ガイウス・フラミニウス

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ガイウス・フラミニウス・ネポス
Gaius Flaminius
(C. Flaminius C. f. L. nepos)
トラシメヌス湖畔の戦いでガリア人に首を穫られたフラミニウス』
Joseph-Noël Sylvestre 画 (1882年)
出生 不明
死没 紀元前217年
死没地 トラシメヌス湖
出身階級 プレブス
氏族 フラミニウス氏族
官職 護民官(紀元前232年)
プラエトル(紀元前227年)
執政官(紀元前223、217年)
マギステル・エクィトゥム(紀元前221年)
ケンソル(紀元前220年)
指揮した戦争 トラシメヌス湖畔の戦い(紀元前217年)
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ガイウス・フラミニウス・ネポスラテン語: Gaius Flaminius Nepos, 紀元前217年6月14日没)は、共和政ローマの政治家、軍人。先祖に有力者のいないノウス・ホモ(新人)の一員として台頭し、プレブス(平民)出身の者としてグラックス兄弟よりも1世紀近く前に、自らも元老院議員となって未だパトリキ(貴族)が力を持っていた元老院の権威に立ち向かった人物である。

生涯[編集]

護民官として[編集]

紀元前232年護民官に就任すると[注釈 1]第一次ポエニ戦争の後農地を失い都市部に流入していた貧民の救済に乗り出す。元老院の反対を押し切り、約半世紀前にデンタトゥスによってガリア人から獲得したピケナム周辺 (現リミニ南方) を対象とした土地分配法を制定し、戦争で土地を失った人々に分配した[1]。しかし、元々の住人であったガリア人の反発を受けることになる。

プラエトルシップ[編集]

紀元前227年にはプラエトルとしてシキリアに赴任した。これはローマのプラエトルがシキリアに赴任した初めての例となった[2][注釈 2]。同僚のプラエトルはサルディニアを担当している。

ガリア人諸部族の位置。Senoniの部分を分配した

紀元前225年になるとフラミニウスが土地を分配した事に憤慨したガリア・キサルピナボイイ族らが蜂起し、ガリア・トランサルピナから傭兵を引き込んで反乱を起こしたが、当時の執政官ルキウス・アエミリウス・パプスらがテラモンの戦いで打ち破った。

最初のコンスルシップ[編集]

紀元前223年執政官に就任すると、インスブレス族に勝利して凱旋式を挙行した[3]。一説によると元老院は彼の反抗的な態度に対し、凱旋式の差し止めや執政官職の解任まで要求したというが、市民の投票によって挙行が決定したという[4]

紀元前222年には執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスクラスティディウムの戦いでインスブレス族を破り、メディオラヌムなどを陥落させ[5]、徐々にガリア・キサルピナはローマの勢力圏となっていった。

紀元前221年ファビウス・マキシムス独裁官に就任すると、副官に任命された[6]

ケンソルシップ[編集]

フラミニウス競技場の位置

紀元前220年にはケンソルを勤め、ローマからリミニまでを結ぶフラミニウス街道や、カンプス・マルティウスフラミニウス競技場を築いた。この年のケンソルは多忙で、同僚のルキウス・アエミリウス・パプスと共に植民都市としてキサルピナにクレモナプラケンティアを建造、解放奴隷に投票権を与えて4つの区に振り分け、更には縮充工に関わる法案を通すなどした[7]

また元老院議員としては紀元前218年に当時の護民官クィントゥス・クラウディウスを支援して、元老院議員とその子息に300アンフォラ以上の大型船舶を所有することを禁止するクラウディウス法を通過させた[8]

しかしその年、ローマに激震が走る。ハンニバルのアルプス越えである。イタリア侵入後のハンニバルがローマに勝利するのを見たキサルピナのガリア人は、雪崩を打ってハンニバル陣営に加わった。

二度目のコンスルシップ[編集]

紀元前217年、再び執政官に選出される。トレビアの戦いでの敗北を受け、ローマは新たに4つの軍団を新設し、二人の執政官に預けた。フラミニウスはアレティウムからハンニバルを追跡したが、トラシメヌス湖で伏兵に会い戦死、部隊も全滅した(トラシメヌス湖畔の戦い[9]

相次ぐ敗戦にさすがのローマも万策尽き、元老院は持久戦を唱えるクィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官に任命する事となる。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Broughton, p.225.
  2. ^ Broughton, p.229.
  3. ^ 凱旋式のファスティ
  4. ^ Broughton, p.232.
  5. ^ Broughton, p.232-233.
  6. ^ Broughton, p.234.
  7. ^ Broughton, p.235-236.
  8. ^ Broughton, p.238.
  9. ^ Broughton, p.242.

注釈[編集]

  1. ^ キケロは誤ってファビウス・マキシムス二度目の執政官の年としている
  2. ^ 後の属州総督

参考文献[編集]

  • T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association. 

関連項目[編集]


公職
先代:
ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス
クィントゥス・フルウィウス・フラックス
ローマ執政官(コンスル)
紀元前223年
同僚
プブリウス・フリウス・ピルス
次代:
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス
マルクス・クラウディウス・マルケッルス
公職
先代:
プブリウス・コルネリウス・スキピオ
ティベリウス・センプロニウス・ロングス
ローマ執政官(コンスル)
紀元前217年
同僚
グナエウス・セルウィリウス・ゲミヌス
次代:
マルクス・アティリウス・レグルス (補充)、
グナエウス・セルウィリウス・ゲミヌス