マルクス・ファビウス・ブテオ

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マルクス・ファビウス・ブテオ
M. Fabius M.f. M.n. Buteo
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ファビウス氏族
官職 執政官(紀元前245年)
監察官(紀元前241年)
独裁官(紀元前216年)
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マルクス・ファビウス・ブテオMarcus Fabius Buteo, 生没年不詳、紀元前3世紀)は、共和政ローマ元老院議員。

出自[編集]

パトリキであるファビウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はマルクスである[1]。ブテオのコグノーメン(第三名、家族名)はラテン語で船に舞い降りてきた「鷹」の意味で、吉兆とされる[2]紀元前247年の執政官ヌメリウス・ファビウス・ブテオは兄弟である。

経歴[編集]

紀元前245年執政官(コンスルに就任、同僚執政官はガイウス・アティリウス・ブルブスであった。紀元前241年には監察官(ケンソル)を務める。同僚監察官はプレブス出身のガイウス・アウレリウス・コッタであった[3]センサス(人口調査)では、ローマの人口(市民権を有する成人男子のみ)は、260,000[4]または250,000[5]とされている。

第二次ポエニ戦争の際の最中、紀元前216年の後半期に独裁官を務めた。カンナエの戦いで元老院議員の3割が戦死し、この未曾有の混乱を収拾するために、カンナエの生き残りガイウス・テレンティウス・ウァッロと前任の独裁官マルクス・ユニウス・ペラによって任命された。彼の任期はカンナエで激減した元老院議員を補充するために新たな者を加えて登録することにあったという。そして元老院議員の名簿が完成するとすぐに辞職した。

脚注[編集]

  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ 大プリニウス博物誌』、X. 8. s. 10.
  3. ^ Broughton R., 1951, p. 219.
  4. ^ エウセビオス『年代記』、Arm. sub Ol.134.3
  5. ^ ヒエロニムス『年代記』、sub Ol.134.1

参考資料[編集]

関連項目[編集]

公職
先代:
マニウス・オタキリウス・クラッスス
マルクス・ファビウス・リキヌス
執政官
同僚:ガイウス・アティリウス・ブルブス I
紀元前245年
次代:
アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス
ガイウス・センプロニウス・ブラエスス II
先代:
アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス
アウルス・アティリウス・カラティヌス
紀元前247年
監察官
同僚:ガイウス・アウレリウス・コッタ
紀元前241年
次代:
ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス
クィントゥス・ルタティウス・ケルコ
紀元前236年