共和政ローマ監察官一覧
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共和政ローマ監察官一覧(きょうわせいローマかんさつかんいちらん)は主に共和政ローマのケンソル(監察官)を年毎に記載した一覧。
一覧
[編集]年の後のローマ数字は初回のセルウィウス・トゥッリウス王から数えて何回目[1]のルーストルム[注釈 1]かを示す。プレブス出身者は斜体で表す。
- 紀元前579年~前536年 I~IV - ロームルスの定めた3つのトリブスからローマ市内を4つに区切った都市トリブスに行政単位を変更。
- 紀元前508年 V - 共和政初のケンスス
- 紀元前498年 VI
- 紀元前493年 VII
- 紀元前474年 VIII
- 紀元前465年 IX
- 紀元前460年
- 紀元前459年 X
紀元前5世紀
[編集]- 紀元前443年[3] XI - 初代ケンソル[4][注釈 2]
- 紀元前435年[6] XII - カンプス・マルティウスに公共集会場が設けられ、そこでケンススが行われるようになった[7]。
- 紀元前430年[8] XIII - 罰として数多くの牛や羊を徴収しすぎたため、この年家畜の代わりに貨幣での支払いを可能とする法が執政官によって成立[9]
- ルキウス・パピリウス
- プブリウス・ピナリウス
- 紀元前418年[10] XIV
- 不明 XV
- 紀元前403年[11] XVI - 未婚の男性と寡婦の結婚を促進[12]
紀元前4世紀
[編集]- 不明 XVII
- 紀元前393年[13] - ユリウス・ユッルスが任期中死亡し補充ケンソルが選出されたが、このルーストルム期間中 (5年間)にローマがガリア人に占領されたため (前390年)、不吉な前例として補充される事はなくなった[14]
- ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前387年の執政武官)
- ガイウス・ユリウス・ユッルス (紀元前408年の執政武官)
- マルクス・コルネリウス・マルギネンシス (補充)
- 紀元前389年[15] XVIII - ウェイイから加わった市民を新設した4つの農村トリブス(選挙区)に登録か[注釈 4]
- 紀元前380年[16] - 借金を巡って不穏な動きがあり、市民の財産額査定のため選出されたが、ポストゥミウスが任期中死去したためスルピキウスも辞任し、補充が選出されたものの瑕疵があり辞任[17]
- 紀元前378年[18] XIX- 借金を巡って暴動が起きたため、実態調査のため選出されたが戦争で中断[19]
- スプリウス・セルウィリウス・プリスクス
- クィントゥス・クロエリウス・シクルス
- 紀元前366年[20] - 翌年ポストゥミウスが疫病で死去[21]
- -・ポストゥミウス・レギッレンシス・アルビヌス
- ガイウス・スルピキウス・ペティクス
- 紀元前363年[22] XX
- 紀元前358年[23] XXI - 恐らくこの年行われたトリブスのポンプティナ区とプブリリア区の追加[24]
- 紀元前351年[25] XXII - 初のプレブス出身ケンソル誕生 (マルキウス)
- 紀元前340年[26] XXIII - 成年人口165000人[注釈 5]
- ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前350年の執政官)
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ
- 紀元前332年[27] XXIV - 2つのトリブスが新設され、マエキア区にはラヌウィウム人が、スカプティア区にはウェリトラエ人が登録された[28]
- 紀元前319年[29]
- 紀元前318年[30] XXV - 新しいトリブス、オウフェンティナ区とファレルナ区が追加[31]
- ルキウス・パピリウス・クラッスス
- ガイウス・マエニウス
- 紀元前312年[32] XXVI - 無産市民をトリブスに登録。一年半の任期終了後もカエクス辞任せず。アッピア街道アッピア水道建設[33]
- アッピウス・クラウディウス・カエクス
- ガイウス・プラウティウス・ウェノクス
- 紀元前307年[34] XXVII - ブルトゥスによってサルース神殿建設開始。両者によってウァレリア街道が建設される[35]
- 紀元前304年[36] XXVIII - カエクスによって全トリブスに登録された無産市民らを4つの都市トリブスに集中的に再配置[37]
- 紀元前300年[38] XXIX - 新しいトリブス、アニエンシス区とテレンティナ区が追加[39]
紀元前3世紀
[編集]- 紀元前294年[40] XXX - 成年人口262,321人[41][注釈 6]
- 紀元前289年[42] XXXI - 成年人口272,000人[43]
- 紀元前283年[44] - 途中辞任 (理由不明)
- 紀元前280年[45] XXXII - 成年人口287,222人。ドミティウスは初めてルーストルムの儀式を行ったプレブス出身ケンソルとなった[46]
- 紀元前275年[47] XXXIII - 成年人口271,224人。元コンスルのコルネリウス・ルフィヌスが10ポンド以上の銀製品を所持していたとして元老院から追放[48]
- 紀元前272年[49] - 任期中パピリウスが死去したがデンタトゥスは辞任せず旧アニオ水道建設事業を続行[50][注釈 7]
- マニウス・クリウス・デンタトゥス
- ルキウス・パピリウス・プラエテクスタトゥス
- 紀元前269年[51] XXXIV - この年ローマの人々が初めて銀貨を使いだした[52]
- 紀元前265年[53] XXXV - 成年人口382,234人。マルキウス二度目のケンソルシップ[注釈 8]だがケンソルの再選を禁止する法を作る[54]
- 紀元前258年[55] XXXVI
- 紀元前253年[56] - ポストゥミウスが任期中死去したためユニウスも辞任[57]
- 紀元前252年[58] XXXVII - 成年人口297,797人。16名を元老院から除外[59]。400人の騎士の若者をシキリアでの命令不服従により無産階級に降格させる[60]
- 紀元前247年[61] XXXVIII - 成年人口241,212人[62][注釈 9]
- 紀元前241年[63] XXXIX - 新トリブスのウェリナ区とクィリナ区が追加[62]
- 紀元前236年[64] - ルタティウス任期中死去[65]
- 紀元前234年[66] XL
- 紀元前231年[67] - 選出に瑕疵あり辞任[65]
- 紀元前230年[68] XLI
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス (ローマの盾)
- マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス (紀元前240年の執政官)
- 紀元前225年[69] XLII - ローマ人とカンパニア人あわせて歩兵約25万、騎兵2万3千[70]
- 紀元前220年[71] XLIII - 成年人口270,212人。解放奴隷をエスクィリナ区、パラティナ区、スブラ区、コッリナ区の4つに集中再配置。フラミニア街道とキルクス・フラミニア建設[72]
- 紀元前214年[73] - カンナエの戦い後イタリアを捨てようとしていたクァエストルのカエキリウス・メテッルスを無産階級に落とすなど、兵役拒否に対して厳しい処置をとる。翌年護民官となったメテッルスから告発されるも、任期中フリウスが死去しアティリウスも辞任[74]。
- 紀元前210年 - ウェトゥリウスが死去しリキニウスも辞任[75]
- 紀元前209年 XLIV - カンパニアの土地を分配。カンナエ後の降格処分を反映し元老院を再編成。ファビウス・マクシムス・ウェッルコススを元老院第一人者に[76]。成年人口137,108人[77]
- 紀元前204年[78] XLV - 7名を元老院から除名。ウェッルコススを第一人者に再指名。マグナ・マーテル神殿建設などインフラ整備。新しい塩税をかけたためリウィウスはサリナトル (塩売り)のあだ名がついた。12の植民市を統計に加え成年人口214,000人[79]
紀元前2世紀
[編集]- 紀元前199年[80] XLVI - カプア・プテオリ間の関税やスクイッラーチェ付近のカストラ・ハンニバルに300人の植民を送り港湾使用料を徴収。カプアの土地を売却[81]
- 紀元前194年[82] XLVII - スキピオ・アフリカヌスを第一人者に。3名を元老院から除名、少数の騎士を降格。キルクス (競技場)に元老院用座席を設置。アトリウム・リベルタティスや公共集会場の修復拡張。成年人口243,704人[83]
- 紀元前189年[84] XLVIII - 4名を元老院から除外。スキピオ・アフリカヌスを三度目の第一人者に。インフラ整備とカンパニア人もローマで統計し成年人口258,318人[85]
- 紀元前184年[86] XLIX - 紀元前192年の執政官クィンクティウス・フラミニヌス[注釈 10]を含む7名を元老院から除外[87][88]。大スキピオの死後、フラックスを第一人者に指名[89]。
- 紀元前179年[90] L - レピドゥスは自らを第一人者にし、土地を所有していたテッラキナに公費で防波堤建設。バシリカ・アエミリア他多くのインフラ整備を手がけ、私物化されていた国有地から賃貸料を徴収し公共施設も開放、市民の地位や所得に応じて所属トリブスを再設定[91]
- 紀元前174年[92] LI - プラエトル経験者のスキピオ家の二人[注釈 11]やフラックスの兄弟を含む9名を元老院から除名、数名の騎士降格。レピドゥスを第一人者に (2回目)。キルクスにプラエトルとアエディリス専用席を設置し、ラップ数を分かりやすくし動物を闘技場に導入した。多数のインフラ整備をし、特にフラックスは私費で神殿建設などを行ったが、元ある神殿から建材を剥ぎ取ったため元老院に召喚された[93]
- 紀元前169年[94] LII - レピドゥスを第一人者に (3回目)。7名を元老院から除名。マケドニア戦線からの離脱者を原隊へ復帰させた他厳しい取締りに反感が募り、プルケルは護民官に告発され無産階級へ落とされる所をグラックスの弁護により無罪となった。多くのエクィテスが降格され、バシリカ・センプロニア建設[95]
- 紀元前164年 LIII - 3名を元老院から除名。マルキウスはコンコルディア像をフォルムに立て、正確な日時計を設置[96]。成年人口337,022人。レピドゥスを第一人者に (4回目)[97]
- 紀元前159年 LIV - フォルムから法的根拠の薄い政務官の像を撤去。スキピオ・ナシカは昼夜を等分した水時計を設置[98]。成年人口328,316人。レピドゥスを第一人者に (5回目)[99]
- 紀元前154年[100] LV - 劇場を建設するもスキピオ・ナシカによって無用な上に公衆道徳に反するとして取り壊される。成年人口324,000人。レピドゥスを第一人者に (6回目)[101]。カッシウスはコンコルディア像を元老院へ移し聖別しようとするが、最高神祇官に民衆によって指名されなければ法的根拠がないとされる[102]
- 紀元前147年 LVI - スキピオ・ナシカ・コルクルムを第一人者に[103]
- 紀元前142年 LVII - 小スキピオはアエミリウス橋を完成させ、厳しい取締りを行いティベリウス・クラウディウス・アセッルスを無産階級に降格させた[注釈 12]。ムンミウスは取締りを仲裁しアカエアでの戦利品でカピトリヌスを飾った[104]。成年人口328,442人[105]
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・アエミリアヌス (小スキピオ)
- ルキウス・ムンミウス・アカイクス
- 紀元前136年 LVIII - プルケルは厳しく、ノビリオルは寛大に取締り、プルケルが第一人者に[106]。成年人口317,933人[107]
- 紀元前131年[108] LIX - 両ケンソルがプレブスは初。プルケルを第一人者に (2回目)、死去後はルキウス・コルネリウス・レントゥルス・ルプスを指名。メテッルスは人口増のため全市民に婚姻を強制する演説を行い、護民官ガイウス・アティニウス・ラベオ・マケリオを元老院から除名[注釈 13]。成年人口318,823人[109]
- 紀元前125年 LX - テプラ水道建設、カエピオの宿敵でアウグルのマルクス・アエミリウス・レピドゥス・ポルキナを6000セステルティウスで家を借りたとして処罰。コルネリウス・レントゥルスを第一人者に[110]。成年人口394,736人[111]
- 紀元前120年 LXI - コルネリウス・レントゥルスを第一人者に[112]
- 紀元前115年 LXII - ガイウス・リキニウス・ゲタを含む32名を元老院から除名、マルクス・アエミリウス・スカウルスを第一人者に[113]。成年人口394,336人[114]
- 紀元前109年 - ドルススは任期中死去したがスカウルスは辞任拒否[注釈 14]、アエミリア・スカウリ街道建設やミルヴィオ橋の修復、ガリア・キサルピナの排水事業を手がける[115]
- 紀元前108年 LXIII - エブルヌスは自らの息子を不貞行為で処刑。アエミリウス・スカウルスを第一人者に再指名[116]
- 紀元前102年 LXIV - ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスとガイウス・セルウィリウス・グラウキアを元老院から除名しようとする[注釈 16]。[117]
紀元前1世紀
[編集]- 紀元前97年[118] LXV - 祝日や普段使えるアス (青銅貨)の制限などを定めたリキニウス法を撤廃しようとした護民官マルクス・ドゥロニウスを元老院から除外[注釈 17]。ロストラをキリキアでの戦利品で飾る。アエミリウス・スカウルスを第一人者に再指名[119]
- 紀元前92年[120] - 行きすぎたラテン語の修辞技法を制限。ドミティウスは同僚クラッススの贅沢を攻撃した。スカウルスを第一人者に留任[121]
- 紀元前89年[120] - この年、同盟市戦争の結果市民権を得たイタリア人を登録するため新しく10の農村トリブスが追加される事が決定していたが、護民官プブリウス・スルピキウス・ルフスの提出した新市民を旧農村トリブスに登録する法案が可決されたため中断[122]
- 紀元前86年 LXVI - 解放奴隷が35のトリブスに登録される。成年人口463,000人[123]。この時ローマを支配していたのはキンナで、新市民の登録が間に合わなかったともみられているが、トリブスへの配分は済んでいた可能性がある[124]。
- 紀元前70年[125] LXVII - 64名を元老院から除名、成年人口90万人[126]。この年の執政官グナエウス・ポンペイウスの影響で、スッラ派に対抗するため主にケントゥリアの第一クラシスを大量に登録したと考えられている[127]
- 紀元前65年[128] - ポー川以北の人々(トランスパダニ)にローマ市民権を与えるかどうかで意見が対立[129]。クラッススは恐らくカエサルの支援を得てトランスパダニに市民権を与える法案提出を図ったがカトゥルスに阻止された[130]
- 紀元前64年[131] - 前年と同じ理由で対立[132]。元老院リスト更新を護民官に妨害され途中辞任[133]
- 紀元前61年[134] - 元老院全員を留任、定員オーバー[135]。アシア属州でのスキャンダラスな不当契約に絡んでいた可能性[136]
- ガイウス・スクリボニウス・クリオ (紀元前76年の執政官)?
- 不明 途中辞任
- 紀元前55年[137] - この年ティベリス川が大氾濫して多くの死傷者が出た[138]。彼らは治水工事を行った。任期満了まで務めたがルストルムは行えなかった[139]
- 紀元前50年[140] - ポンペイウス派のプルケルは贅沢や不品行を徹底的に調査すると多くのエクイテスと元老院議員を除名し結果的にカエサル派で固め、解放奴隷を元老院から除名。ガイウス・サッルスティウス・クリスプスもこのとき除名されている。カエサル派のピソはガイウス・スクリボニウス・クリオの除名撤回を嘆願した[141]。ピソはカエサルとの調停も図った[142]
- 紀元前42年[143]
- ガイウス・アントニウス・ヒュブリダ
- プブリウス・スルピキウス・ルフス
- 紀元前28年[144] LXVIII - 元老院が千人を超えたため190名に自主的に返上させ、内乱の一世紀で激減していたパトリキを元老院の許可の下増やし、元老院議員が許可なくイタリア半島から出ることを禁じた[145]
帝政後のルーストルム
[編集]- 紀元前22年[146] - 民間人による最後のケンソル。彼らの仕事は実質的にはアウグストゥスが代行した[147]
- 紀元前8年[144] LXIX
- インペラトル・カエサル・アウグストゥス (アウグストゥス)
- 14年[148] LXX
- インペラトル・カエサル・アウグストゥス (アウグストゥス)
- ティベリウス・カエサル・インペリオ (ティベリウス)
- 47年[149] LXXI
- 72年[150] LXXII
- インペラトル・カエサル・ウェスパシアヌス・アウグストゥス (ウェスパシアヌス)
- ティトゥス・カエサル・ウェスパシアヌス (ティトゥス)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ケンソルの任期終了時に行われる清めの儀式、またその代のケンソルの本来の任期である5年間も指す
- ^ リウィウスはケンソルがこの年設立されたとするが、モムゼン他研究者はこの説を取っていない[5]。
- ^ Fasti Capitolini の破損
- ^ このケンソルにリウィウスは触れていない。Broughtonは非常に疑わしくみており、ウェイイからの流入者のために立てられた可能性を指摘している
- ^ 翌前339年に成立したプブリリウス法でケンソルの一人はプレブスとする事が決定されており、プブリウスはただ単にルキウスの兄弟であって同僚ではない可能性がある
- ^ リウィウスは初代ケンソルから数えて26代目、19回目のルーストルムとしている。初代ケンソル時点で王政時代から数えて11回目
- ^ フロンティヌスはプラエテクスタトゥスをこの年の執政官クルソルとしている
- ^ そのためケンソリヌスのアグノーメンがついた
- ^ リウィウスはこの統計結果を前244年に置いている
- ^ 前189年のケンソル、ティトゥス・クィンクティウスの兄弟
- ^ この年の外国人プラエトル、L・コルネリウス・スキピオと、前176年のヒスパニア・ウルテリオル担当プラエトル、M・コルネリウス・スキピオ・マルギネンシス
- ^ 前140年に護民官となったアセッルスは復讐のためスキピオを告発
- ^ 怒ったラベオはメテッルスをタルペーイアの岩から落とすよう命令、阻止される
- ^ 護民官に逮捕されそうになるまで
- ^ 前115年に元老院から除名されている
- ^ サトゥルニヌスがティベリウス・グラックスの子と偽って解放奴隷をエクィテスにねじ込もうとしたが拒否したため、後にそれを材料に反撃される
- ^ 後にアントニウスはドゥロニウスから収賄罪で告訴される
出典
[編集]- ^ de Boor.
- ^ Suolahti, p. 689.
- ^ Broughton Vol.1, pp. 53–54.
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- ^ Broughton Vol.1, p. 54.
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- ^ リウィウス, 4.22.
- ^ Broughton Vol.1, p. 64.
- ^ キケロ『国家論』,2.60
- ^ Broughton Vol.1, p. 72.
- ^ Broughton Vol.1, p. 82.
- ^ プルタルコス『カミッルス』2.2
- ^ Broughton Vol.1, pp. 91–92.
- ^ リウィウス, 5.31.
- ^ Broughton Vol.1, pp. 97–98.
- ^ Broughton Vol.1, pp. 105–106.
- ^ リウィウス, 6.27.
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- ^ リウィウス, 7.15.
- ^ Broughton Vol.1, p. 127.
- ^ Broughton Vol.1, p. 136.
- ^ Broughton Vol.1, p. 142.
- ^ リウィウス, 8.17.
- ^ Broughton Vol.1, p. 154.
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- ^ リウィウス, 9.20.
- ^ Broughton Vol.1, p. 160.
- ^ リウィウス, 9.29、33-34.
- ^ Broughton Vol.1, p. 165.
- ^ リウィウス, 9.43.
- ^ Broughton Vol.1, pp. 167–168.
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- ^ Broughton Vol.1, p. 172.
- ^ リウィウス, 10.9.
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- ^ リウィウス, 10.47.
- ^ Broughton Vol.1, pp. 184–185.
- ^ リウィウス、ペリオカエ,11
- ^ Broughton Vol.1, p. 188.
- ^ Broughton Vol.1, p. 191.
- ^ リウィウス、ペリオカエ,13
- ^ Broughton Vol.1, p. 196.
- ^ リウィウス、ペリオカエ,14
- ^ Broughton Vol.1, p. 198.
- ^ フロンティヌス『水道書』1.6
- ^ Broughton Vol.1, p. 199.
- ^ リウィウス、ペリオカエ,15
- ^ Broughton Vol.1, p. 202.
- ^ プルタルコス『コリオラヌス伝』1
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- ^ Broughton Vol.1, p. 212.
- ^ リウィウス、ペリオカエ,18
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- ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』,40.63
- ^ Broughton Vol.2, p. 248.
- ^ de Boor, pp. 29–30.
- ^ a b de Boor, p. 30.
- ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』,52.42
- ^ de Boor, pp. 30–31.
- ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』,54.2
- ^ de Boor, p. 31.
- ^ de Boor, pp. 32–33.
- ^ de Boor, p. 33.
参考文献
[編集]- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国以来の歴史』京都大学学術出版会。
- Livy, From the Founding of the City
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association
- Carl de Boor (1873). Fasti Censorii. Apud Weidmannos. OCLC 28619073
- L. R. Taylor (1960). The Voting Districts of the Roman Republic. The Thirty-five Urban and Rural Tribes. American Academy in Rome
- Jaakko Suolahti (1963). The Roman Censors. A Study on Social Structure. Finnish Academy of Science and Letters
- 砂田徹『共和政ローマの内乱とイタリア統合 退役兵植民への地方都市の対応』北海道大学出版会、2018年。ISBN 9784832968431。