの旗 ヴィルヘルム・フォン・プロイセン
ドイツの旗 フリッツ・フォン・ベロウ
戦力
1,200,000人
砲7000門・戦車128両
約480,000人
損害
合計 187,000人
戦死 29,000人
砲4,000門奪取、戦車118両
合計 163,000人
捕虜 15,000-20,780人

ニヴェル攻勢(ニヴェルこうせい、英語: Nivelle Offensiveフランス語: Offensive Nivelle)は、第一次世界大戦1917年西部戦線における連合国軍による攻勢。大きな損害を出し失敗に終わった。内容として幾つかの局面を含む。

背景[編集]

1916年フランスは焦っていた。相次ぐ膠着に次ぐ膠着で厭戦気分が漂い、徴兵できる人間が枯渇しかけていたためである。これを打破するためにまずフランスは、ジョフルを元帥に昇格させ僻地へ異動させられた。そこで新たに指揮官になったのがニヴェルであり、彼の行った大攻勢がのちにニヴェル攻勢と呼ばれる春季大攻勢である。

起端[編集]

「私は勝利の秘密を知っている!!!」「48時間以内にフランスに勝利をもたらす!!!」ニヴェルは豪語した!この大胆すぎる発言はフランス人を熱狂させた。そしてイギリスの政治家も動かされ、ヘイグは猛抗議にも関わらず、イギリス軍はフランス軍の指揮下に入った。1917年になり、ドイツは後退した。訝しみながら慎重に進軍をすると、行く先々の木が抜かれ、井戸には毒がしこまれており、その先には今までのノウハウの全てが詰まった要塞が作られていた。しかしこの焦土作戦はフランスの怒りを買い後にヴェルサイユ条約で恨みを晴らされてしまった。

予想される犠牲は1万人程度とされた。フランス首相の後押しもあり、多くの高官達の反対にもかかわらず計画は1917年4月16日ににヘイグは陽動の為アラスで攻勢をかけ、ニヴェル攻勢がはじまり、イギリス軍は死傷者は16万ほど出した。そして陽動に成功したようにみえたが、ルーデルドルフはスパイを通し攻撃作戦を入手しておりバレバレであった。

戦闘[編集]

這う射撃。彼は「勝利の秘密」の正体を暴露した。端的に言えば砲撃の後ろで歩兵が匍匐前進をする。そして砲撃の距離をどんどん長くして、それに合わせ歩兵も匍匐前進をしつつ、敵陣地まで味方の砲撃の弾幕で敵の攻撃を守りそして、強襲するというものである。しかし、これは完全に机上の論理であった。当時の技術ではそこまで精密射撃ができず、味方の頭上に落ちてくる例が三見された。折しも雪がまだ解けておらず、天候も悪く、砲撃でクレーターだらけ。這うと雪で凍え伏せることもできず、また走ることもできず、攻勢初日に38万人用意し突撃したが、5万人もの損害を出した。場所を変え攻撃したが、結果はわずかに前進できた程度で完全に失敗であった。

結果[編集]

48時間で突破に成功するどころか、攻勢はほとんど前進できなかった。攻勢の終末のさなかの1917年5月9日にニヴェルは更迭され、退役することとなった。フランス軍だけで18万7千人以上の損害を出したことと、ニヴェルが約束した勝利の言葉が虚偽に終わったことから、以後フランス軍内の士気は極端に乱れ、大規模な抗命事件やフランス軍反乱が続発した。

余波[編集]

評価[編集]