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ファンタスティック・アドベンチャーズ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファンタスティック・アドベンチャーズ
『ファンタスティック・アドベンチャーズ』
創刊号。(1939年5月号)
編集者 レイモンド・A・パーマー
ハワード・ブラウン
カテゴリ ファンタジー
サイエンス・フィクション
創刊年 1939
最終号 1953
アメリカ合衆国
拠点 シカゴ
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ファンタスティック・アドベンチャーズFantastic Adventures)』とは、アメリカ合衆国で1939年から1953年にかけてジフ・デイビス社が発行していたファンタジーSF分野の小説を取り扱う大衆雑誌である。同社が先行して刊行していた『アメージング・ストーリーズ』の姉妹誌にあたる。軽快で風変わりな作品を取り揃えて評判となったが、質の高い小説を継続して提供することが出来なかったと主張するサイエンス・フィクションの歴史家も存在する。一部作家が実名とペンネームを使い分けることで、少人数の作家グループによって作品が提供されていた。1940年末に廃刊の危機に陥ったが、1940年10月号でジェームズ・アレン・セント=ジョンがイラストを手掛けたロバート・ムーア・ウイリアムズの『失われた国のジョンガー』が表紙を飾ったことで持ち直した。

『アメージング・ストーリーズ』を担当していたレイモンド・A・パーマーが創刊から編集していたが、1949年にパーマーがジフ・デイビス社を退職すると、ファンタジー小説に造詣が深いハワード・ブラウンが後任となった。編集長の交代によって『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の小説の質は向上し、1951年前後が同誌の全盛期だったと言われている。しかしながら、『アメージング・ストーリーズ』を高級誌へと転向させることに失敗したことが契機となり、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の売り上げも低迷した。1952年にジフ・デイビス社『ファンタスティック英語版』を創刊し、一定の成功を収めるようになったこともあり、1953年3月号をもって『ファンタスティック・アドベンチャーズ』は廃刊となった。

歴史

[編集]

サイエンス・フィクションを取り扱った雑誌は1920年代以前より出版されていたが、1926年にヒューゴー・ガーンズバックが専門誌として『アメージング・ストーリーズ』を創刊するまでは、独立したジャンルとして地位を確保するには至っておらず、1930年代の終わりにこの分野は最初のブームを迎えることになる[1]。ガーンズバックが経営していたエクスペリメンター出版が1929年に破産すると、『アメージング・ストーリーズ』はテック・パブリケーションズ社に売却され、1938年にはジフ・デイビス社の手に渡った[2][3]。その翌年にジフ・デイビス社は『アメージング・ストーリーズ』の姉妹雑誌として『ファンタスティック・アドベンチャーズ』を創刊した[4]。創刊号は1939年5月号で、『アメージング・ストーリーズ』の編集を担当していたレイモンド・A・パーマーが編集者を兼任した[4]

最終刊行となる予定だったジェームズ・アレン・セント=ジョンによる雑誌表紙(1940年10月号)。

『ファンタスティック・アドベンチャーズ』は創刊当初、他のSF雑誌と同じラージ・パルプ判英語版で刊行されたが[注釈 1][6][7]、これは旧来のサイズを懐古するSFファンを引き付けるためであろうと考えられている[8]。刊行当初は隔月発行だったが、1940年1月より月刊誌となるも『アメージング・ストーリーズ』ほどの売り上げが上げられず、同年6月号から再び隔月刊に戻り、雑誌のサイズも標準的なパルプ判となった[4][8]。しかし、低迷する売り上げが回復することはなく、ジフ・デイビス社は同年の10月号を以て廃刊とする計画を立てていたが、1940年10月号に掲載されたロバート・ムーア・ウイリアムズの『失われた国のジョンガー』、および表紙を手掛けたジェームズ・アレン・セント=ジョンのイラストがこの危機を救うこととなった[4][8][9]。 この号は人気を博し、前号の2倍の売り上げを記録したことで話題性を察知したジフ・デイビス社は廃刊計画を中止し、1941年1月号より再び『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の刊行を行い、同年5月より再度月刊へと切り替えた[4][8]

1950年にハワード・ブラウンが『アメージング・ストーリーズ』と『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の編集長に就任した[10][11]。ブラウンはサイエンス・フィクションよりもファンタジーの分野に注力し、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』もその傾向が見て取れるようになるが、朝鮮戦争の影響によって『アメージング・ストーリーズ』の高級化路線への変更が頓挫すると、しばらくの間両誌への関心を失った[10][11]。その間ウィリアム・ハムリング英語版が編集を代行したが、雑誌の品質は低下した[7][10]。1950年、ジフ・デイビス社が本社機能をシカゴからニューヨークへ移すと、シカゴに残ったハムリングに代わって再びブラウンが指揮するようになった[7][10]。SF作家であるブライアン・ステイブルフォードマイク・アシュリー英語版らは、ブラウンが編集に携わるようになって雑誌の品質は確実に向上したと述べている[7][10]。1952年夏に入るとブラウンはファンタジー色をより強めたダイジェスト・サイズ英語版の『ファンタスティック英語版』を創刊した[11]。『ファンタスティック』はすぐに人気を獲得し、『アメージング・ストーリーズ』もパルプ判からダイジェスト判へとサイズが変更された[11]。『ファンタスティック』の成功により『ファンタスティック・アドベンチャーズ』を継続刊行させる意義がなくなりつつあったこともあり、1953年3月号を以て『ファンタスティック・アドベンチャーズ』は廃刊となり、『ファンタスティック』へと統合された[11]。『ファンタスティック』の5月号から6月号にかけては発行人欄英語版に『ファンタスティック・アドベンチャーズ』への言及があったが、これも次号で無くなった[11]

内容

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H・W・マッコーリィ英語版による1941年1月号の表紙。「マックガール」はこれまでのアクションシーンを切り取ったイラストに取って代わって1940年代後半から頻繁に登場するようになった。

パーマー時代

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パーマーは『ファンタスティック・アドベンチャーズ』について、パルプ雑誌特有の猥雑で煽情的な魅力を維持したまま、中身の小説はスリック・マガジン英語版の『サタデー・イブニング・ポスト』のような高い品質を持つものを目指した[12][4]

当時のファン層からはファンタジー小説とSF小説を混在させることは好まれていなかった[4]。また、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の表紙には「The Best in Science Fiction」と謳われていたが、パーマーは意図してこれらのジャンルを混合させ、両方の長所を兼ね備えていると喧伝した[4]。競合誌として1939年3月に創刊されたばかりの『アンノウン』や、1923年に創刊された『ウィアード・テイルズ』があったが、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』はこれらの模倣を良しとせず、エドガー・ライス・バローズの冒険活劇を全面に推し出し、雑誌の核に据えた[12]。これは、『アメージング・ストーリーズ』に寄稿された多くのファンタジージャンルの作品を順次『ファンタスティック・アドベンチャーズ』に発表する準備を整えていたものと考えられている[4]。創刊号の表紙はイアンド・ビンダー英語版による『The Invisible Robinhood』で、ハール・ヴィンセント英語版ロス・ロックリン英語版A・ハイアット・ヴェリル英語版らの作品が掲載された[13]。アシュリーはこれらの作品について、創刊号としては「二級品」であったと分析している[12]。小説の他にはクイズや著者のプロフィール、読者が書かれたヒントを元に謎を解くタイプの『科学探偵レイ・ホームズ』と題した漫画が掲載されていた[8][12]。しかしながらこの漫画を用いた試みは失敗と見なされており、次号から姿を消している[14]。裏表紙にはフランク・R・パウルによる『火星から来た男英語版』のイラストと解説記事が掲載され、裏表紙イラストは同誌の定番となった[8][14]

次号にはエドガー・ライス・バローズによる『科学者たちの反乱』が掲載された[14]。この作品はもともと、現代ヨーロッパを舞台とした宮廷の陰謀について書かれたものだったが、パーマーの手によって未来を舞台とした作品へと書き直された[8]。『科学者たちの反乱』はバローズの売れ残りの小説であり、稚拙な内容であったが、客寄せとして用いられたとアシュリーは分析している[14]。メインとなる作品には恵まれなかったが、ネルスン・S・ボンドの『モンスターはどこから』や、ソーントン・エア名義で発表したジョン・ラッセル・ファーン英語版の作品『黄金のアマゾン』が好評で、創刊号よりも売り上げを伸ばした[8]。バローズは1941年3月号より金星シリーズの連続短編を寄稿し、ジェームズ・アレン・セント=ジョンがその全4回の表紙を手掛けた[8]。これらの相乗効果は大きな話題を呼び発行部数は大幅に伸長した[15]

1950年10月号の表紙を飾ったL・ロン・ハバードMasters of Sleep』。イラストはロバート・ギブソン・ジョーンズ

『ファンタスティック・アドベンチャーズ』にはしばしば、ペンネームで作品が掲載されており、実際の作家陣は少人数グループであった[8][16]。このグループに所属していた主要なメンバーとしてウィリアム・P・マッギヴァーン英語版デヴィッド・ライト・オブライエン英語版ドン・ウィルコックスチェスター・S・ガイア―ロッグ・フィリップス英語版ロイ・イェルザロバート・ムーア・ウイリアムズロバート・ブロックバークレー・リビングストンらがいる[8][16]。パーマーはこうした少人数グループの作品以外にも、オーガスト・ダーレスなどから小説を購入するなど、掲載作品を集めることに奔走した[8]。1947年に掲載されたレイ・ブラッドベリの『Tomorrow and Tomorrow』もこうして集められた作品のひとつである[8]。アシュリーはこの作品について、1940年代『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の中でも最高の小説のひとつと評価している[8]。そのほか、ネルスン・S・ボンドは『ファンタスティック・アドベンチャーズ』初期を支えた作家のひとりであり、1939年9月号に掲載された『ウィルバーフォース・ウィームズの驚くべき発明』[注釈 2]や1940年4月号に掲載された『巫女の裁き』[注釈 3]などで人気を博した[4]。パーマーはお抱えの作家に一風変わった突飛なアイデアを捻りだすよう注文しており、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』が面白いファンタジー作品に出合えるという評価に一役買っていた[4]。こうして紡がれた作品には風変わりなタイトルが付けられており、マッギヴァーンの『モティマー・ミークの偉ぶった心』『カンタス・カッグルの苦境』『ネジのゆるいロボット、シドニー』『ローバーブのすてきなラジオ』やブロックの『フロイド・スクリルックの恐ろしい運命』などはその最たる例と言える[15]。その他『失われた国のジョンガー』で名声を得たロバート・ムーア・ウイリアムズは、1944年に『The Return of Jongor』を、1951年に『Jongor Fights Back』という続編を寄稿している[8]

パーマーは『ファンタスティック・アドベンチャーズ』や『アメージング・ストーリーズ』を面白くすることに注力するあまり、ペンネームを使用している作家に本物の写真をつけてみたり、1970年生まれのタイムトラベラーを自称する科学者からのでっちあげの手紙を掲載したりするようになった[17]。中でもリチャード・S・シェイヴァーとともに姉妹誌の『アメージング・ストーリーズ』で手掛けた『シェイヴァー・ミステリー』と呼ばれるシリーズは絶大な反響を呼び、その真偽を巡って大きな論争を巻き起こした[8][18][19]。発行部数が大幅に増加したことで『アメージング・ストーリーズ』『ファンタスティック・アドベンチャーズ』がともに月刊誌へと返り咲くきっかけとなった[20]

編集担当がハワード・ブラウンへ変更となった1950年1月号表紙。

ブラウン時代

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ブラウンが就任した1950年代初頭は、編集のほとんどをウィリアム・ハムリングが担当していた[7][8]。ブラウンが完全に編集を指揮を執るのはパーマーとハムリングがジフ・デイビス社を去った後になるが、就任して以降は小説の質が著しく向上し、最初の1~2年は『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の全盛期であったとされている[7][8]。1950年2月にシオドア・スタージョンが『夢みる宝石英語版』を発表したほか、レスター・デル・レイウィリアム・テン英語版ウォルター・M・ミラー・ジュニアらが注目すべき足跡を残した[7]。また、1950年4月にはマック・レイナルズ英語版のデビュー作『われらが団結』[注釈 4]が掲載された[21]。その後のレイナルズは『アスタウンディング』に作品の多くを発表していたが、『われらが団結』には彼の特徴である過激な政治的テーマの欠片が見て取れる[21]。また、後に南北戦争をモチーフとしたシリーズ作品でベストセラー作家となるジョン・ジェイクスもこの年に『夢見る樹』を寄稿し、小説家としてのデビューを果たした[22]

この時代の『ファンタスティック・アドベンチャーズ』について、サイエンス・フィクションの歴史家でもあるブライアン・ステイブルフォードは、全体的な質は低かったものの「『ファンタスティック・アドベンチャーズ』に寄稿することを許された一部の作家」は、独創的で、気まぐれで、皮肉に富んだ読み応えのある小説を発表していた、と評している[7]。コメンテーターのジョン・クルート英語版は、雑誌としての一貫性に欠けるところはあるものの、素晴らしい作品がいくつかあると評し、シオドア・スタージョンの『Largo』やレイモンド・F・ジョーンズの『The Children's Room』などを挙げた[23]

イラストについて

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『ファンタスティック・アドベンチャーズ』のイラストについてアシュリーは「最もイラストが描かれた雑誌のひとつ」としており、主要なイラストレーターとしてヴァージル・フィンレイヘンリー・シャープロッド・ルースマルコム・スミス英語版らを擁していた[8]。パーマーは『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の表紙イラストについては世間の注目を集め、売り上げに貢献していたとの考えを示しており、刊行初年度は男性ヒーローのアクションシーンを切り抜いたものが多くを占めていたが、1940年8月号においてH・W・マッコーリィ英語版が煌びやかなドレスを着たグラマラスな女性を登場させた[8]。以降、似たような女性を登場させる表紙が頻繁に続き、読者や編集者は彼女らを「マックガール」と呼称した[8]。SF史家のポール・カーターは、表紙イラストがアクションシーンから魅力的な女性へと変化したことについて、戦争との因果関係を指摘している[24]。イギリスの作家であり評論家でもあるブライアン・オールディスは、1949年3月号の『ファンタスティック・アドベンチャーズ』表紙に男性器を想起させる潜水艦が描かれていることを指摘した[25][26]。読者からの手紙を紹介するコーナーでは、こうした性的暗喩表現や、魅力的な美女が表紙を飾ることについて、批判的に異論を唱える者も少なからず存在していた[8]

順位 イラストレーター 掲載回数
5回以上表紙を担当したイラストレーター
1 ロバート・ギブソン・ジョーンズ 46回
2 H・W・マッコーリィ英語版 18回
3 ジェームズ・アレン・セント=ジョン 11回
4 ジョセフ・W・ティロットソン英語版 7回
5 アーノルド・コーン英語版 9回
6 ウォルター・ポップ 5回
6 マルコム・スミス英語版 5回
1942年8月号表紙。ロバート・ギブソン・ジョーンズは1942年以降、多くの表紙イラストを担当した。

表紙イラストは固定の作家が持ち回りで担当する傾向にあり、中でもロバート・ギブソン・ジョーンズは、全129号のうち、1/3を超える46号分の表紙イラストを担当した。各号の表紙を手掛けたイラストレーターは以下の通りである。

項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1939年の表紙イラストレーター一覧
1
1939年5月
ジョセフ・W・ティロットソン英語版
(Robert Fuqua名義)
[27]
2
1939年7月
レオ・モーリー
(Leo Morey)
[27]
3
1939年9月
H・W・マッコーリィ英語版 [27]
4
1939年11月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
[27]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1940年の表紙イラストレーター一覧
1
1940年1月
H・W・マッコーリィ [28]
2
1940年2月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
[28]
3
1940年3月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
[28]
4
1940年4月
フランク・R・パウル [28]
5
1940年5月
ストックトン・マルフォード
(Stockton Mulford)
[28]
6
1940年6月
ストックトン・マルフォード [28]
7
1940年8月
H・W・マッコーリィ [28]
8
1940年10月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [28]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1941年の表紙イラストレーター一覧
1
1941年1月
H・W・マッコーリィ [29]
2
1941年3月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [29]
3
1941年5月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
[29]
4
1941年6月
H・W・マッコーリィ [29]
5
1941年7月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン
H・W・マッコーリィ
[29]
6
1941年8月
ロッド・ルース
(Rod Ruth)
[29]
7
1941年9月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
[29]
8
1941年10月
H・W・マッコーリィ [29]
9
1941年11月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [29]
10
1941年12月
ロッド・ルース [29]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1942年の表紙イラストレーター一覧
1
1942年1月
H・W・マッコーリィ [30]
2
1942年2月
ジョセフ・W・ティロットソン
(Robert Fuqua名義)
H・W・マッコーリィ
[30]
3
1942年3月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [30]
4
1942年4月
マルコム・スミス英語版 [30]
5
1942年5月
マルコム・スミス [30]
6
1942年6月
マルコム・スミス [30]
7
1942年7月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [30]
8
1942年8月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ
(Robert Gibson Jones)
[30]
9
1942年9月
H・W・マッコーリィ [30]
10
1942年10月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [30]
11
1942年11月
H・W・マッコーリィ [30]
12
1942年12月
H・W・マッコーリィ [30]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1943年の表紙イラストレーター一覧
1
1943年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
2
1943年2月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
3
1943年3月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
4
1943年4月
マルコム・スミス [31]
5
1943年5月
H・W・マッコーリィ [31]
6
1943年6月
H・W・マッコーリィ [31]
7
1943年7月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
8
1943年8月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
9
1943年10月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
10
1943年12月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [31]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1944年の表紙イラストレーター一覧
1
1944年2月
ロッド・ルース [32]
2
1944年4月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [32]
3
1944年6月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [32]
4
1944年10月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [32]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1945年の表紙イラストレーター一覧
1
1945年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [33]
2
1945年4月
R・E・エパリー
(R.E.Epperley)
[33]
3
1945年7月
アーノルド・コーン英語版 [33]
4
1945年10月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [33]
5
1945年12月
ポール・リーマン
(Paul Lehman)
[33]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1946年の表紙イラストレーター一覧
1
1946年2月
ウォルター・パーク
(Walter Parke)
[34]6
2
1946年5月
H・W・マッコーリィ [34]
3
1946年7月
アーノルド・コーン [34]
4
1946年9月
アーノルド・コーン [34]
5
1946年11月
ジェームズ・アレン・セント=ジョン [34]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1947年の表紙イラストレーター一覧
1
1947年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
2
1947年3月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
3
1947年5月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
4
1947年7月
H・W・マッコーリィ [35]
5
1947年9月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
6
1947年10月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
7
1947年11月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
8
1947年12月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [35]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1948年の表紙イラストレーター一覧
1
1948年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
2
1948年2月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
3
1948年3月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
4
1948年4月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
5
1948年5月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ
ジェームズ・B・セトルズ
(James B.Settles)
[36]
6
1948年6月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
7
1948年7月
ラモン・ネイラー
(Ramon Naylor)
[36]
8
1948年8月
ウォルター・ハスケル・ヒントン英語版 [36]
9
1948年9月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
10
1948年10月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [36]
11
1948年11月
アーノルド・コーン [36]
12
1948年12月
マルコム・スミス [36]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1949年の表紙イラストレーター一覧
1
1949年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [37]
2
1949年2月
アーノルド・コーン [37]
3
1949年3月
アーノルド・コーン [37]
4
1949年4月
エドモンド・シフィオンテク
(Edmond Swiatek)
[37]
5
1949年5月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [37]
6
1949年6月
ジェームズ・B・セトルズ [37]
7
1949年7月
ジェームズ・B・セトルズ [37]
8
1949年8月
アーノルド・コーン [37]
9
1949年9月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [37]
10
1949年10月
エドモンド・シフィオンテク [37]
11
1949年11月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [37]
12
1949年12月
エドモンド・シフィオンテク [37]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1950年の表紙イラストレーター一覧
1
1950年1月
ラモン・ネイラー [38]
2
1950年2月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
3
1950年3月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
4
1950年4月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
5
1950年5月
H・J・ブルーメンフェルト
(H.J.Blumenfeld)
[38]
6
1950年6月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
7
1950年7月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
8
1950年8月
H・W・マッコーリィ [38]
9
1950年9月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
10
1950年10月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
11
1950年11月
アーノルド・コーン [38]
12
1950年12月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [38]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1951年の表紙イラストレーター一覧
1
1951年1月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
2
1951年2月
アーノルド・コーン [39]
3
1951年3月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
4
1951年4月
H・W・マッコーリィ [39]
5
1951年5月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
6
1951年6月
ウォルター・ハスケル・ヒントン [39]
7
1951年7月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
8
1951年8月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
9
1951年9月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
10
1951年10月
ジョー・ティロットソン
(Joe Tillotson)
[39]
11
1951年11月
エド・ヴァリガースキー英語版 [39]
12
1951年12月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [39]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1952年の表紙イラストレーター一覧
1
1952年1月
エド・ヴァリガースキー [40]
2
1952年2月
レオ・ラモン・サマーズ
(Leo Ramon Summers)
[40]
3
1952年3月
レオ・ラモン・サマーズ
エド・ヴァリガースキー
[40]
4
1952年4月
レオ・ラモン・サマーズ [40]
5
1952年5月
レオ・ラモン・サマーズ [40]
6
1952年6月
ウォルター・ポップ
(Walter Popp)
[40]
7
1952年7月
ウォルター・ポップ [40]
8
1952年8月
ウォルター・ポップ [40]
9
1952年9月
ウォルター・ポップ [40]
10
1952年10月
ウォルター・ポップ [40]
11
1952年11月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [40]
12
1952年12月
ロバート・ギブソン・ジョーンズ [40]
項番 発行年月 イラストレーター名 備考
1953年の表紙イラストレーター一覧
1
1953年1月
フランク・ノヴァロ
(Frank Novarro)
[41]
2
1953年2月
ウィリアム・スレード
(William Slade)
[41]
3
1953年3月
フランク・ノヴァロ [41]

書誌情報

[編集]
発行人情報
開始 終了 編集主任
(Editor-in-Chief)
編集長
(Managing Editor)
発刊数
1939年5月 1947年1月 B・G・デイヴィス英語版 レイモンド・A・パーマー 59
1947年3月 1947年10月 レイモンド・A・パーマー ハワード・ブラウン 5
1947年5月 1949年12月 ウィリアム・ハムリング 26
1950年1月 1951年2月 ハワード・ブラウン 14
1951年3月 1953年3月 ライラ・シェイファー 25
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
年別刊行状況[42]
1939 1/1 1/2 1/3 1/4
1940 2/1 2/2 2/3 2/4 2/5 2/6 2/7 2/8
1941 3/1 3/2 3/3 3/4 3/5 3/6 3/7 3/8 3/9 3/10
1942 4/1 4/2 4/3 4/4 4/5 4/6 4/7 4/8 4/9 4/10 4/11 4/12
1943 5/1 5/2 5/3 5/4 5/5 5/6 5/7 5/8 5/9 5/10
1944 6/1 6/2 6/3 6/4
1945 7/1 7/2 7/3 7/4 7/5
1946 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5
1947 9/1 9/2 9/3 9/4 9/5 9/6 9/7 9/8
1948 10/1 10/2 10/3 10/4 10/5 10/6 10/7 10/8 10/9 10/10 10/11 10/12
1949 11/1 11/2 11/3 11/4 11/5 11/6 11/7 11/8 11/9 11/10 11/11 11/12
1950 12/1 12/2 12/3 12/4 12/5 12/6 12/7 12/8 12/9 12/10 12/11 12/12
1951 13/1 13/2 13/3 13/4 13/5 13/6 13/7 13/8 13/9 13/10 13/11 13/12
1952 14/1 14/2 14/3 14/4 14/5 14/6 14/7 14/8 14/9 14/10 14/11 14/12
1953 15/1 15/2 15/3
凡例:水色部分はレイモンド・A・パーマーが編集長、黄色部分はハワード・ブラウンが編集長。
左側の数字は通年。右側の数字はその年の発刊号数。

編集者

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各期間の編集責任者は以下の通りである[43]

編集長は編集主任よりも上位のポジションにあたるが、編集責任が必ずしも発行人欄に記載される編集長にあったわけではなく、編集主任が責任者であった場合もある[8]

刊行頻度

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『ファンタスティック・アドベンチャーズ』は隔月刊として開始し、1940年1月より半年間と1941年5月から1943年8月までの期間は月刊へと移行して再び隔月刊へと戻った[8]。その後しばらく隔月または3か月に1度の間隔での発行が続いたが、1947年9月より再び月刊誌となり、以降は廃刊まで月刊誌として刊行された[8]。このため、各年を通しての刊行数はまちまちであり、右表の通り創刊から廃刊まで合計129号が刊行された[8]

値段と頁数

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創刊時の『ファンタスティック・アドベンチャーズ』はラージ・パルプ判英語版の96ページで発売されていたが、1940年6月よりパルプ判にサイズが縮小され、ページ数は144ページに増加した[8]。価格は創刊時は20セントで、1942年4月号より25セントになり、ページ数が240ページに増加した[8]。その後価格の変動は無かったがページ数は減少し、1943年6月から1945年7月までは208ページ、1945年10月からは176ページ、1948年7月からは160ページ、同年9月からは156ページ、1949年6月からは144ページとなった[8]。1949年9月から1950年8月までは160ページに一時的に増えたが、1950年9月号は148ページ、以降は廃刊まで130ページとなっていた[8]

Number 英国版発行年月 対応するアメリカ版
英国版の刊行履歴
1 (未採番) 1950年6月 1950年3月
2 (未採番) 1950年8月 1950年4月
3 1950年10月 1950年5月
4 1950年12月 1950年9月
5 1951年1月 1950年10月
6 1951年3月 1950年8月
7 1951年4月 1951年2月
8 1951年11月 1951年1月
9 1952年2月 1950年2月
10 1952年3月 1950年11月
11 1952年4月 1950年12月
12 1952年7月 1951年3月
13 1952年9月 1951年4月
14 1952年10月 1951年5月
15 1952年11月 1951年8月
16 1953年1月 1951年6月
17 1953年2月 1951年9月
18 1953年4月 1951年10月
19 1953年6月 1952年4月
20 1953年7月 1952年6月
21 1953年8月 1950年7月
22 1953年9月 1953年1月
23 1953年10月 1951年12月
24 1954年2月 1952年12月

アメリカ国外での出版について

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『ファンタスティック・アドベンチャーズ』はイギリスで1950年から1954年までの間に計24号が再販された[6][8]。内容としてはアメリカ版の抜粋とも呼ぶべきもの[注釈 5]で、最初の2号はナンバリングされておらず、パルプ判32ページの雑誌としてジフ・デイビス社のロンドン支社によって発行された[6][8]。以降はレスターソープ・アンド・ポーター社英語版より出版された[6][8]。刊行当初ページ数は160ページだったが、ページ数は徐々に減少し、最終的には96ページとなった[6][8]。イギリスでの刊行時期と対応するアメリカ版の発行日は右表の通りである[6][8]

日本においては誠文堂新光社が1950年4月から7月にかけて『アメージング・ストーリーズ』と『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の掲載作を翻訳し、サイエンスフィクションのアンソロジー叢書『怪奇小説叢書アメージング・ストーリーズ①~⑦』[44]として7巻を刊行した[45]。これはアジアで最初のSF雑誌であり、非英語圏で『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の作品が刊行された当時唯一の事例となっている[46]

季刊号

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1941年以降、売れ残った『ファンタスティック・アドベンチャーズ』は3号分が新しい表紙で再編され、『季刊ファンタスティック・アドベンチャーズ』として販売された[6][8]。季刊号は1941年冬号から1943年秋号まで計8回刊行され、価格は25セントだった[6][8]。1948年にも再び同様のシリーズが刊行され、1948年夏号から1951年春号まで計11回刊行[注釈 6]された[6][8]

再販権

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1965年、ソル・コーエン社英語版はジフ・デイビス社より『アメージング・ストーリーズ』と『ファンタスティック』の2誌を買収し、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』を含むジフ・デイビス社のSF雑誌に掲載された全ての作品の再販権を獲得した[47]。ソル・コーエン社は複数の再販タイトルを発行し、『ファンタスティック・アドベンチャーズ』の作品も頻繁に再販された[48]。特に『Fantastic Adventures Yearbook』、『Thrilling Science Fiction』、『Science Fiction Adventures』、『Science Fantasy』、『The Strangest Stories Every Told』、『Weird Mystery』などのタイトルは、内容がほとんどあるいは全て『ファンタスティック・アドベンチャーズ』と同じになっている[48]

関連項目

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脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ベッドシーツサイズとも呼ばれるラージ・パルプ判の大きさはおよそ 8.5 by 11.75インチ (216 mm × 298 mm)[5]
  2. ^ どんな本からでも知識を即座に吸収できる薬を開発した男を主人公とした短編小説[14]
  3. ^ 文明が崩壊した未来で活躍する女性祭司を主人公とした人気のシリーズ第2作で、第1作の『巫女の反逆』は『アメージング・ストーリーズ』に、第3作の『魔法の街』は『アスタウンディング』にそれぞれ掲載された[14]
  4. ^ 核戦争によって地球を放棄した地球人と親切な異星人の出会いの物語が綴られている作品[21]
  5. ^ 3号以降は基本的には同じものが掲載されたが、13号以降は少なくとも1作品が削られた[6][8]
  6. ^ 1949年春号は刊行されなかった[6][8]

出典

[編集]
  1. ^ Clute 1993, pp. 1066–1068.
  2. ^ Ashley 2000, p. 76.
  3. ^ Ashley 2000, p. 115.
  4. ^ a b c d e f g h i j k Ashley 2000, pp. 142–146.
  5. ^ Clute 1993, p. 102.
  6. ^ a b c d e f g h i j k Tuck 1982, pp. 558–559.
  7. ^ a b c d e f g h Clute 1993, p. 404.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an Tymn 1985, pp. 232–240.
  9. ^ Mike Chomko (2014年5月30日). “Ray Palmer’s Fantastic Adventure”. PULPFEST. 2023年8月17日閲覧。
  10. ^ a b c d e Ashley 2005, p. 7.
  11. ^ a b c d e f Ashley 2005, pp. 48–50.
  12. ^ a b c d アシュリー 2004, p. 177.
  13. ^ Magazine:Fantastic Adventures — ISFDB”. isfdb.org. Al von Ruff. 12 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。28 January 2011閲覧。 An index to the British reprints is at Visco navigation”. Terry Gibbons. 24 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。28 January 2011閲覧。
  14. ^ a b c d e f アシュリー 2004, p. 178.
  15. ^ a b アシュリー 2004, p. 180.
  16. ^ a b de Camp 1953, p. 120.
  17. ^ アシュリー 2004, p. 221.
  18. ^ Ashley 2000, pp. 178.
  19. ^ Ashley 2000, pp. 183.
  20. ^ Ashley 1976, p. 24.
  21. ^ a b c Ashley 2005, p. 6.
  22. ^ アシュリー 2004, p. 278.
  23. ^ Clute 1995, p. 101.
  24. ^ Carter 1977, p. 183.
  25. ^ Aldiss 1986, p. 222.
  26. ^ Aldiss 1986, pp. 463–464.
  27. ^ a b c d Fantastic Adventures - 1939”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h Fantastic Adventures - 1940”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  29. ^ a b c d e f g h i j Fantastic Adventures - 1941”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  30. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1942”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  31. ^ a b c d e f g h i j Fantastic Adventures - 1943”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  32. ^ a b c d Fantastic Adventures - 1944”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  33. ^ a b c d e Fantastic Adventures - 1945”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  34. ^ a b c d e Fantastic Adventures - 1946”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  35. ^ a b c d e f g h Fantastic Adventures - 1947”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  36. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1948”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  37. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1949”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  38. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1950”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  39. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1951”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  40. ^ a b c d e f g h i j k l Fantastic Adventures - 1952”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  41. ^ a b c Fantastic Adventures - 1953”. ISFDB. 2023年8月27日閲覧。
  42. ^ There are other series with the same name: Fantastic Adventures (TSR)”. ISFDB. 2023年8月17日閲覧。
  43. ^ ファンタスティック・アドベンチャーズのシリーズ作品 - Internet Speculative Fiction Database
  44. ^ アシュリー 2004, p. 287.
  45. ^ アシュリー 2004, p. 267.
  46. ^ アシュリー 2004, p. 266.
  47. ^ Ashley 2005, p. 228.
  48. ^ a b Tymn 1985, pp. 232–241.

参考文献

[編集]
  • マイク・アシュリー 著、牧眞司 訳『SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴』東京創元社、2004年。ISBN 4-488-01517-4 
  • Aldiss, Brian; Wingrove, David (1986). Trillion Year Spree:The History of Science Fiction. London: Gollancz. ISBN 0-575-03943-4 
  • Ashley, Michael (1976). The History of the Science Fiction Magazine Vol. 3 1946–1955. Chicago: Contemporary Books, Inc. ISBN 0-8092-7842-1 
  • Ashley, Mike (2000). The Time Machines:The Story of the Science-Fiction Pulp Magazines from the beginning to 1950. Liverpool: Liverpool University Press. ISBN 0-85323-865-0 
  • Ashley, Mike (2005). Transformations: The Story of the Science Fiction Magazines from 1950 to 1970. Liverpool: Liverpool University Press. ISBN 0-85323-779-4. https://archive.org/details/transformationsv0000ashl 
  • Carter, Paul A. (1977). The Creation of Tomorrow: Fifty Years of Magazine Science Fiction. New York: Columbia University Press. ISBN 0-231-04211-6. https://archive.org/details/creationoftomorr0000cart_k2z1 
  • Clute, John (1995). Science Fiction: The Illustrated Encyclopedia. New York: Dorling Kindersley. ISBN 0-7894-0185-1 
  • Clute, John; Nicholls, Peter (1993). The Encyclopedia of Science Fiction. New York: St. Martin's Press, Inc. ISBN 0-312-09618-6. https://archive.org/details/encyclopediaofsc00ies1 
  • de Camp, L. Sprague (1953). Science-Fiction Handbook: The Writing of Imaginative Fiction. New York: Hermitage House 
  • Tuck, Donald H. (1982). The Encyclopedia of Science Fiction and Fantasy: Volume 3. Chicago: Advent: Publishers, Inc. ISBN 0-911682-26-0 
  • Tymn, Marshall B.; Ashley, Mike (1985). Science Fiction, Fantasy and Weird Fiction Magazines. Westport CT: Greenwood Press. ISBN 0-313-21221-X 

外部リンク

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