ヒューゴー・ガーンズバック

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ヒューゴー・ガーンズバック
生誕 Hugo Gernsbacher
(1884-08-16) 1884年8月16日
ルクセンブルク市, ルクセンブルク
死没 1967年8月19日(1967-08-19)(83歳)
ニューヨーク市, ニューヨーク州
国籍 United States
職業 電気技術者、雑誌出版・編集者、SF作家
著名な実績 アメリカ無線協会の創設

ヒューゴー・ガーンズバック(Hugo Gernsback, 1884年8月16日 – 1967年8月19日)は、ルクセンブルク生まれのアメリカの電気技術者、発眀家、雑誌出版・編集者SF作家。世界初の大衆無線機「テリムコ」を発売した。アメリカ無線協会を創設して、黎明期にあった米国アマチュア無線家を組織した。無線やSFの専門誌の編集者としても知られる。SF界で著名なヒューゴー賞はガーンズバックにちなんで名づけられている。

経歴[編集]

ガーンズバックの生い立ち[編集]

ガーンズバックは1884年(明治17年)8月16日に、比較的裕福なユダヤ系ワイン商の息子フーゴー・ゲルンスバッハー(Hugo Gernsbacher)としてルクセンブルクで生まれた。子供のころ、父のワイン醸造所の雑役夫が呼鈴システム(ベル、電線、バッテリー、押しボタンで構成)を工事している様子をつぶさに観察し電気に興味をもった。やがて通信販売で部材を集め、ドア・ブザーと簡易インターフォンを考案し、それを隣家に付けては小遣い銭を得るようになった。また12歳のときに(男子立入り禁止の)修道院のインターフォン・システムを請け負ったが、まもなく13歳となったためローマ教皇より特別の許しを得て工事を続け完成させたという[1][2][3]

無線研究家としてのガーンズバック[編集]

ゲルンスバッハーはブリュッセルの全寮制学校を卒業し、ドイツのビンゲンにある工科大学電気工学を学んだ。はじめての無線実験の経験はこの大学でのことだった。そして高性能の新型バッテリーを発明したゲルンスバッハーは、これを商品化するために1904年(明治37年)2月、アメリカへ移住し、名前をゲルンスバッハーからガーンズバックに改めたのである。

1904年秋、ガーンズバックは新型バッテリーの売込み中に、欧州では当たり前の電気部品が米国では品薄なことに気付き、ニューヨークにThe Electoro Importing Companyを設立して、輸入電気部品の通信販売を手掛けるようになった[4]。1905年(明治38年)、ガーンズバックはドイツ時代の無線実験の経験をもとに、世界初となる一般大衆向け無線電信機「テリムコ」の開発と商品化に成功した[1][2][3]。これは今でいうところの超短波帯の火花送信機コヒーラ受信機が組になった商品で、同年11月に雑誌広告を出し、全米へ通信販売をはじめた[5]。先進諸国では電信法などにより政府が電波を管理していたが、アメリカは電波の使用を国民の自由に任せていた。そのため商業局でも、個人研究家でも、無線機の操作資格や許可証は不要だったため、テリムコ無線電信機は「大衆無線機」として大ヒットとなった。

無線雑誌編集者としてのガーンズバック[編集]

当初は自己の送信機と受信機間で電波の到達実験していたに過ぎなかったが、1907年頃より子供たちが趣味・娯楽として相互交信を楽しむ「アマチュア無線」が形成されていった。通信販売事業においては、いかに魅力的な商品カタログを仕上げるかが重要である。また販売部品の使用方法や技術解説などを丁寧にドキュメント化する必要もある。ガーンズバックはこれらの作業を通じて、無線通信や無線実験を専門とする月刊雑誌を編集・出版することを思い立ったのである。1907年頃のアメリカにはいくつもの科学雑誌や電気雑誌はあったが、無線専門誌はまだなかった。1908年(明治41年)4月、一般大衆に無線界の最新ニュースを提供し、同時に無線知識の啓蒙を目的とする、世界初の無線雑誌『モダン・エレクトリックス』を創刊した。[6]ガーンズバックの狙いは的中し、学生を中心に無線実験が全米に広まった。

アマチュア無線家を組織したガーンズバック[編集]

1909年(明治42年)1月、ガーンズバックは『モダン・エレクトリックス』の読者に呼び掛けて、無線通信の発展を目的とするアメリカ無線協会WAOA(Wireless Association Of America)を創設し、全米のアマチュア無線家を組織した。三極真空管の発明者として有名なリー・ド・フォレスト(Lee de Forest)氏に会長をお願いした。アメリカ無線協会WAOAは営利を目的とせず、自分の局(含む受信専門局)を持っている米国籍の無線実験家であれば誰でも入会でき、会費は無料である[7]。1909年末には会員数は3000に達した。ちょうどアマチュア無線の電波が海軍局に混信を与えることが大きな社会問題となり始めた頃であり、アメリカ無線協会WAOAのガーンズバックとリー・ド・フォレスト会長は、アマチュアが海軍局や商業局がいる、低い周波数に降りてくることを自粛し、無益なトラブルを避けるべきだと指導していた[8]。 その後もガーンズバックは、『エレクトリカル・エクスペリメンター』(1913年~)、『ラジオ・アマチュア・ニュース』(1919年~)といった無線雑誌を創刊した。

SF雑誌編集者としてのガーンズバック[編集]

『モダン・エレクトリックス』誌(1911年4月号)で予定していた記事が入稿されない事態が起き、そのページを埋めるために編集者であるガーンズバックが近未来のSF小説『ラルフ124C41+ ──2660年のロマンス』を書き評判となり、1年間の連載となった。 1926年、世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊し、過去の優れたSF作品の再録や投書欄、読者の作品コンテストが人気を集めた。これにより彼は“アメリカSFの父”、“現代SFの父”と呼ばれるようになった。

ガーンズバックは資産があったが、事業としてニューヨーク初のテレビ放送の実験を行ったり自分の給料を高くする一方で、作家や商売相手への支払いが遅れていた。1929年に印刷所と紙問屋から訴えられ、『アメージング・ストーリーズ』を出版していた会社は破産し、人手に渡った。ガーンズバックは新しい会社を作り、『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』など新しいSF雑誌を3つ、無線雑誌『ラジオクラフト』を立ち上げた。[9]

ガーンズバックは1930年に『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』と『エア・ワンダー・ストーリーズ』を合併させて『ワンダー・ストーリーズ』を創った。アメージング・ストーリーズ同様に投書欄に誌面を大きく取り、SFファンの活動を発展させた。しかし、後発のSF雑誌『アスタウンディング』が発展するにつれ『ワンダー・ストーリーズ』の読者は減少していった。更に、原稿料の低さや支払いの遅さといった問題があり、作家のドナルド・A・ウォルハイム等により訴えられた。1936年にガーンズバックは『ワンダー・ストーリーズ』を売却し、SFから離れて無線雑誌『ラジオクラフト』と1933年に創刊した、性教育に対する科学的取り組みを扱った雑誌『セクソロジスト』の2つに注力していった。[10]

1953年、世界SF大会にてSF功労賞(1993年にヒューゴー賞と改名)が創設され、1960年にはガーンズバック自身に特別賞が贈られた。[11]1967年8月19日にニューヨークで死去。

作品リスト[編集]

  • Ralph 124C 41+ (1911)
  • Baron Münchhausen's Scientific Adventures (1915)
    • 小隅黎訳「ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険」『世界SF全集 4 ガーンズバック テイン』所収(抄訳)

脚注[編集]

  1. ^ a b Michael A. Banks "The man who invented the future" NUTS & VOLTS 2004.8 T&T Publications pp70-74
  2. ^ a b Michael Ashley, Robert A.W. The Gernsback Days: A Study of the Evolution of Modern Science Fiction from 1911 to 1936 2004 Wildside Press LLC p18
  3. ^ a b Larry Steekler Hugo Fernsback: A Man Well Ahead of His Time 2007 Book Surge Piblishing pp18-24
  4. ^ 新型バッテリーに関するビジネスは1907年に廃業
  5. ^ Scientific American誌 1905年11月25日号 p427
  6. ^ 『SF雑誌の歴史』p.42-44
  7. ^ Wireless Association of America: under the Auspices of “Modern Electrics” Modern Electrics Jan.1909 pp343-344
  8. ^ Lee de Forest "Wireless Association of America" Modern Electrics Mar.1909 p429
  9. ^ 『SF雑誌の歴史』p.80-82
  10. ^ 『SF雑誌の歴史』p.108-113
  11. ^ New England Science Fiction Association 1960年ヒューゴー賞の一覧(英語)

参考文献[編集]