襄王 (斉)

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襄王
王朝
在位期間 前284年 - 前265年
姓・諱 田法章
諡号 襄王
没年 紀元前265年
湣王

襄王(じょうおう、生年不詳 - 紀元前265年)は、中国戦国時代君主。名は法章。湣王の子。

紀元前284年、湣王が淖歯に殺害されると、法章は姓名を変えて莒県の太史敫の家の雇い人になった。太史敫の娘(君王后)は法章の顔を見て、普通の人ではないと思い、衣食の世話をして、男女の仲となった。淖歯が莒県を去ると、莒県の人と斉の亡臣たちは湣王の子を探し求め、法章を立てようとした。法章は殺されるのを恐れて躊躇していたが、意を決して「わたしは湣王の子である」と名乗り出た。このため莒県の人は法章を斉の王に擁立した。これが襄王であった。

紀元前279年田単が即墨でを撃破し、襄王を臨淄に迎え入れ、斉の旧領をすべて回復した。

紀元前270年に剛寿を攻撃された。紀元前265年、襄王は死去した。在位19年。

参考文献[編集]

  • 史記』田敬仲完世家