岩子島
岩子島 | |
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所在地 | 日本 広島県尾道市 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 芸予諸島 |
座標 | 北緯34度22分47.7秒 東経133度9分51.7秒 / 北緯34.379917度 東経133.164361度座標: 北緯34度22分47.7秒 東経133度9分51.7秒 / 北緯34.379917度 東経133.164361度 |
プロジェクト 地形 |
地理
[編集]本州尾道市から南の尾道水道を隔てた位置にある島[1]。東側が御幸瀬戸を隔てて向島になり、 向島大橋で結ばれている[1]。向島はしまなみ海道と結ばれているため、この島は本州と陸続きになる[1]。地理的・文化的にも向島と一体化している存在である[2]。
面積2.46km2(2015年現在[3])。周囲約8km [4]。気候は瀬戸内海式気候。
人口約660人、高齢化率44.9%(2012年現在[5])。島域すべて〒722-0072広島県尾道市向島町岩子島。
歴史
[編集]近世まで
[編集]この島では遺跡・古墳・古城跡といった埋蔵文化財は発見されていない[6]。
島の南西部にある岩子島厳島神社には、太古の昔市岐島姫命が滞在した伝説が残る。ただ話自体は後世の創作であるとしている[7]。
この島の北西部、尾道水道の西端にある2つの無人島は現在は三原市に属しており、それぞれ「大鯨島」と「小鯨島」、纏めて「鯨島」とも呼ばれる。これらの島のことは、応安4年(1371年)今川貞世(了俊)が九州探題として下向していた時の紀行文『道ゆきぶり』や、康応元年(1389年)足利義満厳島詣の際の紀行文『鹿苑院殿厳島詣記』に登場する[8]。
其海中に木ぶかき小島二ならびたり、是なんくぢら島といふなり、年ごとのしはすに、くぢらといふうを多くよりきつヽ、又のとしのむ月に又かへり侍るとなん、是はこヽにいます神の誓にてかく侍ると、海人どもの申也・・・ — 今川了俊、道ゆきぶり[9]
つまり、中世には岩子島付近までクジラが回遊していたことを意味する[10]。一方で、岩子島の名称はイワシの回遊に由来しているともされている[11]。後述の岩子島厳島神社管絃祭の際には、御座船が岩子島と鯨島を巡る[10]。なお、スナメリは近年でも回遊する姿が時折見られる。
江戸時代、この地は広島藩領となる。
近代以降
[編集]いわしじまむら 岩子島村 | |
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1929年 尾道都市計画区域図 | |
廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
編入合併 御調郡向島町、御調郡岩子島村→御調郡向島町 |
現在の自治体 | 尾道市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 御調郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
岩子島村役場 | |
所在地 | 広島県 |
座標 | 北緯34度22分58.6秒 東経133度10分01.7秒 / 北緯34.382944度 東経133.167139度 |
ウィキプロジェクト |
産業
[編集]島の産業の中心は農業。
特に国内トップの生産量を誇るワケギの産地として著名である。大正時代から一大産地となったものの、太平洋戦争中には統制野菜(麦やサツマイモなど)が生産されたため、一時期廃れた。1949年(昭和24年)野菜の統制撤廃後からワケギ栽培が復活し、農業技術の革新により1970年代には広島ワケギの名声を確立した。島の農家の4割がワケギ農家である[1][14]。
また広島県内トップの生産量を誇るトマトの産地でもある[4]。
観光・文化
[編集]文化財
[編集]ここでは国・県・市が指定している文化財を列挙する[2]。
- 県天然記念物
- 阿弥陀寺のビャクシン - 樹高約16m×胸高幹囲2.7m [15]
- 市天然記念物
- ゆるぎ岩
例祭・行事
[編集]- 市有形民俗文化財
- 岩子島厳島神社管絃祭
名所
[編集]- 岩子島厳島神社
- 岩子島海水浴場
- 鶏の鼻 …… 南端の岬。因島大橋が一望できる。
作品・ロケ地
[編集]- 2005年 : 男たちの大和/YAMATO - 岩子島厳島神社周辺
- 1998年 : あの、夏の日
- 1995年 : あした
- 1991年 : ふたり
- 1986年 : 彼のオートバイ、彼女の島
交通
[編集]向島大橋 | |
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基本情報 | |
所在地 | 広島県尾道市 |
交差物件 | 瀬戸内海御幸瀬戸 |
座標 | 北緯34度22分34.3秒 東経133度10分25.3秒 / 北緯34.376194度 東経133.173694度 |
構造諸元 | |
形式 | ランガー橋(車道部)、ワーレントラス単純桁橋(歩道部)[12] |
幅 | 有効幅員 4.9 m 、車道幅員 4.5 m 、 歩道幅員 2.5 m [12] |
高さ | 14 m [12] |
最大支間長 | 118.9 m [12] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
向島大橋、尾道大橋で結ばれているため陸続きである。フェリー航路・渡船は存在していない。公共交通機関としてはおのみちバスの路線がある。
向島大橋は、北側に車道橋としてのランガ―橋と、南側に歩道橋としてのトラス橋が並走して架けられ、どちらも鮮やかな赤の塗装が施されている。尾道と向島を結ぶ橋が尾道大橋であることなどの前例から、岩子島大橋ではなく向島大橋と命名された。全長は 約140 m 、海面からの高さは 14 m で、1968年(昭和43年)に日本初の海を渡る農道の橋(渡海農道橋)として開通し、1990年(平成2年)にトラス橋が併設された[12]。
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “岩子島”. コトバンク. 2016年4月5日閲覧。
- ^ a b “歴史文化保存活用区域の位置及び範囲” (PDF). 尾道市. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “平成27年全国都道府県市区町村別面積調”. 国土地理院. 2016年4月5日閲覧。
- ^ a b “いぐさとすずめのお宿と部員”. 尾道自由大学. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “福祉ひろしま vol.79” (PDF). 広島県社会福祉協議会. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “尾道市(旧・因島市,旧・豊田郡瀬戸田町,旧・御調郡御調町,向島町を含む)” (PDF). 広島県教育委員会. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “三原郷土史木曜会 連載「向島の町史」の現地を訪ねる”. みはら市民協働サイト. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “道ゆきぶり(みちゆきぶり)”. ひろしま文化大百科. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “古事類苑>地部二十七>安藝國>地勢”. 国文学研究資料館. 2016年4月5日閲覧。
- ^ a b 村上晴澄, 今川了俊の紀行文『道ゆきぶり』にみる鯨島(PDF), 立命館大学
- ^ しまなみ今治管理センター (2016年7月20日). “30年ぶりに岩子島を訪れました”. 本州四国連絡高速道路. 2024年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “向島大橋(むかいしまおおはし)”. 広島県庁 (2015年3月11日). 2016年4月5日閲覧。
- ^ a b c 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
- ^ “ワケギ”. ひろしま文化大百科. 2016年4月5日閲覧。
- ^ “阿弥陀寺のビャクシン”. 広島県教育委員会. 2016年4月5日閲覧。
外部リンク
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