紀元前245年

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紀元前245年(きげんぜん245ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「マルクス・ファビウス・ブテオガイウス・アティリウス・ブルブス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元509年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前245年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

エジプト[編集]

ギリシア[編集]

中国[編集]

  • 麃公が兵を率いて巻を攻撃し、斬首3万人におよんだ。
  • 廉頗を仮の相国とし、を攻撃し、繁陽(現在の河北省内黄県)を奪った。趙の孝成王が死去し、子の悼襄王が即位すると、廉頗の代わりに武襄君楽乗を後任とした。廉頗は怒り、楽乗を攻撃して敗走させた。廉頗も魏の大梁に亡命した。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]