紀元前265年

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紀元前265年(きげんぜん265ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスルキウス・マミリウス・ウィトゥルス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元489年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前265年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ギリシア[編集]

シチリア[編集]

中国[編集]

  • の穣侯魏冄が封地の陶に赴いた。
  • 秦の昭襄王の子の安国君が太子となった。
  • 秦がを攻撃し、3城を奪った。趙はに援軍を求めたが、斉は長安君を人質として求めた。趙が長安君を斉に送ったので、斉が援軍を差し向けると、秦軍は撤退した。
  • 斉の安平君田単が趙軍を率いてを攻撃し、中陽を奪った。さらにを攻撃して、注人を奪った。

科学[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]