紀元前243年

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紀元前243年(きげんぜん243ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ガイウス・フンダニウス・フンドゥルスガイウス・スルピキウス・ガルス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元511年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前243年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

エジプト[編集]

  • プトレマイオス3世は、エジプト内で起こった反乱のため、シリアから撤退した。その結果、セレウコス2世は自身の王国の支配権を回復し、エジプト軍はメソポタミア及びシリア北部から追放された。
  • プトレマイオス3世は、セレウコス朝の領土からの帰途、大量の宝物、カンビュセス2世によってエジプトからペルシアに持ち込まれたエジプトの神像を含む美術品等を持ち帰った。彼はエジプトの寺院に像を設置し直し、Euergetes ("Benefactor")というタイトルを付けた。

ギリシア[編集]

中国[編集]

  • 蒙驁の畼と有詭を攻め落とした。
  • 秦とで人質を交換し、趙の太子が帰国した。
  • 秦で蝗害疫病が発生した。粟1000石を納めた人民に、爵1級を与えた。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]