「京都市立伏見工業高等学校」の版間の差分

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*剣道部
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*山岳部
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;死亡事故
2011年9月10日、午前9時より同校グラウンドにてラグビー部の練習をしていた3年生男子部員(当時18歳)が走り込みをしていた正午頃に突然倒れ、痙攣などを起こした。病院に搬送されたが、約3時間後に死亡<ref>讀賣新聞 2011年9月10日</ref>。


=== 文化部 ===
=== 文化部 ===

2018年8月4日 (土) 11:16時点における版

京都市立伏見工業高等学校
過去の名称 京都市立工業学校分教場
京都市立第二工業学校
京都市立伏見工業高等学校(第一次)
京都市立伏見高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市の旗 京都市
設立年月日 1920年
課程 夜間定時制課程
設置学科 工業技術科
高校コード 26137J
所在地 612-0011
京都府京都市伏見区深草鈴塚町13
外部リンク

公式サイト

京都市教員委員会のサイト内
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立伏見工業高等学校(きょうとしりつふしみこうぎょうこうとうがっこう)は、京都府京都市伏見区深草に所在する市立工業高等学校

全日制課程は京都市立洛陽工業高等学校と統合されたが、夜間定時制課程は対象外のため、統合が完了した2018年度以降も、夜間定時制単独校として従来の校名・所在地で存続している[1]


沿革

略歴

年表

  • 1920年(大正9年) - 京都市立工業学校の分教場として設立。
  • 1925年(大正14年) - 京都市立第二工業学校
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革で京都市立伏見工業高等学校となる。
  • 1949年(昭和24年) - 学校再編で京都市立伏見高等学校となる。
  • 1963年(昭和38年) - 再び、京都市立伏見工業高等学校となる(普通科生徒は京都市立塔南高等学校へ転籍)。
  • 2015年(平成27年) - 2015年度より昼間定時制の募集停止。京都市立洛陽工業高等学校との統合が決定。
  • 2016年(平成28年) - 2016年度より全日制生徒の募集を停止。
  • 2017年(平成29年) - 全日制が京都工学院高校の校地に移転。
  • 2018年(平成30年) - 伏見工業高校全日制として最後の卒業式が行われる。2018年度より定時制単独の高校となる。

所在地

  • 京都市伏見区深草鈴塚町13

アクセス

京阪電気鉄道京阪本線伏見稲荷駅より徒歩約6分

部活動

運動部

  • ソフトテニス部
  • バスケットボール部
  • サッカー部
  • ラグビー部
  • 陸上部
  • 剣道部
  • 山岳部
死亡事故

2011年9月10日、午前9時より同校グラウンドにてラグビー部の練習をしていた3年生男子部員(当時18歳)が走り込みをしていた正午頃に突然倒れ、痙攣などを起こした。病院に搬送されたが、約3時間後に死亡[2]

文化部

  • コンピューター部
  • 機械工作部
  • 建築文化部
  • 測量部
  • 軽音楽部

統合前の主要な成績

統合

京都市立高校の再編に伴い、昼間定時制課程が廃止され、全日制課程が京都市立洛陽工業高校との統合されて京都市立京都工学院高等学校となった。

  • 2015年度 - 昼間定時制の生徒募集停止。
  • 2016年度 - 全日制の生徒募集停止(京都工学院高校が開校)。
  • 2017年度 - 全日制が京都工学院高校の校地に移転。本校全日制と洛陽工業高校の最後の在校生である3年生が京都工学院高校の校地に通学するようになった。
  • 2018年度 - 従来の校地に夜間定時制のみの学校として存続。

高校関係者一覧

教職関係者

出身者

スポーツ

芸能

建築

官僚

  • 山口務(元九州通商産業局長 / 旧伏見高校卒)

関連項目

脚注・出典

  1. ^ 伏見工高と同様に全日制が他校と合併して再編され、定時制が残った工業高校には愛知県立愛知工業高等学校がある。なお、定時制のみの学校は沖縄県立泊高等学校(ただし同校では厳密には通信制を併設)など数校があるのみである。
  2. ^ 讀賣新聞 2011年9月10日

外部リンク