紀元前299年

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紀元前299年(きげんぜん299ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「マルクス・フルウィウス・パエティヌスティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元455年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前299年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

共和政ローマ[編集]

中国[編集]

  • 武霊王が退位し、子の恵文王に王位を譲った。武霊王は主父を称して、実権を握り続けた。
  • 湣王襄王で会合した。
  • を攻撃し、8城を奪った。秦は和平の条件として楚の懐王武関で会合することを求めた。懐王が行こうとしたので、屈原は身を挺して反対した。しかし懐王は武関に赴き、秦に抑留された。斉は楚の太子横を帰国させ、太子は即位して頃襄王となった。
  • 斉の孟嘗君が秦に入ると、秦の昭襄王は孟嘗君を丞相とした。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]