紀元前273年

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紀元前273年(きげんぜん273ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスガイウス・クラウディウス・カニナ共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元481年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前273年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

エジプト[編集]

インド[編集]

中国[編集]

  • の華陽を攻撃した。韓はに救援を求めたが、昭襄王は動こうとしなかった。韓は陳筮を派遣して穣侯魏冄を説得させると、秦は白起公孫胡昜を派遣して韓を救援し、魏軍を華陽の下で破り、魏の3将を捕らえた。白起はさらに趙将の賈偃と戦い、その兵2万人を黄河に沈めた(華陽の戦い)。魏は蘇代の反対にもかかわらず、段干子を派遣して南陽を秦に割譲することで講和した。
  • 秦の昭襄王は白起および韓と魏の軍にを攻撃させようと計画した。たまたま楚の黄歇が使者として秦に来ており、この計画を知ると、昭襄王に上書して説得した。昭襄王は攻撃を取りやめて楚と和親した。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]