グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス
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グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス Cn. Cornelius L. f. L. n. Scipio Calvus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 紀元前211年 |
死没地 | イロルカ |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | コルネリウス氏族 |
官職 |
執政官(紀元前222年) レガトゥス(紀元前218年) プロコンスル(紀元前217年-211年) |
指揮した戦争 |
キッサの戦い(紀元前218年) エブロ川河口の海戦(紀元前217年) デルトサの戦い(紀元前215年) バエティス川の戦い(紀元前211年、戦死) |
後継者 | プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ |
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス(ラテン語: Gnaeus Cornelius Scipio Calvus (Cn. Cornelius L.f. L.n. Scipio Calvus),? - 紀元前211年)は、第二次ポエニ戦争初期の共和政ローマの軍司令官、政治家。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ。子にプブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ、甥にスキピオ・アフリカヌス。
第二次ポエニ戦争の際、弟のプブリウス・コルネリウス・スキピオと共にヒスパニアのカルタゴ領を攻略、キッサでカルタゴの将軍ハンノを敗る。しかし紀元前211年のバエティス川の戦いで弟が敗れた後、ハンニバルの弟ハスドルバルとマゴ・バルカ、別のカルタゴの将軍ハスドルバル・ギスコが合流したため、撤退したものの追撃を受け戦死した。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 ガイウス・フラミニウス、 プブリウス・フリウス・ピルス |
執政官 同僚:マルクス・クラウディウス・マルケッルス I 紀元前222年 |
次代 プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ、 マルクス・ミヌキウス・ルフス |