ケビン・サリバン

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ケビン・サリバン
ケビン・サリバンの画像
2012年
プロフィール
リングネーム ケビン・サリバン
ザ・タスクマスター
ザ・ボストン・バトラー
ジョニー・ウエスト
本名 ケビン・フランシス・サリバン
ニックネーム 妖怪児
ザ・プリンス・オブ・ダークネス
身長 178cm - 180cm
体重 109kg - 114kg
誕生日 (1949-10-26) 1949年10月26日(74歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州の旗 マサチューセッツ州
サフォーク郡ボストン
トレーナー Ron "Golden Gladiator" Hill
デビュー 1970年
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ケビン・サリバンKevin Francis Sullivan1949年10月26日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーマサチューセッツ州ボストン出身。

1970年代ベビーフェイスのポジションで活動後、1980年代より怪奇派のヒールに転向[1]ザ・タスクマスターThe Taskmaster)を名乗ってヒール軍団の首領を務め、マネージャーブッカーとしても活躍した[2]

来歴[編集]

ベビーフェイス時代[編集]

1970年10月、ジョージア州アトランタでのスカンドル・アクバとのスタジオTVマッチにてデビュー[2]。同地区でジョバーを務めた後、1971年よりジョニー・ウエストJohnny West)のリングネームNWAガルフ・コースト地区に入り、ケン・ルーカスとのコンビで活動。3月11日にエディ・サリバン&ダンディ・ジャック・モレルからガルフ・コースト・タッグ王座を、6月2日には松岡巌鉄&大熊元司のライジング・サンズからUSタッグ王座をそれぞれ奪取した[3][4]

その後、リングネームを本名のケビン・サリバンKevin Sullivan)に戻し、1972年よりテネシーNWAミッドアメリカ地区に進出、3月24日にはロバート・フラーと組んで同地区版のNWA世界タッグ王座を獲得している[5]1973年からは、長年の主戦場となるフロリダCWFに参戦、主宰者エディ・グラハムの息子マイク・グラハムのパートナーに起用され、ボビー・シェーン&ゴージャス・ジョージ・ジュニアなどのチームを破りNWAフロリダ・タッグ王座を2回獲得した[6]。翌1974年5月、全日本プロレスに初来日。前年にデビューしたジャンボ鶴田とのシングルマッチも組まれ[7]、当時の日本では「南部の若獅子」なるニックネームが付けられた。

1975年10月よりWWWFに登場[8]イワン・プトスキーとのタッグチームなどで活動し、1976年には、WWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの挑戦者としてWWWFに参戦していたスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのコンビとも対戦、ジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)が保持していたWWWF世界タッグ王座にも挑戦した[9]。同年6月25日にニューヨークシェイ・スタジアムで行われた『ショーダウン・アット・シェイ』では、同じベビーフェイス陣営のホセ・ゴンザレスと対戦して引き分けている[10]。WWWFには1977年まで出場して、アーニー・ラッドスーパースター・ビリー・グラハムバロン・シクルナバグジー・マグロークラッシャー・ブラックウェルスパイロス・アリオントーア・カマタニコライ・ボルコフケン・パテラとも対戦した[11]

その後、1977年5月の全日本プロレス再来日を経て、1978年中西部NWAセントラル・ステーツ地区で活動。ケン・ルーカスと再びコンビを組み、4月24日にアレックス・スミルノフ&ブルドッグ・ボブ・ブラウンからセントラル・ステーツ版のNWA世界タッグ王座を奪取[12]南部ではアラバマサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、1979年トニー・チャールズとUSジュニアヘビー級王座を争った[13]

1980年ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場に、4月21日にトニー・アトラスと組んでスミルノフ&イワン・コロフからNWAジョージア・タッグ王座を奪取[14]。シングルでも、6月8日にトーナメントの決勝でエディ・マンスフィールドを破り、空位となっていたNWAジョージア・ジュニアヘビー級王座を獲得、以降もスタンリー・レーンダッチ・マンテルを相手に同王座を争い[15]レス・ソントンが保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦した[16]

ヒール転向後[編集]

ジェリー・ローラーを攻撃するサリバン(1981年)

デビュー以来一貫してベビーフェイスだったが、1980年末よりジョージア地区にてヒールのポジションに回るようになり、同年11月29日にはスティーブ・カーン、翌1981年2月21日にはスティーブ・オルソノスキーと、フェイス陣営の選手からNWAナショナルTV王座を奪取[17]。カーンとは "Boston Street Fight" なるハードコア・レスリング形式のデスマッチも行った[16]。同年4月からはメンフィスCWAにもヒールとして参戦、ジミー・ハートのファースト・ファミリーに加入し、ウェイン・ファリスと組んでジェリー・ローラー&ビル・ダンディーとAWA南部タッグ王座を争った[18][19]

1982年8月、古巣であるフロリダのCWFに復帰。当初は従前と同様にベビーフェイスとしてケンドー・ナガサキなどと対戦していたが、10月より本格的にヒールに転向。ジェイク・ロバーツジム・ガービンビッグ・ジョン・スタッドデレク・ドレイパーらと結託して、ダスティ・ローデスとも抗争を開始[20]。11月22日にはバリー・ウインダムを破り、NWA南部ヘビー級王座を獲得した[21]。以降もCWFに定着して、1983年からはペイントレスラーに変身。パープル・ヘイズマハ・シンルナ・バション&ウィノナ・リトルハートのドーターズ・オブ・ダークネス、そして妻となるフォーリン・エンジェルとの怪奇派ユニット、アーミー・オブ・ダークネスThe Army of Darkness)のリーダーとなって[22]、ローデスやブラックジャック・マリガンと抗争を展開した[23]

CWFを主戦場としつつ他地区にも出場し、サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングでは1984年12月9日にキラー・ブルックスを下してSCWヘビー級王座を獲得[24]。アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングでは、1986年9月22日にブラッド・アームストロング、同年12月15日にザ・バレットからNWAコンチネンタル・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した[25]

本拠地のCWFでは1987年1月16日にレックス・ルガー、2月18日にバッドニュース・アレンを破ってNWA南部ヘビー級王座に返り咲いたが、同月にジム・クロケット・プロモーションズがCWFを吸収合併したことによりタイトルは封印され、50年以上の歴史を持つ同王座の最後のチャンピオンとなった[21]。以降、ジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWに主戦場を移して、バーシティ・クラブプレイング・マネージャーとなって活動。1988年から1989年にかけて、ロード・ウォリアーズスタイナー・ブラザーズと抗争を繰り広げた[2]。MACWがテッド・ターナーに買収され、新団体のWCWが発足してからも継続参戦していたが、副社長ジム・ハードへの不満などもあり、契約満了の1991年下期にWCWを離脱[26]

1992年1月、FMWに来日。ザ・シークの参謀役となって、14年ぶりの日本マット登場を果たした[27]。その後はW★INGプロモーションにも度々来日し、レザーフェイスフレディ・クルーガー、クリプト・キーパー(ホセ・エストラーダ・ジュニア)ら怪奇派の親玉となって活躍した[28][29]。同時期、アメリカではジム・コルネット主宰のスモーキー・マウンテン・レスリングや初期のECWで活動[2]。ECWではタズマニアックと怪奇派コンビを組み、1993年12月4日にトミー・ドリーマー&シェーン・ダグラス1994年3月5日にブルーズ・ブラザーズを破り、ECWタッグ王座を2回獲得している[30]

1994年よりWCWに復帰し、5月22日にカクタス・ジャックと組んでナスティ・ボーイズからWCW世界タッグ王座を奪取[31]。その後はデイブ・サリバンとの兄弟アングルを経て、11月よりザ・ブッチャー&ジ・アバランシュスリー・フェイシズ・オブ・フィアーThe 3 Faces of Fear)なるトリオを結成、彼らに先んじて同年にWWFから移籍してきたハルク・ホーガンとの抗争を開始する[2]。翌1995年からは、ブッチャーとアバランシュをペイントレスラーのゾディアックとシャークに変身させ、カマラミングザ・ジャイアントらを配下に、モンスター軍団のダンジョン・オブ・ドゥームThe Dungeon of Doom)を率いて活動[32]。自らをザ・タスクマスターThe Taskmaster)と称し、ザ・ウィザードことキング・イヤウケアの「息子」として、ホーガン、スティングランディ・サベージらベビーフェイス勢との抗争を指揮した[2]

WCWではエリック・ビショフの体制下、リック・フレアーアーン・アンダーソンラリー・ズビスコらと共にブッカーも兼任していたが、マッチメイクを巡ってブライアン・ピルマンなど選手との確執も起こしている(詳細は「ブライアン・ピルマン」の項を参照[2]。妻だった女性マネージャーのウーマンクリス・ベノワとの不倫アングルでは、ウーマンを巡ってベノワと抗争を展開したが、ベノワとウーマンは実際に恋仲になり、ウーマンはサリバンと離婚の上で正式にベノワと再婚した[33]1997年4月12日にはWCWとの提携ルートで新日本プロレス東京ドーム大会に来日し、ベノワとの因縁マッチを行っている[34]。WWFとのマンデー・ナイト・ウォーズが激化していた1998年からはブッキング業務に専念し[2]2000年1月には一時更迭されていたビンス・ルッソに代わってヘッド・ブッカーに就任したが[35]、ブッキングに不満を持つベノワ、エディ・ゲレロディーン・マレンコペリー・サターンらが同月にWWFに移籍し、ほどなくしてサリバンも退陣した。

2001年のWCW崩壊後は、2003年TNA2006年ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングに登場[2]2014年にはNWA殿堂に迎えられた[36]。後年も各地のインディー団体に時折出場している[37]

得意技[編集]

ダイビング・フット・スタンプ
この技はサリバンがW★INGに参戦していた際、全日本女子プロレスからゲスト参戦していた伊藤薫に直伝された。

獲得タイトル[編集]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版) : 4回[21]
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座 : 1回[38]
  • NWAフロリダ・タッグ王座 : 3回(w / マイク・グラハム[6]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナルTV王座 : 2回[17]
  • NWAジョージア・ジュニアヘビー級王座 : 2回[15]
  • NWAジョージア・タッグ王座 : 1回(w / トニー・アトラス[14]
ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング / サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAコンチネンタル・ヘビー級王座 : 2回[25]
  • NWA USジュニアヘビー級王座(アラバマ版) : 2回[13]
  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座 : 2回(w / ケン・ルーカス)[3]
  • NWA USタッグ王座(ガルフ・コースト版) : 1回(w / ケン・ルーカス)[4]
セントラル・ステーツ・レスリング
NWAミッドアメリカ / コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • NWAミッドアメリカTV王座 : 1回[39]
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版)  : 2回(w / ロバート・フラー、マイク・グラハム)[5]
  • NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版)  : 1回(w / レン・ロッシー)[40]
  • AWA南部タッグ王座 : 2回(w / ウェイン・ファリス[18]
サザン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA南部ヘビー級王座(テネシー版) : 1回
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
イースタン・チャンピオンシップ・レスリング
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWヘビー級王座 : 1回[24]

マネージャー担当選手[編集]

プレイング・マネージャーとして、NWAやWCWにおいてヒールのマネージメントも兼任していた(サリバン自身のマネージャーは、妻でもあったウーマンをはじめ、ゲーリー・ハートサー・オリバー・フンパーディンクセンシュアス・シェリージャクリーンなどが務めていた)[42]

脚注[編集]

  1. ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P72(2002年、日本スポーツ出版社)
  2. ^ a b c d e f g h i Kevin Sullivan”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
  3. ^ a b NWA Gulf Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  4. ^ a b NWA United States Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  5. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月21日閲覧。
  6. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月21日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Kevin Sullivan in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  8. ^ The WWE matches fought by Kevin Sullivan in 1975”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2015年3月22日閲覧。
  10. ^ WWWF Showdown At Shea”. Cagematch.net. 2023年9月22日閲覧。
  11. ^ The WWE matches fought by Kevin Sullivan in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  12. ^ a b NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  13. ^ a b NWA United States Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  14. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  15. ^ a b NWA Georgia Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  16. ^ a b The GCW matches fought by Kevin Sullivan in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  17. ^ a b NWA National Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  18. ^ a b AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  19. ^ The USWA matches fought by Kevin Sullivan in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年3月23日閲覧。
  20. ^ The CWF matches fought by Kevin Sullivan in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  21. ^ a b c NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  22. ^ Army of Darkness”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
  23. ^ The CWF matches fought by Kevin Sullivan in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  24. ^ a b SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  25. ^ a b NWA Continental Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  26. ^ The WCW matches fought by Kevin Sullivan in 1991”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  27. ^ The FMW matches fought by Kevin Sullivan in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  28. ^ The W★ING matches fought by Kevin Sullivan in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  29. ^ The W★ING matches fought by Kevin Sullivan in 1993”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
  30. ^ a b ECW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  31. ^ a b WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  32. ^ Dungeon of Doom”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
  33. ^ Nancy Benoit”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
  34. ^ NJPW Battle Formation 1997”. Cagematch.net. 2015年3月22日閲覧。
  35. ^ Vince Russo”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
  36. ^ National Wrestling Alliance Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月27日閲覧。
  37. ^ Kevin Sullivan: Matches”. Cagematch.net. 2015年3月22日閲覧。
  38. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  39. ^ NWA Mid-America Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  40. ^ NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  41. ^ NWA United States Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
  42. ^ Facts of Kevin Sullivan”. Wrestlingdata.com. 2015年3月29日閲覧。

外部リンク[編集]